彼らの覚悟
グノーシスの爆死……という恐ろしい事件から一日が経った。しかし、サダムの街は未だ……いや、昨日よりもさらに混乱していた。
なにせ、この世界でも五本の指に入る巨大な宗教団体『ライブラ教』のグノーシス枢機卿が亡くなったのだ。しかも、ピューマという殺し屋が、グノーシスに命じられて行なった殺人を告白したのだ。これは、ライブラ教にとって一大スキャンダルであろう。
今のところ、ライブラ教団内では「あのピューマという男は嘘を言っている。グノーシス枢機卿は、ライブラ教の壊滅を図る邪教の呪いにより亡くなったのだ」という意見と、「いや、グノーシス枢機卿にはおかしなところがあった。あの人のやり方に反対した者が、辺境の地に飛ばされることは珍しくなかった。また、数年前に枢機卿の座を争ったグレアム司祭は事故で亡くなっている。偶然にしてはできすぎだ」という意見に分かれている。
もっとも、ジェイクらにはライブラ教の揉め事など関係なかった。その日の夜、ジェイクらはサダムの街の宿屋にて作戦会議を開いていた。
「煤け野原って、どこにあるんだ? 聞いたことねえぞ」
アランの問いに、ジェイクは複雑な表情を浮かべ答える
「ここから、歩いて五日から七日くらいで着くところだよ。まあ、煤け野原ってのはエプシロンが付けたあだ名みたいなもんだからな。正式な名前が何なのかは知らんよ。とにかく、場所はわかっている」
「エプシロンさんが名付けたんですか……」
セリナの言葉に、ジェイクは複雑な表情で頷いた。
「そうなんだよ。ちょい野暮用があってな、そこに俺とフィオナとエプシロンの三人で行ったんだよ。そしたら、見るからに憂鬱になりそうな場所でな、三人ともげんなりしてたんだ。その時フィオナが、ここは煤けた場所だな……って呟いたんだよ。それを聞いたエプシロンが、ここを煤け野原と名付けよう、なんて言い出した。以来、俺たち三人はそこを煤け野原と呼ぶようになったのさ」
そこで、ジェイクの表情に陰がさす。だが、それは一瞬であった。
「みんなも、グノーシスの死に様を見たろ。今のエプシロンは、あんなことができる化け物なんだよ。俺が今まで戦った化け物どもの中でも、間違いなく最強だ」
「最強、か。勝つ確率はどのくらいだ?」
尋ねたのはスノークスだ。いつもと違い、真面目な表情になっている。
「五人全員が持てる力をフルに発揮でき、幸運に恵まれ、俺の作戦が通じたなら勝つ見込みはあるよ。だが、それでも五分五分じゃないかと思う。それに、戦いって奴は思ってもいなかったことが起きる。エプシロンの力も、全てわかったわけじゃない。だから五分五分ってのは、全てが都合よく運んだ上での話だ」
「じゃあ、その幸運に恵まれなかった場合は?」
不安そうな様子で聞いてきたアランに、ジェイクは答えた。
「一割あるかないか、だろうな」
そこで、ジェイクは皆の顔を見回す。
「降りたい奴は、降りてもらっても構わない。もともと、これは俺とあいつの問題だしな。俺は、ひとりでもあいつを止める」
「バカ言うんじゃないよ。ひとりで行ってどうすんのさ。あんたが死にたくて仕方ないならほっとくけど、そうじゃないんだろ? あいつを止めたいんだろ? だったら、あたしにも付き合わせてよ。だいたい、あたし抜きじゃあバイコーンを仕留められないんだよ」
リリスが言い、続いてセリナが口を開く。
「ジェイクさんは間違っています。もう、あなたとエプシロンさんだけの問題ではありません。エプシロンさんを怪物に変えてしまった責任は、私たちライブラ教にもあるのです。それに、聖女の称号を戴く身として、人々の平和を乱す者を放ってはおけません。私も行きます」
セリナが己の決意を語り終えると、今度はアランが喋り出した。
「俺は今まで、臆病者だのヘタレ野郎だの、いろいろ言われてきたよ。まあ、実際そうだしな。今だって、エプシロンが怖くて仕方ないよ」
