夢と現実
彼の目の前に、ひとりの女性が立っている──
ジェイクは言葉を失い、その場に立ち尽くしていた。あまりの衝撃に、言葉が出てこない。
ややあって、どうにか言葉を絞り出した。
「フィオナ……君なのか!?」
「ああ、そうだよ」
答えたのは、間違いなくフィオナだった。美しさはそのままに、白い衣を身にまとった姿で立っているのだ。
「な、なぜだ? 君は死んだはずでは……」
その時、ジェイクは気づいた。周り一面、白いものに覆われている。他には何もない。フィオナ以外、全てが白だ。
こんな風景が、現実であるはずがない。
「そうか。これは夢か」
「ああ、そうだよ。お前の夢だ」
そう言って、フィオナは笑った。
「会いたかったよ……」
それしか言えなかった。言いたいことは、もっともっとあったはずだった。しかし、言葉が出てこないのだ。
「私もだよ」
フィオナは落ち着いていた。以前と比べ、随分と成熟した感じだ。全身から、神々しい空気を放っている。
やはり、彼女はもう人間ではないのか。
「君は今、死後の世界にいるのか?」
「そんなところだ」
「じゃあ、エプシロンも一緒なのか?」
その時、フィオナは目を逸らした。悲しげな表情で答える。
「あいつは違う場所だ。エプシロンは……もう、私にもどうにもできない所に行ってしまった」
「そうか」
ジェイクはうつむいた。
エプシロン……ジェイクの数少ない親友のひとりだった。少なくとも、ジェイクはそう思っていた。だが、奴の方はそう思っていなかったらしい。
いや、あれは本心だったのか? 未だにわからない。
切ない気持ちを噛み締めながら、ジェイクは尋ねる。
「フィオナ……俺が死んだら、君のいる場所に行けるのか?」
「どうだろうな。私には、何とも言えないよ」
「だったら、死んで試してみるしかないな」
そこで、ジェイクはニヤリと笑った。
「バカを言うな」
「いや、俺は本気だよ。起きたら、さっさと死んでみる。とりあえず、イスタルの王宮にでも乗り込んでみるよ」
そう、ジェイクは本気だった。
自分の手で、エプシロンを倒してしまった。あの最期の表情は、今も記憶に残っている。
結局、本当に救いたかった人間を誰も救えなかった。なら、もう生に未練はない。
しかし、その言葉を聞いたフィオナの表情は変わっていた。
「やめろ! お前は、まだ死んではならないんだ!」
久しぶりに聞く怒りの声だった。よく、この声で叱られたものだ。ジェイクは懐かしさを覚えつつも、軽い口調で聞き返す。
「なぜだ? なぜ死んではならないんだ?」
「神の決めたことだ。お前は、まだ死んではならない。この世界で、やらねばならないことがある」
途端に、ジェイクの心に怒りが湧き上がった。
「はあ? 何をやれって言うんだよ!? 何もやることなんかねえよ!? 君のいない世界で、これ以上何をしろって言うんだ!?」
「これが運命なんだよ。私の運命は、あの日に死ぬことが決まっていた。だが、お前の運命は違う。お前は、生きなくてはならないのだ」
そう言うと、フィオナは何を思ったか背を向ける。だが、ジェイクは止まらない。その目からは、涙が溢れている──
「運命だと!? んなもん知るか! 俺は嫌なんだよ! お前のいない世界も、そんな世界で生き続けるのも嫌なんだ!」
怒りのままに、ジェイクは己の思いをぶつけた。そう、神はあまりにも残酷だ。フィオナとエプシロン、このふたりが何をしたというのだ。あまりにも理不尽な目に遭わされ、無残に死んでいった……そんな運命を決めたのが神だというなら、そんなものに従う気などない。
その時、フィオナは大きな溜息を吐いた。
「お前という奴は、本当に……どこまで世話を焼かせるのだ」
言った直後、フィオナは振り返る。
彼女の目にも、涙が溢れていた──
「私だって嫌なんだよ! なぜ、なぜあのタイミングで死ななければならないんだ! なぜだ! なぜなんだ!」
叫ぶフィオナに、ジェイクは何も言えず立ち尽くしていた。
一見、悟りきった表情で己の死を受け入れた……かに見えていたフィオナ。だが、心の中は違っていたのだ。
「初めて知ったよ。人を好きになるという感情を、な。お前と出会わなかったら、死ぬまで知らなかったのだろう」
そう言って、フィオナは微笑んだ。しかし、溢れる涙は止まらない。涙が線となって顔を流れ落ち、地面に落ちる様を、ジェイクは何も言えず見ていることしかできなかった。
「私は、お前に花嫁姿を見せたかった。お前の子供を産みたかった。お前が、子供と遊ぶ姿を見たかった。お前と共に、人生を歩んでいきたかった……」
そこで、フィオナはようやく涙を拭った。そっと微笑む。
「お前は、もう行くんだ。私のことなど、早く忘れろ。お前は、最強の霊拳術士なのだろう? その力を無駄にしないでくれ。お前は、私が愛したただひとりの男だ。その男が、これから何をしていくのか……天界で見させてもらうとするよ」
