旅立ちの日
ジェイクは、旅支度を終えた。荷物を背負い、家の扉を閉めた。必要もないのだが、一応は鍵をかける。
もう、この家に帰ることもないだろう。かつての仲間たちには、既に旅立つことを教えてある。誰も見送りに来ないようだが、かえってその方がありがたい。
などと思っていたジェイクに、声をかけた者がいた。
「ジェイクさん」
振り返ると、そこにはセリナがいた。笑みを浮かべ立っている。
「セリナか。どうした?」
「旅立つと聞いたので、見送りに来ました。他のみんなも誘ったのですが……アランさんは、リリスさんを口説くのに忙しいみたいです」
「あいつも、しょうがねえなあ」
ジェイクは苦笑する。
まさか、放蕩息子で知られたアランが、ジェイクの元カノである黒魔女リリスに本気で惚れるとは……世の中とは、わからないものだ。
◆◆◆
その頃、アランはリリスの家を訪れていた。
「リリスさん、あの……ジェイクが旅立つそうですよ。一緒に見送りに行きませんか? その後は、ディナーでもどうです」
「やめとく。あいつはもう、自分の道を歩き出した。あたしらがいたら、かえって未練になるかもしれないからね」
ひょっとしたら、未練があるのはあなたの方なんじゃ……と言いかけたアランだったが、その言葉を呑み込んだ。
その時、リリスが微笑む。
「ところでさ、ちょっとそこの裏山まで付き合ってくれないかな。薬草を取りに行きたくてさ」
「は、はい! もちろん行きます! リリスさんのためなら、どこへでもお供します!」
そして、ふたりは語り合いつつ町中を歩いていった。だが、そこで思わぬ出来事が起きる。
「ねえ、あれってアランじゃない?」
「そうよ、絶対アランよ」
若い女たちが、アランを見ながらヒソヒソと話をしている。
やがて、ひとりが意を決して話しかける。
「あの、アラン・アデールさまですよね?」
「へっ? うん、そうだけど」
答えた途端、アランは大勢の女の子たちに囲まれた──
「アランさま!」
「噂通りのイイ男!」
「本当にカッコいい!」
「イケメン勇者!」
口々にそんなことを言いながら群がってきた女の子たちに、アランは目を白黒させ困惑するばかりだ。
すると、リリスが笑顔で振り返る。ただし、目は笑っていない。
「アラン、良かったねえ。若い女の子にモテモテじゃない。忙しそうだから、あたしゃひとりで行くよ」
そう言うと、彼を置いて早足で去っていく。アランは慌てて叫んだ。
「な、何を言ってるんですか! 俺はリリスさん一筋ですから! 待ってくださいよぉ!」
◆◆◆
一方、セリナは笑顔で語っていく。
「スノークスさんは、瓦版の始末書を書くのに忙しいようで……でも、ジェイクとはまた会える。だから、見送りなんかしなくていいって」
「あいつらしいな」
苦笑するジェイクだったが、実際はそれどころではなかったのだ。
◆◆◆◆
その頃、スノークスは悩んでいた。無論、始末書のことではない。
「うーむ、次は何を書くかなあ……」
そう、次に書く瓦版のネタを考えていたのである、あれ以来、スノークスのところに何人もの商人が訪れ「次は何を書くんだ? その時は、ウチの店も宣伝してくれよ。金は払うからさ」などと言ってきたのだ。
スノークスは首を捻っていたが、やがてポンと手を叩いた。
「そうだ! 次は『アランとリリスに愛の噂』、これでいこう!」
そう言うと、さっそく羽ペンを手にする。が、そこで思い出したことがあった。
「あ、そういやピューマから差し入れしろって手紙きてたな。しょうがねえ、ネタ探しのため面会に行ってやるか」
◆◆◆◆
ジェイクとセリナは歩きながら、あれやこれやの話をしていた。
「ライブラ教は、もうおしまいのようです。どこかの誰かさんが、グノーシス枢機卿の真実を暴いてしまったせいですよ」
そう言って、セリナはクスッと笑った。
「ひょっとして、俺を恨んでるか?」
「いいえ。むしろ、これで気持ちが固まりました。私は、教団を出ます」