「それはお前だけじゃない。あいつが怖くない、なんて奴がいたら、そいつは嘘つきか大バカ者だよ」
ジェイクが言うと、アランは頷き話を続ける。
「てもさ、ここで逃げたら、俺は本物の臆病者になっちまうんだよ。放蕩息子な上に臆病者なんて、シャレにもならねえよ。だから、俺はやる。やらせてくれよ」
そこで、スノークスも口を開く。
「こんな金にもならねえ仕事、普通なら絶対に引き受けねえ。でも、これはチャンスかもしれねえぞ、と思ったわけだよ」
「何のチャンスだ?」
訝しげな表情で尋ねたジェイクに、スノークスは自分の顔を撫でつつ答える。
「俺はな、ジェイクやアランみたいなイイ男じゃない。だから、普通にしてたら女にゃモテねえんだよ」
「お前、こんな時に何を言ってるんだ?」
呆れた表情で言ったアランだったが、スノークスは表情ひとつ変えず語り続ける。
「バカ野郎、こんな時だから言ってんだ。俺はな、若い女の子からキャーキャー言われてえんだよ。だが、俺みたいなオッサンがキャーキャー言われるには、普通じゃないことをやらなきゃならねえ。それこそ、世間があっと驚くようなことをな。アグダー帝国の名だたる大物を次々と殺した最凶の怪物エプシロン……しかし、その怪物を討ち果たしたメンバーの中に、このスノークスがいた。それだけで、俺はもうモテモテよ」
「そのために命懸けて、あの化け物と戦おうってのかい。おめでたい奴だよ、あんたは」
リリスが笑いながら言った。皆に漂っていた緊張した空気は、いつの間にか無くなっていた。
「フン、お前みたいに、ほっといても男が寄ってくるような女にゃわからねえよ。俺はな、若い女にキャーキャー言われるためなら命を懸ける」
そんなことを言って胸を張るスノークスに、今度はセリナが声をかける。
「もし生きて帰れたら、私でよければキャーキャー言いますよ」
「そいつはありがてえ」
それからしばらくして、アランはリリスの部屋を訪れた。
エプシロンとの戦いで、生きて帰ったら己の気持ちを告げる……そう決めたはずだった。
しかし、アランは間近で見てしまったのだ。爆死したグノーシスの姿は、あまりにも無残なものであった。
先ほどは、皆の前で勇ましいことを言った。しかし、部屋でひとりになると恐怖が込み上げてくる。自分も、あんな死に様を迎えるのではないか……そう思ったら、いても立ってもいられなくなった。
やはり、命あるうちに言っておきたい。アランはドアをノックした。
「あ、あの……」
声が上ずっている。足も震えていた。放蕩息子などと言われているが、実のところアランはひとりの女と深い関係になったことはない。村娘に声をかけたりはするが、手を出したこともない。
「どうかしたのかい?」
不思議そうな顔で聞いてきたリリスに、アランはどうにか口を開く。
「あなたに、言わなくちゃならないことがあります。もしかしたら、生きて帰れないかもしれませんから……」
そこで、アランは息を吸い込む。
「俺は、あ──」
言い終えることはできなかった。リリスの手が伸び、アランの口を塞いだからだ。
「前にも言ったろ。言いたいことがあるなら、胸の内にしまっておくんだ。生きて帰った時のためにね。極限状況では、強い奴が必ずしも生き残るとは限らない。生きなきゃならない理由がある奴が生き残るんだよ」
そこで、リリスは手を離した。
「あんたにも、生き残らなきゃならない理由ができちゃったわけだ。だからさ、絶対に死ぬんじゃないよ。一緒に生きて帰ろう」
その言葉に、アランの表情が変わっていく。彼女の部屋を訪れた時は、死人のような顔色だった。しかし今は、覚悟を決めた男の顔つきになっている。
「わかりました。俺、必ず生き残ります。そして、あなたにここで言えなかったことを言います」
「あ、でも言っておくよ。若くて可愛い魔女を紹介してくれ、なんて話だったら、魔法であんたを蛙にしてやるからね」
「違いますよ!」