ジェイクは答えようとした。だが、彼女は再び背を向ける。
「お別れの時間がきたようだ。ジェイク……お前と会えて、本当に良かった」
その時、フィオナの体が薄れていった。ジェイクは走り寄り、彼女を抱きしめようとする。だが、その瞬間に彼女は消えてしまった。
「ありがとう」
フィオナの最期の声が聞こえた瞬間、ジェイクは目覚めた。
上体を起こし、拳を握りしめる。
「わかったよフィオナ、俺は行くよ。こんな世の中で、どこまでやれるか試してみる」
◆◆◆
その頃、イスタル共和国の裏通りにて、とんでもない騒動が起きていた。
「冗談じゃねえぞ。これで終わりにできるかよ。俺は殺されても構わねえ。真実を、皆に伝えてやる」
そう決意したのはスノークスであった。
言うまでもなく、彼は事なかれ主義の適当男である。しかしジェイクと共に戦い、全てを見て何が起きたかを知ってしまった。挙げ句、抜け殻と化してしまったジェイクを見ているのは、あまりにもつらかった。
だからこそ、スノークスにできる手段をとったのだ──
「買ってけ買ってけ! 真実がここにあるぞ! 俺さまが見たすべてを、今ここに記した『スノークスの見たもの』、本日限定・十枚で五リルだ!」
通行人が立ち止まり、配られる瓦版を手にする。表紙には、粗雑な筆致でこう書かれていた。
「真の敵は誰だったのか!? アグダー帝国を襲った復讐鬼の正体、その裏に潜んでいたライブラ教団の闇! 俺スノークスは見た! フィオナ団長の死の真相を、ここに明かす! そして、世界を救った英雄たちの姿を、あます所なく書き記した!」
その内容は衝撃的だった。
かつての聖炎騎士団団長フィオナ・ドルクが、帝国の貴族たちの陰謀によって貶められ、命を落としたこと。
善良なエプシロンが殺害され、魔に堕ち暴走したこと。
それを止めたのが、霊拳術士ジェイク、黒魔女リリス、アデール家の放蕩息子アラン、聖女セリナ、そしてスノークスであること。
それは民衆にとって、雷鳴のような衝撃だった。怒り、悲しみ、同情、賞賛……あらゆる感情が、街に満ちていった。あちこちで暴動が起き、国はその鎮圧に追われることとなった。
言うまでもなく、騒動の元凶はスノークスである。衛兵たちが現れ、槍を向けつつ彼に怒鳴りつける。
「おい貴様! これは何の真似だ! 誰の許可を得てこんなものを配っている!」
「うるせえ! ジェイクはなあ、フィオナのために、そして民のために戦ったんだ! その真実を伝えなかったら、正義はどこにある! このスノークスがやらねば、誰がやるんだ!」
言い返したスノークスだったが、いかんせん彼は腕の方は今ひとつである。あっけなく逮捕された。順当に行けば、世間を騒がせた騒乱罪や国家冒涜罪により縛り首の刑が待っていたであろう。
だが、事態は思わぬ方向に転ぶ。フィオナの遺志を継ぐ騎士団の後輩たちが、真相の隠蔽に抗議し始めたのだ。
「フィオナさんがいなければ、私は騎士を目指していなかった。今の私があるのは、フィオナさんのおかげだ。今こそ、フィオナさんのために立ち上がる時だ!」
そう言い出したのは、フィオナの後輩だった女騎士たちだ。革命でも起こしかねない勢いであり、国王は仕方なく「真相を必ず究明し、国民に発表する」と宣言したのだ。
さらに、アデール家からも正式な嘆願書が届いたのだ。なにせ件の瓦版には、放蕩息子として知られていたアランが、命懸けで恐ろしい怪物と戦った姿が、事細かに書かれているのだ。
事実、この瓦版のお陰でアデール家の評判はさらに上がったそうなのだ。
「なに? あの放蕩息子のアランが、アグダー帝国のスパーク大公やエドマンド伯爵を殺害した恐ろしい怪物と、命を賭して戦っただと? その証拠もあるというのか? うーむ、これはどうしたものか」
評議会の面々は頭を抱えた。
アデール家から届いたものは、名目上は嘆願書である。しかし、要は「スノークスの命を助けなかったら、アデール家が敵に回るぞ」というメッセージだ。
もともと、アデール家はイスタル国において多大な影響力を持っている。しかも、この瓦版でさらに強大な発言力を得てしまった。
今や、街ではアランのファンクラブまでできてしまったほどだ。かつてのアランは「イケメンだが、どうしようもないヘタレ」と評判であった。しかし今や「最悪の怪物を討ち果たした最強のパーティーの一員」と思われているのだ。
最終的に、スノークスは「貴族評議会に対する始末書三十通の提出」を条件に、釈放された。
その後、瓦版はしばらくの間「禁書」とされるも、地下市場でコピーが大量に出回ることになり、「スノークスの見たもの」は伝説となった。
そんなスノークスの瓦版は、今日も密かに読まれている。
「俺さまは見た! 世界の平和は、最強の拳士とその心の友の活躍によって守られた! 真の英雄とは、見返りなど求めず人知れず悪と戦う者のことだ!」
その言葉は、いつしか多くの若者たちの合言葉となっていた。




