決戦(4)
四人が奮戦している時、ジェイクもまたエプシロンと戦い続けていた。
相手からの攻撃を受けるか躱すか、このふたつに全神経を集中させている。時おり、速さのみを重視した攻撃を返していくが、エプシロンには全く効いていない。
しかも、ジェイクが攻撃を放つ度、エプシロンはせせら笑うのだ。
「お前が、こんなに弱かったとはな。霊拳術士の名が泣くぞ」
嘲りの声だ。余裕……いや、完全に油断しきっていた。こちらの狙いが何なのか、まるでわかっていないらしい。
辛く長く厳しい修行で力を得て、さらに実戦に次ぐ実戦で強さに磨きをかけてきたジェイク。対するエプシロンは、悪魔との取引で瞬時に強さを手に入れ、その後の戦いも一方的なものばかりだ。アリを踏み潰すに等しく、そもそも戦いなどと呼べるものですらない。
この差が、両者の戦いで少しずつ現れ始めていた。
エプシロンの力任せの攻撃を、精霊により強化された肉体と、修行により身につけた防御技術で捌いていく。零コンマ何秒の遅れや、一度の判断ミスが命取り……こうなると、水の中に顔をつけ息を止めているような状態だ。苦しさのあまり顔をあげてしまったら、その瞬間に全てが終わる。
しかもジェイクは、僅かな隙を突いて攻撃を返していくことも忘れていない。これにより、エプシロンの注意をこちらに集中させる。さらに、ジェイクにもまだ攻撃の意思があることを伝えているのだ。
もっとも、ジェイクが逆の立場なら確実に怪しんでいた。さっきから、効かないとわかっている攻撃を仕掛けてきている。なぜだ? と思ったことだろう。ジェイクに限らず、武芸の世界で一流と言われる者は、楽に勝てる戦いなどないことを理解している。
残念ながら、エプシロンにその理解はなかった。己の強さに対する圧倒的な自信が、警戒心というものを消し去ってしまったのかもしれない。
それでも、エプシロンがジェイクより強いことに変わりはない。状況の苦しさも同じだ。ジェイクは、エプシロンの猛攻を凌いでいくしかなかった。
同じ頃、リリスら四人の前には妙なものが出現していた。
「なんだこいつは!?」
アランが叫ぶ。
彼の周囲を、突然に出現した小さな火の玉が飛び回っていた。まるで光に群がる昆虫のように、アランのそばを離れようとしない。
「クソ! 寄るんじゃねえ! 失せろ!」
喚きながら剣を振り回すが、火の玉はひょいと避けた。直後、からかうかのように上下に揺れる。何とも異様な光景だ。
「何なんだコイツは!? うっとうしい!」
怒鳴ったのはスノークスだ。そう、彼の周りにも火の玉が出現していた。剣を振り回して追い払おうとしたが、巧みな動きで攻撃を避けていく。
しかも、高く飛びあがったかと思うと、いきなり急降下してくるのだ。こちらに直接のダメージはないが、こんな調子で周囲を飛び回られると非常に戦いにくい。
どうにか追い払おうと剣を振るが、相手は当たるか当たらないかのギリギリの位置を漂っている。仕留めるのは厄介だ。
そんなふたりの様子を横目で見て、セリナの顔は蒼白になっていた。
今、ふたりの周りを飛び回っているのは、ウィルオーウィスプだ。一応は魔に属する存在だが、大した力はない。自分から人間に大きな危害を及ぼすわけでもない。言ってみれば、虫のようなものなのだ。放っておいても、大した問題はない。
セリナやリリスは、その事実を知っている。現にふたりの周りにも現れているが、彼女らは完全に無視していた。
ウィルオーウィスプの厄介な点はひとつだけだ。じっと見つめていると、軽い催眠作用を起こすことがある。目が離せなくなり、後を追いかけてしまうのだ。魔法の知識や耐性がない者だと、そのまま闇の中を追いかけていって崖から落ちたり、沼に沈んでしまうことがある。
もし、アランとスノークスに同じ症状が起きたら、あのふたりはウィルオーウィスプを追いかけていくだろう。そうなると、リリスとセリナを守る者が誰もいなくなるのだ。
