決戦(1)
「確かに、いるだけで暗い気分になってくるな」
辺りを見回し、アランが呟いた。夜になり、気温も低くなっている。にもかかわらず、その額には汗が滲んでいた。
「いや、これでもマシになったんだよ。俺たちが来た時は、もっとひどかった」
ジェイクが答えた。
満月の光に照らされたその場所は、黒く煤けた広原だった。草もまばらで、地面は灰と焦げ土が混ざり合い、踏めば乾いた音を立てて崩れた。
枯れた樹々が数本、打ち込まれた杭のように立ち尽くしていた。枝先は、焼け焦げて曲がっている。
「これは魔法……いや、呪法によるものだね」
リリスの言葉に、セリナが反応する。
「どういうことですか? 魔法とは違うのですか?」
「魔法は、ほとんどの場合すぐに効果が出てすぐに消える。でも、呪法は違う。中には、何百年も効果が続くものがある。この地は、完全に呪われてるよ。となると、エプシロンみたいな奴にとっては居心地いい場所ってことさ」
顔をしかめつつ、答えたリリス。セリナもまた、険しい表情で頷く。
一行は、エプシロンの指定通り煤け野原にやってきた。
かつては集落があったというその地は、今や人はおろか虫すら近づかぬ場所となっていた。空に満月は出ているが、エプシロンの姿はない。
「あいつ、どうしたのかね」
そっと呟いたのはスノークスだったが、直後に時空の歪みが発生する。
「お喋りはそこまでだよ! 奴が来る!」
リリスが叫ぶ。と同時に、周辺を漂う空気が一変した──
「おいおい、本当かよ……俺たち、あんなのとやり合うのか?」
スノークスが呟く。
現れたエプシロンは、以前ジェイクの前に現れた時と同じ姿であった。顔は真っ白に塗られており、目の周りと口だけは赤く染まっている。まるで、血の涙を流しているかのようだ。
肩まで伸びた髪は、闇すらも凌駕する漆黒の色だ。黒の上下を着た体はほっそりしているが、全身からは異様な「気」を発している。
そんなエプシロンから、少し離れた位置に立っているのはバイコーンだ。漆黒の毛に覆われた体に、曲がった二本の角が特徴的である。殺意に満ちた目で、こちらを睨んでいた。
「ったく、これじゃ割に合わないね。間近で見ると、想像とは別モンだわ。ここまでの化け物だって知ってりゃ、絶対に引き受けなかったよ」
リリスが苦笑しながら言った。その時、エプシロンが恭しい態度で頭を下げる。
「私の招きに、応じていただき光栄です。しかし、残念なことにワインも料理も用意しておりません。となると、これは……申し訳ないですが、あなたがたには極上の苦痛を味わっていただくとしましょう。そして、私のご馳走となっていただきます。特にジェイク、あなたはさぞかし美味でしょうな」
そう言うと、エプシロンは舌なめずりをする。
思わず後ずさった一行だったが、ジェイクは違っていた。何を思ったか、エプシロンに向かい歩きだしたのだ。静かな表情であり、戦意は全く感じられない。
「お、おい! 何やってんだバカ!」
スノークスが喚いたが、ジェイクに止まる気配はない。そのまま、エプシロンの前まで進んでいく。
手の届くか届かないかという位置で立ち止まると、口を開く。
「エプシロン……俺は、フィオナの死の真相を知ったよ。お前がいなければ、一生わからなかったことだろうな。本当にありがとう。お前には、感謝してもしきれないよ」
穏やかな表情で言うと、深々と頭を下げた。
アランたちは唖然となっていたが、ジェイクの話はここからが本番だった。
「お前の気持ちは、痛いほどわかる。俺も、レオニスから話を聞いた時は、あいつを殺したい衝動を堪えるのに必死だったよ。今になっても、レオニスを殺しておけば良かったと思う時がある」
そこで、ジェイクは言葉を止めた。
次の瞬間、エプシロンに向かい土下座したのだ──
