34 お前とお前は帰ってよし
「じゃあ、選ばれた二人は――」
最後の宣告の最中に生じた数瞬のタメ。
それを永遠のように感じながら、晃は霜山の口元を凝視する。
「――もう、帰っていいよ」
言われた意味が飲み込めず、晃はただポェーと口を開ける。
優希を見ると、デカめのイカを丸ごと飲み込んで咽喉に詰まらせたような、呼吸困難寸前な表情で固まっていた。
このタイミングで告げられる「帰っていい」は、一体どういう意味なのか。
誰も何も言わない時間が一分近く続いた後、霜山が頬を掻きながら言う。
「あれ、伝わってないのかな? だから、帰っていいって」
「ぅあのっ!? そそそそそれは……どういうっ!?」
動揺で音量調節が故障気味なのか、無駄に大声で訊く優希。
そんな彼女に、霜山は小さく手を振りながら答える。
「どうもこうも、もういいんだって。キミとアキラ君は、ここから出て帰っていいよ。これでバイバイだ」
「ババイババイババ、バイバイキーンだ」
霜山に続いて、クロが無意味で下らないことを元気一杯に告げる。
普通に考えれば、これは罠とかイヤガラセとか、そういうのだろう。
希望を持たせてから「嘘だよバーカ!」って流れで絶望を深める、みたいな。
いい加減に感覚が麻痺してきて、晃としても「あーハイハイそうですかー」的な、捨て鉢な気分にしかならない。
騙されるのは、これで何度目だ。
期待を裏切られるのは何回目だ。
今度もまたそうだろうと思いつつ、晃は微かな希望を抱くのを止められない。
似たようなパターンを何度もやってるし、流石にしつこいのではないか、と。
もしかしたら、という感情を表に出さないようにボンヤリ佇んでいると、いつの間にか近付いてきたリョウが、晃のポケットに手を突っ込んでくる。
「うぉ――なっ、何だ?」
「念のため、コイツは没収だ」
スマホとサイフが奪われ、コンビニで買ったミニライトだけが投げ返された。
リョウは優希のところへ向かって、同じような持ち物検査を繰り返す。
これはもしかして、もしかすると――本当に逃がしてくれるのか。
そう期待させてから、目の前でスマホを壊して終わり、かもしれないが。
不信感に苛まれつつ、次は何をしてくるのかと晃は身構える。
するとリョウは、慶太の指を切断したあのナイフを再び持ち出した。
「ぁぐっ――」
惨劇を予感し、反射的に呻き声を上げる晃。
「落ち着け、そうビビんなって」
下手糞なウインクをすると、リョウは手にしたナイフを躍らせる。
そして素早い動きで、優希を縛っていたタイラップを切り離した。
腕ごと斬る、みたいなデタラメぶりを見せることなく、ごく普通に。
久々に両手の自由を回復し優希は、赤くなった手首を擦っている優希。
不審げに眉根を寄せ、霜山とリョウとクロを順繰りに見ていく。
「んじゃ、お疲れ!」
「バッハハァーイ!」
小刻みに震えながら、怯えた様子でキョトキョトしている優希。
そんな彼女に、リョウとクロはふざけた態度で別れを告げる。
帰る? 帰れる? 本当に? 何で急に、そんなことに?
