決戦(2)
その時、後ろに控えていたバイコーンが走り寄ってきた。直後、口を開け何かを吐き出す──
それは、夜の闇よりも暗い球形のエネルギー体だった。サダムの街広場に出現したものと似ており、禍々しい気を放っている。危険なものであるのは、一目でわかった。そもそも、見るだけで気分が悪くなりそうだ。
エネルギー体は、リリスめがけ真っ直ぐ飛んでいく。だが、直前でかき消えてしまった。彼女の体に触れることもなく、瞬時に消滅してしまったのである。
バイコーンは、苛立ったのか地面を思いきり踏みつけた。さらに、リリスらを睨み吠える──
「貴様のような人間風情が、我を再びこの世界から消し去ろうというのか! ふざけおって! エプシロン、まずは女たちの方から片付けろ!」
だが、その指示はエプシロンの耳には届いていなかった。
「どうしたジェイク! 最強の霊拳術士の名が泣くぞ!」
エプシロンの勝ち誇ったような声とともに、彼の拳が放たれた。
飛んできた拳を、ジェイクは受け止める。とんでもなく重い一撃だ。精霊の力により強化された前腕ですら、へし折ることが可能だろう。それほどの衝撃を感じていた。
だが、ジェイクの腕はまだ折れていない。どうにか反撃はできる。
拳を受け止めるのと、ほぼ同時にジェイクの拳も飛ぶ。左右正拳の連撃だ。威力よりもスピードを重視したものであり、当たった直後に引く。それでも、まともに食らって立っていられる者などいない。
しかし、エプシロンは二発とも顔面で受け止める。
「なんだそれは? やる気があるのか? 俺を倒す気なら、これぐらいやってみろ!」
楽しそうな声とともに、またしても拳が飛んでくる。ジェイクは、先ほどと同じく基本通りの形で受けた。だが、今度の攻撃はまるで違うものであった。ジェイクは、後方に吹っ飛んでいく──
霊拳術士が最初に習うのは、攻撃ではなく防御の型だ。攻撃に対する受けの型を、みっちりとやらされる。あまりに地味なため、そこで嫌気がさし離れていく者もいるくらいだ。
その地味で退屈な鍛錬を続け、さらに実戦で磨いて応用してきた経験が、ここで活きた。ジェイクは、エプシロンの拳を受ける寸前で威力が違うことに気づく。と同時に、体が勝手に動き後方へと飛び退いていたのだ。
今のをまともに受けていたら、腕が折れていた……。
ジェイクは、改めてエプシロンの恐ろしさを痛感した。今のところ、奴は本気を出していない。猫が鼠をもてあそぶかのような態度で戦っている。しかし、それでもジェイクにとっては強敵だ。受けるか避けるか、その判断を一瞬でしなければならない。一度の判断ミスが、ジェイクの命取りとなるのだ。
奴との戦力差は圧倒的だった。しかし、逃げるわけにはいかない。
ジェイクは、凄まじい勢いで突進していく。エプシロンの顔に、強烈な突きを叩き込んだ。
しかし、エプシロンは平気な顔をしている。精霊の力で極限まで強化されたジェイクの拳が、全く効いていないらしい。
それでも、ジェイクは攻撃をやめない。なおも拳を打ち込んでいく。真っ直ぐ打ち込む突きから、横からの回し打ち……だが、それでもエプシロンは倒れない。顔を僅かに歪めるだけである。
「その程度か。お前は、こんなに弱かったのか。だから……フィオナは死んだんだよ!」
叫んだ直後、エプシロンは腕をブンと振った。
何の変哲もない、力任せの一撃だった。にもかかわらず、ジェイクは吹っ飛んでいった。
今のエプシロンの攻撃は、当たっていなかった。当たる寸前で避けるつもりであった。
にもかかわらず、奴の手がこちらに迫って来た時、ジェイクは強烈な衝撃を受けたのだ。まるで、台風に襲われたかのようだ。ジェイクは踏ん張ることができず、そのまま飛ばされてしまった。
