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異世界陰陽師  作者: 紫はなな
12/21

薬食い(三)

少年は牧師のことばを思い出していた。

神への祈りのことばではなく、魔王を倒した、そのひとの噺。袖から爪の先も出さず、一瞬で消し去ったというそのひとは今も、深淵に居られるだろうか。

そのひとならば。そう、そのひとならば、彼女を救えるかもしれない。

しかし肝心の、その名をなんといったか。


「お願いです、どうか」


白い着物をまとうという、あなた。

あなた様ならば、きっと。

口にふくんでいたチューブを引き抜き、水中で言葉を継ぐ。


ーーいけない! 水を飲んではダメよ……!


少年は深い、深い、水の底。

彼女の声は届かない。

黄土色の水はあっという間に少年の口のなかを侵し、やがて喉という滝つぼへ滑り下りていった。

するとどうだろう。

ほどなく少年は息を軽くし、舌を使ってはっきりと言葉にできた。



「どうか彼女たちを、お救いください」



深い、深い水の底。

少年の命綱から遠く離れた場所でチューブが細く、虚しく漂っていた。







雲ひとつ見えぬ冬の空。

陰陽師は黒い瞳を蒼に染め、言った。


「なにをそう、おふてくされに」


翌朝陰陽師とアレクが下へ降りると、出入り口でセリオスが目を三角にして立っていた。

コボシもまた実に恨めしそうに見上げてくる。着物の帯に腹がのっているということは、朝餉の時間もとうに過ぎているということだ。


「少々、呑みすぎたか」

「腰が痛むが、気分はいいぞ」


アレクが背後で腰をさする。


「誤解を招く言い方をするな」

「座敷がかたすぎるんだ」


首をひねれば小気味好い音が鳴った。


「御主さまぁ、そんなぁ」


コボシが下唇を噛み涙をためる。その目端に映るセリオスの拳は震えるほど強く握られていた。


「隊長が近ごろたるんでいるのは、やはり陰陽師どの影響であったか」


そう吐き捨て、セリオスは表へ出た。アレクが慌ててその後を追えば、通りには既に馬を牽く番兵たちで埋め尽くされている。


「朝餉の席で領主どのと話したのだが、我々がもってきた水だけでは一日ももたないことがわかった。すぐに隊長は今すぐに水汲み場への地図を書いて、副隊長へ渡すように」

「は、はい。殿下」

「水はくらしの要だ。馬車に積んできた水の配給を終えれば、日が沈むまで総出で水汲みに川を往復しなければならない」

「それでは、魔物討伐は」

「今日じゅうに、私たちだけで終わらせよう」


セリオスが通りを見渡す。

宿屋の並ぶ大通りには店屋がひしめき合い、朝から活気を見せている。噴水であったろう、広場を挟んだ奥には住宅が建ち並び、見上げれば町のひさしのように鉱山が聳え立っていた。


「領主どのの話では町の上空で見られたという。それでも町民が恐れず商いをしているということは、おそらくそう大きな魔物ではないだろう」

「上空、ですか」


アレクは外套のなかで首をおさえながら、空を見上げた。


「呑みすぎて首を痛めたか」

「い、いえ。そういうわけでは」

「しかしいつまでもこうして空を見上げは居られない」

「領主どのに、もう少し詳しい話を聞いては」

「領主どのに話は聞けない。今朝早くに貿易のため、船で隣の大陸へ渡っている」

「今朝ですか」

「だから怒っているんじゃないか。さあ、どうする。陰陽師どのの占いにでも頼るか」

「占い? この男に」


 アレクは陰陽師をあの陰陽師と知る少ない人間であるが、まれびとと敬う気持ちはとうの昔に置いてきた。魔王を倒したというがその実力を目で確かめたことはないし、いつも説教ばかりで、酒や薪を足す以外に立ち上がらない。今ではすっかり、この男呼ばわりである。