意味不明としか言いようのない展開に、晃も思考停止に近い状態だ。
やはり急展開についていけないのか、慶太と玲次と佳織もポカンとしていた。
「えっ、あの……えっ?」
どういうこと? と訊きたげに、優希が晃の方を窺う。
しかし晃も混乱中で、黙って頭を振ることしかできない。
「おぅふぁ!?」
不意に首が締まって、晃は情けない声を発した。
背後から襟首を掴まれ、荒っぽく引っ張られている感覚。
ミリミリッ、と布地が裂ける音がする。
「はいはーい、お帰りはコチラでーす」
「ちょっ、そんっ、待っ――」
抗議の声はシカトされ、ドアの方へと体が引きずられる。
晃と同様に優希も追い立てられ、二人は今まで監禁されていた部屋の外に、文字通り放り出された。
「まうっ!」
四つん這いで唖然とする晃の尻に、強めの蹴りが入った。
予期せぬ一撃に、顔から床に突っ込んでしまう。
顎を強打して悶絶する晃の頭上から、リョウの声が降ってくる。
「ホラ、グズグズしねぇで帰った帰った。霜山さんの話、聞いてただろ」
「ひゃいっ、きゃ――か、かえりまふっ!」
呂律の怪しくなっている優希が、晃に代わって答える。
晃は鉄の味を感じながら体を起こし、右の掌で顔を拭う。
指先が赤色に染まる――唇か口の中が切れているようだ。
「あの扉の先に行け。そしたら全部を忘れろ。次に会ったら……わかるな」
感情の見えないリョウの言葉に、晃と優希は何度も何度も頷いた。
それから小走りに廊下を進み、指示に従い重い金属製の扉を抜ける。
よろめき出た先は、まるでどこだかわからない薄暗い場所。
病院の中なのだろうが、位置も階数も見当がつかない。
そして背後から、鉄の扉が乱暴に閉められる派手な音が響く。
「ふぅっ――はぁあああぁ……」
二人の発した溜息が重なって、暗がりに溶けていく。
それからはもう、乱れた呼吸音と喧しい心拍音だけしか聞こえない。
数分で落ち着いてきたので、暗さに慣れてきた晃は優希の様子を確認。
まだ恐怖と興奮が収まってないのか、両手を交差させ震える肩を抱いている。
そして喘息めいた濁った音が、変な強弱をつけて漏れていた。
待つしかなさそうだ、と判断して優希を見つめる晃。
しばらくして、やっと我に返った様子の優希が、視線を察したらしく晃を見返す。
互いに互いの死を望んでしまった、気まずいにも限度がある関係性。
それは修復のしようもないが、とりあえず棚上げしておくしかない。
ここから何をどうするにしても、協力は不可欠だろう。
そんなことを考えながら見つめ合っていると、優希が深々と息を吐く。
「ふぅうううううううぅ……」
俯いていた優希が顔を上げると、そこには名状し難い複雑な感情が宿っている――ように見えた。
晃と同様に、さっきまでのアレコレを消化しきれていないのだろう。
とりあえず謝るべきかな、と晃が迷っていると優希が問いを発する。
「で……どうすんの?」
「どうするって……何を」
「何って……これから」
滑らかさのまるでない、途切れ途切れのぎこちない会話。
しかし、優希からの質問は根本的だし、重要だった。
連中の気まぐれか、イヤガラセの一環か、理由はよくわからない。
だけど、晃と優希は自由の身になっている。
それで、これからどうするのか。
いくつものシミュレートが、晃の頭に浮かんでくる。
現実的な選択肢ならば「逃げて助けを呼ぶ」しかないだろう。
問題は、電波の届く場所や公衆電話に辿り着くまでの時間だ。
もし警官の到着までに三時間か四時間がかかるなら、事態は絶望的。
その頃には、残された三人は死体になっているに違いない。
ならば、こちらから反撃して、三人の身柄を確保するか。
だが、救出が成功するまでの筋道は全く浮かんでこない。
慶太も玲次も軽々と蹴散らした連中――特にリョウに勝てる方法は、晃にはまるで思い付かない。
まとまらない思考に翻弄されていると、優希がポツリと呟く。
「とりあえず、あいつらから離れたい」
「……そう、ですね」
優希からの提案に、晃も同意してミニライトを点灯。
頼りない明かりに照らされた足元は、中々に雑然としている。
ここから離れるのは、何だか間違っている気がしてならない――
そんな感覚を振り捨て、晃は無言で、足早に、どこへともなく進んでいく。
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