「そうか」
ジェイクは、ふとセリナと出会った頃のことを思い出した。
あの時のセリナは、真面目でお硬い上に融通のきかない女であった。
今は違う。優しさと同時に、落ち着きと自信が感じられる。随分と変わったものだ。
「ジェイクさんは、どうなさるのですか?」
聞かれたジェイクは、空を見上げた。今もフィオナは、天界から見ていてくれるのだろうか。
少しの間を置き、語り出した。
「昔、フィオナが言ってたんだ。いつの日か、イスタルとかアグダーとか、そんな下らない国境をなくしたい。世界をひとつに結んで、誰もが幸せに笑える。そんな世の中にしたい……なんて言ってたんだよ」
そこで、ジェイクはセリナを見つめる。
「俺さ、それを聞いた時に笑ったんだよ。なんて子供っぽいんだって。んなこと無理に決まってんだろ……そう思って笑った。でもよ、笑うとこじゃないんだよ。そいつは、誰かがやらなきゃならないんだよな。もしかしたら、あのグノーシスも自分なりのやり方で、世界をひとつに結ぼうとしていたのかも知れない。やり方は、断じて認められるものじゃないけどな」
そこでジェイクは笑みを浮かべ、拳を突き出して見せた。
「だからさ、俺はやってみるよ。まあ、俺にできることといったら、こいつを振るくらいしかできないけどな。でも、フィオナが言ってたような世界に少しでも近づけるよう、俺の力でやれるとこまでやってみたいんだ」
語り終えたジェイクは、深々と頭を下げた。
「今まで、本当にありがとう。君がいなかったら、エプシロンには絶対に勝てなかった」
「お礼を言うのは、私の方です。あなたと出会っていなかったら、私は何も知らないまま今もグノーシス枢機卿に従っていたかもしれません、それに……」
そこで、セリナの言葉が止まる。ためらいながらも、何かを言おうとした。だが、ジェイクが右手を伸ばしてきた。彼女の手を、そっと握る。
「じゃあ、ここでお別れだな。君の人生に、幸多からんことを祈っているよ」
そう言うと、ジェイクはくるりと向きを変えた。何のためらいもなく、足早に去っていった。
セリナは、去りゆくジェイクの背中にそっと語りかける。
「私はね、ジェイクさんのこと好きだったんですよ。でも、ジェイクさんは、今もフィオナさんを愛しているのですね。私の入る隙間は、どこにもない……」
直後、涙が溢れた。彼女も向きを変え、ジェイクとは反対の方向に向かい歩いていった。
ふたりは、一度も振り返ることなく己の道を進んでいった。
◆◆◆◆◆
セリナの言った通り、強大な勢力を誇ったライブラ教は、組織の屋台骨がぐらついている状態だ。
民は教団の嘘を知り、信者たちは静かに離れていっていった。ヨアキム病に対する偏見は、過去の悪しき偏見と化している。
ライブラ教の完全なる崩壊も、もはや時間の問題だろう。かつて天空にまで届く力を誇ったライブラ教は、今や流れ星のように、静かに落ち行く運命だ。民衆は、もう教団に頼ろうとはしなくなっていた。
アグダー帝国は、エプシロンの復讐の炎により焼き尽くされた。残っているのは、もはや燃えかすでしかない。さらに、民が革命を起こしたのだ。
絶大なる権力を握ったエドマンド伯爵とスパーク大公は、血に沈み地獄へと堕ちた。貴族たちの犯してきた罪も、白日の下に晒け出された。民衆は、己を繋ぐ鎖を断ち切った。革命の炎は、今や天をも焦がさんばかりだ。
そう、形あるものは、いつか必ず滅びる。国も、宗教も、強大なる権力も……やがて時の海に飲み込まれる。風の前の塵と同じだ。
だが、ジェイクとフィオナの愛は違う。
幾千の星が闇に溶け、大地の形が変わろうとも、ふたりの想いは人々の胸に残り、語り継がれていくであろう。
世界が変化し、今生きている人々が灰となるその時ですら、ジェイクとフィオナの心は、深く消えない光を宿している。それは、誰にも奪えはしない。
仮にこの先、世界がどんな形に変わったとしても同じこと。
ふたりの愛は、永遠だ──