 まあ当の本人が気にしていないのだから、よいのだ。


「やってみせましょうか」


 陰陽師は意外にものり気である。

 懐から扇子を取り出すと、それを重々しく広げ、眺めてみせた。

訝しみながらアレクも覗きこむ。

真っ白であったろう扇子は端がところどころ擦り切れ、黒ずんでいる。中心点には矢羽が突き抜けたようなおおきな穴があいていて、およそ扇子として役に立ちそうもない。

陰陽師はじっ、とその穴を見据えた。なるほど穴からなにか見通せるのか。

アレクが穴の奥へ焦点を定めるうちに、扇子は閉じられた。

セリオスもまた同じことをしていたらしい。顔を上げた途端、ふたりは激しくおでこをぶつけ合った。


「サーニャ……!」

「お許しを殿下!」


そんなやりとりをしている間に陰陽師の姿が扇子と共に消えている。首を振って探せば、陰陽師が親指ほどの大きさに見えるまで離されていた。

広場の突き当たり、住宅地へ向かう道とは別の、小道に身体を入れている。


「その方角は採掘場ときいているぞ」


アレクの声に陰陽師は頷き、扇子を天へ振った。

下ではなく、上を見ろと言っているようだ。

顔を上げれば、空に黒い糸くずのようなものが泳いでいるではないか。


「魔物……! まだ子どもに見えるが、竜に違いない」


セリオスが声を荒げ指をさすが聞こえていないのか、アレクは魔物を探すどころか外套を脱いでバサバサと叩いている。

糸くずは陰陽師を導くように、頭のうえで旋回した。

アレクが悲痛な面持ちで叫ぶ。


「カムイ……!」

「カムイ?」


それから外套を捨ておき、陰陽師を追いかけていった。


浄衣をまとっているのに陰陽師という男、思いのほか足がはやい。

とん走を見せたアレクが陰陽師の背中に追いつくと、鉱山奥深くに位置する採掘場へ出ていた。山のなかとは思えぬほど開放感があり、外と同じように明るい。休憩場の入り口からはシチューの匂いが溢れ出ており、ひとつの集落のような生活感を感じさせた。層を重ねた芸術的な壁にはいくつも時計が掛けられている。


「作業場へは階段で最深部まで降りるらしい」


アレクの外套を拾い、後から追ってきたセリオスが見たのは、そう説明しながら、はふはふとシチューをほおばる陰陽師であった。

同じように息を切らしたアレクへ尋ねる。


「彼はいつもああして所構わず食べているのか」

「出先で会うのは二度目なのでわかりかねますが、おそらく珍しい料理に目がないのかと」

「珍しい? シチューが」

「陰陽師のいた世界にはおそらく、なかったのでしょう」


チーズがご馳走なのだ、肉の入ったシチューはもっと魅力的であろう。

アレクは心に書き加えた。

何年も晩酌につきあっていると、おのおのの食文化がみえてくる。

ブランシール王国では肉や魚を主体にした料理が多い。それに反して陰陽師の勧める料理ははっきり言って素食ばかりだ。しかし野菜や穀物などの香りや出汁、素材そのものを愉しめるし、まつたけのように新たな発見もときにはある。

話は逸れたがつまりは、陰陽師にとってこの場でシチューをいただくことは決まり切った行為であり、アレクにとっても想像するに容易い光景であった。


「まあ、屋敷では食べるか呑んでいます」


アレクはシチューをかっ込む陰陽師に近づくと、肩にのっていた糸くずへ触れた。

糸くずはまるで蛇のように首をくねらせると、するりと、アレクの手に渡った。総身をまっすぐにのばしても腕の長さほどもない。糸くずはまるでずっとそうしてきたように肩へのぼり、とぐろを巻いた。