「頼むから、ここまでにしてくれ! お前の復讐に巻き込まれ、大勢の人の血が流れたんだ! これは、もうフィオナの仇討ちじゃない! ただの殺戮だ! もう充分じゃないのか!?」
叫ぶジェイクを見て、リリスが舌打ちした。
「あの拳術バカは……本当に、どうしようもない奴だよ。いつになったら学習すんのかね」
そんな中、ジェイクはなおも叫び続ける。
「気がすまないというなら、俺の命をくれてやる! だから、これ以上の罪を重ねないでくれ! お前は、フィオナと俺の親友だった! 俺は今も、お前を親友だと思っている! お願いだ! ここまでにしてくれ」
言いながら、額を地に擦りつけた。
聞いている者たちは愕然となる。ジェイクは、自分の命を代償にしてエプシロンを止める気なのか……。
「ジェイクさん! バカなことはやめてください!」
セリナが叫んだ時、ようやくエプシロンが口を開く。
「お前のせいだ」
その声は、先ほどのものとは違っていた。紛れもなく、エプシロン本来の声だった。
「お前がいたから……お前さえ現れなければ!」
叫んだ直後、エプシロンは片手でジェイクを持ち上げる。
直後、ゴミでも放るかのように投げつけた。
ジェイクの体は宙を飛んでいくが、体を回転させて受け身をとり着地した。その目には、涙が浮かんでいる。
一方、エプシロンは楽しそうに笑った。
「実にくだらない。あなたは、歩いていて虫を踏み潰したからといって、嘆き悲しむのですか? 歩くのをやめますか? それに、どちらにしても、あなたがここで死ぬことに変わりはありません」
からかうような口調だった。声は、先ほどの怪物のものに戻っている。
そして、エプシロンは両手を広げ天を仰いだ。
「では、料理をいただくとしますか。特にジェイク、あなたはメイン料理ですから……まずは他の方々を、前菜としていただくとしましょう」
その時、セリナが口を開く。
「私は、ライブラ教聖女のセリナです。ジェイクさんから話を聞いた時、あなたの怒りはもっともだと思いました。グノーシスのしたことは、心底恥ずべき悪行です。ライブラ教の信徒として、本当に申し訳ないとしか言いようがありません。心から、お詫び申し上げます」
そう言うと、セリナは深々と頭を下げた。だが、次の瞬間には表情が一変していた。
「しかし、今のあなたの行動を見てはっきりわかりました。ジェイクさんの、命懸けの言葉すら嘲笑されていましたね……あなたは、血に飢えた地獄の亡者です! ご自身の姿を、これまでしてきた所業を、亡くなったフィオナさんに見せられるのですか!?」
叫ぶセリナ。だが、エプシロンはせせら笑うだけだ。
「ハッハッハ、面白いことを言いますね。あなたひとりの謝罪で、済むとでも思っているのですか? 教会で、バカどもを誑かす説教をして満足していればいいものを……私はね、あなたのような美しい女性が苦痛で泣き叫びながら死ぬのを見るのが、何より好きなのですよ。まず、手足を引きちぎってあげましょう。そして、内臓のひとつひとつを取り出してあげますよ。自分の内臓と初対面! なんという素晴らしい光景なのでしょうか!」
恐ろしい台詞を吐いた直後、ゲラゲラ笑う。その姿は、まさに悪魔そのものであった。
恐怖のあまり、セリナの体が震え出した。その時、リリスが彼女の肩をつかむ。
「ビビったら駄目だ。こっちをビビらせて力を発揮させない、それが奴らの作戦なんだよ。こっちも、作戦通りやるしかない。頼んだよセリナ!」
言うと同時に、リリスは呪文の詠唱を始めた。と、地面が輝き始める。さらに、土の上に奇怪な文字が浮かびあがった。光る象形文字のようなものだ。
同時に、セリナも呪文を唱える。と、彼女の体から光が放たれる。光は、あっという間に五人を包んでいった。