そうなれば、後に何が起こるかは考えるまでもない。
今のセリナには、アランとスノークスに伝える方法がない。どうにかふたりの注意を引こうと足を踏み鳴らしたりしてみたが、どちらも気づく気配がない。アランもスノークスも、ゾンビを倒しつつ、少しずつセリナたちから離れているのだ。
このままでは敗北……と思った時だった。突然、勇ましい声が響き渡る──
「みんな! 待たせたね! 本当にありがとう! やっと完成したよ!」
叫んだのはリリスだ。頬は上気し、瞳は興奮ゆえかキラキラ輝いている。その全身から、嬉しい! とでも言いたげな喜びのオーラを発していた。クールな彼女が、こんな表情をするのは初めてかもしれない。
ついで、リリスはバイコーンを睨みつける。
「このバカ雄山羊! 今すぐ、この世界から出てってもらうよ! さあ、出番だよ!」
叫んだ直後、彼女はしゃがみこんだ。両手で、地面を叩く。
と、地面が光りだした──
その光は、あまりにも強烈であった。一瞬ではあるが、真昼のごとき明るさとなったのだ。
だが、光はすぐに消えた。代わりに、リリスの頭上に浮かぶものがいる。巨大なカラスだ。羽ばたいてもいないのに悠々と浮いており、足は三本ある。その大きさは、牛や馬でも足でつかんで飛べそうである。
出現したカラスは、じろりとバイコーンを睨みつける。直後、すぐさま行動を開始した。
その時、何が起こったか……巨大なカラスが、凄まじい速さで飛んでいったのだ。無論、翼は動いていない。これだけ巨大な鳥が動いたのに、周囲の空気には何の影響もない。リリスらの目の前を、稲妻のような速さで飛んでいったのだ。
バイコーンは、そこでようやく動けるようになったらしい。逃げようと走り出したが、間に合わなかった。カラスは、バイコーンを三本の足でつかむ。
そのまま、闇夜へと飛び去っていったのだ──
状況は、完全に変わってしまった。
バイコーンが連れ去られたと同時に、ゾンビたちは次々と動きを止める。形を留められず、そのまま崩れてしまったものもいた。
ウィルオーウィスプも消え去り、アランとスノークスはようやく我に返る。
「あれ? 今、俺ゾンビと戦ってたんだよな。でも、ゾンビはいなくなってる……」
アランの間の抜けた声が、周囲に響き渡った。やがてリリスの目が合うと、安堵の笑みを浮かべる。
「リリスさんが無事で、ゾンビはいない……となると、俺が倒れて気絶してる間に全部終わっちゃったんですか?」
のほほんとした口調で、そんなことを聞いてきたアラン。と、リリスの目が吊り上がる。
「バカ言うんじゃないよ! よく見てみな! 肝心なのが残ってるだろうが!」
怒鳴られたアランは、もう一度周りを見回す。と、その表情が歪んだ。
ジェイクの前には、エプシロンが立っていた。バイコーンが消えたというのに、その体から漂う妖気は変わっていない。姿形も同じだ。道化師のような真っ白い顔で、ジェイクを見つめている。
やがて、その口から溜息が漏れた。
「やってくれたなあ、ジェイク。まさか、こんな作戦を立てていようとは思わなかった。実に大したものだ。さすがだよ」
その声は、エプシロン元来のものであった。淡々とした喋り方である。
対するジェイクも、静かな口調で言葉を返す。
「もう、ここまでにしないか? バイコーンがいなくなったら、お前の力は半減する。また、不死の能力もなくなる」
それを聞いたエプシロンは、笑みを浮かべた。
「よく調べたなあ。お前は、本当に凄いよ。それに、良い奴だな。大勢の人間を殺した俺を、見逃す気なのか……」
だが、そこでエプシロンの声質が変わった。
「俺はな、お前のそういうところが気に入らなかったんだよ! 優しくて強いジェイク、カッコいいジェイク、みんなのヒーロー・ジェイク……ざけんじゃねえ! 俺はな、そんなお前を殺すためにここに呼び出したんだよ!」