「隊長……、聞くが、それは竜に違いないな」


セリオスが声を震わせる。


「……おっしゃるとおりです」

「竜とは、ひと吹きの大火で村を滅ぼす世にも恐ろしい魔物だ」

「まだ赤子です。歯も生えていません」

「そういう問題ではない」

「アレクの言うとおり、そう怖がらずとも」


陰陽師は器から顔を離すと、残りを竜の口へ運んだ。腹が減っているのか、細長い舌をのばし忙しなく舐め始めた。


「生まれてみつき、といったところでしょう。名はカムイ、と申します」

「カムイだと」


セリオスはきれいな顔を苦虫を噛み潰したようにして、杖と共にアレクへ手向けた。


「名前をつけたのか。魔物に」

「違います、私は……!」


セリオスの杖から逃れるように、階段のあるほうへ足を引く。


「この子は違う」

「動くな、サーニャ」


およそ三年あまり、ただの木の棒であった杖の先端が光りだす。アレクは竜をかばい、飛び降りるように地下へ消えた。


「サーニャ!」


セリオスは苛立ちの矛先を陰陽師へ変えた。


「陰陽師どの、魔物へ名付けることは国で禁止されております」

「私が名付けたのではありません。自ら名乗ったのですよ」

「竜が、人の言葉を話したとでも?」


陰陽師は「話すでしょう」と、当然のように笑みを浮かべた。その目線にはいつの間にやらコボシが立ち、やはり笑っている。


「もういい、隊長と魔物を引き離さねば」

「なにゆえ、それほどまでに怖れるのです」

「竜を怖れているのではない」

「アレクと竜が戯れることを、怖れているのでしょう」

「わかったように言うな。なにも知らないくせに」

「そのお話、長くなりますか」

「く……っ」


それでもセリオスは陰陽師に分かるよう、やさしく手短かに話した。


「あれは四年前のことだ」


アレクが番兵隊長に就任し一年が過ぎたころ。セリオスに背中を預け、剣を抜くアレクは英雄の名を欲しいままにしていた。城の防衛だけでなく、冒険者たちさえ足を踏み入れなかったダンジョンや砦を攻略し、多くの村町を魔物の恐怖から救ったのだった。


檻から放たれた蝶はほんの一寸、驕りをもった。


その日はとある洞窟の最深部で、凶悪な竜と熾烈きわまる闘いを繰り広げた。アレクは九つあった竜の首を総て斬り落とし、鱗を剥ぎ取った。

さらに武器の材料にと爪を折っていると、手には我が子を守るように、竜の卵が握られていた。

行き合った魔物は命をかけて総て殲滅すること。

アレクは番兵隊の掟を自ら破ってしまった。


「竜の卵を孵してしまったのだよ」


英雄譚にあるとおり、番兵たちは竜の卵を目玉焼きにして食べようと持ち帰ったのだが、そのひとつをこっそりと、アレクは隠し、持ち帰っていたのだ。

気付いたときには時すでに遅し、卵から孵った竜はわずか半月でアレクを背にのせ、飛べるまで成長していた。


竜がアレクに懐いたのは、魔物の性が表れるまでの、ほんのひと月だった。

竜は人びとの悲鳴に聴き惚れ、火炎を垂れ流した。牙を向けば血が飛び散り、その匂いは空腹を誘った。

竜は村をみっつ、焼いた。

アレクはもちろんおのれを攻めたが、それでも竜を殺すことはできなかった。

竜はセリオスの手で葬り去られた。


「アレクは最後まで泣きながら竜に付けた名を叫んでいた。リューちゃん、と」

「はあ」


アレクの悪癖はこれひとつではない。

スライムは数知れず、大ネズミ。ゴーレムにいたっては城下町を半壊させている。


「アレクは、アレクはちいさいころからそうだった。可愛いものを育てることに執着した。いや、違う。ひな鳥におたまじゃくし、芋虫だろうと部屋の中で飼った。アレクは、」


おぞましげに嘆く。




「異常なほど、育成好きなんだ……!」




セリオスの美声が採掘場に轟いた。


「それでよく退位させなかったな」

「我が国において、アレクに勝さる剣豪など居やしないのだ」


ほろりと涙を落とす休憩所のおばちゃん。陰陽師はすかさずおかわりをもらう。


「それで、はふはふ。心配で心配でいてもたってもいられず殿下自ら足を運ばれたと」

「それでとはなんだ、それでとは。どんなに可愛らしくみえても、所詮は魔物なのだ。また街をひとつふたつ失うことになったら、今度こそアレクは退位せざるを得ない」

「それはない」

「なぜそう言い切れる」

「あれは魔物ではない」


陰陽師は芋で頬を膨らませ、にやりと笑った。


「妖、だ」


これから起こる悲劇が、実に愉しみであるように。


「しかし時間はありませぬ。急ぎましょう」


言ったそばから、陰陽師を呼ぶアレクの悲鳴が突き上がってくる。長い階段を下りきると広い採掘場には泥で底の見えないちいさな水溜りがいくつも並んでいた。そのひとつに採掘人がたむろし、輪を作っている。


水溜まりの淵には黒い糸くずーー竜に首を絞められ、無惨に横たわる少年の遺体があった。

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