ジェイクは、どうにか受け身を取り無傷で地面に着地した。奴の攻撃が、少しずつ威力を増している。さらに、魔法のようなものまで……このままだと、どこまで強くなるのか。
それでも、ジェイクは気合いの声と共に、再び突進していった。
今のところ、戦況は作戦の通りに動いている。少ない可能性かもしれないが、勝ち目はあるのだ。
そこに賭けるしかない──
一方、バイコーンは叫んだ。
「貴様ら、我らに立ち向かう理由ほ何だ!? エドマンドやグノーシスといったクズどもが死んで、世の中が良くなったであろうが!」
「それはその通りだよ。しかしな、お前らのせいであっちこっちの店が閉まってる。お陰で、仕事にあぶれて困ってんだ。関係ねえ奴はほっとく、そういうやり方をしてくれりゃ良かったがね」
とぼけた口調で返したのはスノークスだ。すると、バイコーンの目が光った。
「この件に関係のない人間などいない! エドマンドの数々の愚行を知っているのか!? アグダー国の人間が奴をのさばらせた! だから、奴の家族や関係者も殺してやったのだ! グノーシスにしても同じだ! 奴を増長させたのは、両国のバカな人間どもだ! 人間は、犯した罪に対する罰を受けねばならない! だからこそ、我は殺し続けるのだ!」
「お前アホか? そんなこと言ってたら、お前らふたりで人間をひとり残らず殺さなきゃならなくなるんだぞ」
スノークスが、呆れたような口調で言った。だが、バイコーンはせせら笑うだけだ。
「必要なら、そうするまで! エプシロン、何をしているのだ! まずは、こやつらを殺せ!」
だが、エプシロンはバイコーンの言葉など聞いていなかった。彼は、ジェイクと戦うのに夢中らしい。
「何を考えているのだ。さっさと殺せばいいものを……」
言いながら、バイコーンは改めて邪魔者の四人を見回す。と、ひとりに目が止まった。
セリナは呪文の詠唱をしていた。
彼女は、これほどまでに恐ろしい存在と相対したのは初めてだった。子供の頃に聞いた怪談話など比較にならないような怪物が、すぐ近くにいるのだ。ちょっとした衝撃を受けても、膝から崩れ落ちてしまいそうである。
しかし、セリナはどうにか立ち続けていた。ここで自分が倒れたら、全てが終わるのだ。何があろうとも、倒れるわけにはいかない……彼女は、必死の形相で呪文の詠唱を続けていた。
と、彼女の耳にバイコーンの声が聞こえてきた。
「ライブラ教の聖女よ! ライブラ教のグノーシスが、これまで何をやっていたか知っているか!? 奴のせいで、何人もの罪なき者が死んでいったことか! お前は、そんな下種から教わった魔法に頼らねば戦えないのか? 恥の意識がないのか?」
途端に、セリナの表情が歪む。詠唱の言葉も、微妙にズレていった。このままでは、結界が消えてしまう──
だが、そこでアランの声が割って入る。
「恥の意識、ねえ。俺も似たようなこと、さんざん言われたよ。臆病者だの放蕩息子だのアデール家の面汚しだの、な。でもよ、俺にはジェイクがいたし、団長もいた。他の人間が何を言おうが、ふたりは俺を認めてくれた。笑って迎えてくれた。だから俺は、ジェイクのために命懸けられんだよ」
その声は震えている。それでも、セリナに対しいくばくかの効果はあったらしい。詠唱にズレがなくなり、元の通りに唱えられていった。
アランの言葉は、それだけでは終わらなかった。
「バイコーンよう、偉そうなこと言ってるけどさ、お前こそ魔界の力に頼らなきゃ戦えねえ卑怯者じゃないのか? そうじゃないと言うなら、てめえひとりの力で戦ってみろよ」
「なんだと……」
バイコーンは低く唸る。直後、その瞳が異様な光を放った。
一瞬遅れて、バイコーンの周辺の土が揺れ出した──




