29 いのちのせんたく
今回から4章の開始です……しばらく胸糞展開が続くので御注意を。
何もかも、終わりだ――
どうにもならない現状認識に、晃の全身から力が抜けていった。
もうダメだとの諦めが溢れて、思考能力は猛スピードで低下していく。
ここで投げてしまったら、本当におしまいだとわかっている。
わかっているけど、身も心も疲れ果てて何も考えられない。
いや、たぶん何も考えたくないんだろう。
翔騎を殺してしまった慶太は、震える両手を呆然と眺めている。
頭の中には、人生で最大級の混乱が渦巻いているはずだ。
玲次と優希も、青白い顔になって黙りこくっていた。
なげやりさと沈痛さが混ざる奇妙な空気は、クロの言葉で乱される。
「はいはーい、お疲れちゃーん。これでオメェも『こっち側』デビューだなぁ……どうよ、メデタく殺人犯になった気分は? 最高ですかっ!? 元気ですかー!?」
どこかで聞いたようなフレーズの質問が、フザケた言い回しで投げられる。
心の底から楽しげな表情で、慶太の両方の鼻の穴に指を突っ込みながら。
いつの間にか、人質にされていた佳織は打ち棄てられていた。
人の死を目撃したことで生じた厳かな雰囲気は、瞬く間に掻き消されていく。
「ぐぁ――ひゃ、ひゃめろぁ! ぷぁ! お、お前らの言う通り、やっただろ……やってやった! これで終わりだ! 終わりなんだろっ!」
勢いよく顔を左右に振り、慶太はクロのかました鼻フックを外す。
そしてアロハの裾を掴んで訴えるが、その返答は顔面への手刀の一撃だ。
「んベっ――」
「何度も言ってっけどなぁ、何をどうするかの決定権ってのは、お前らには与えられてねぇのよ。なぁリョウ?」
「ああ……物覚え悪すぎて、ちょいダルいね」
クロに話を振られ、実況役を終了して素に戻ったリョウが答える。
リョウの視線は、連中のリーダーらしい霜山へと向けられていた。
次の指示を待っている状態、なのだろうか。
絶望的な状況が終わった安堵感は、新たな絶望が始まりそうな予感に染まりつつある。
「なぁっ、シモヤマ! これで終わり、なんだろ? アイツを殺したら、それで終わりだって言ったじゃねえかよ、なぁ!?」
「さん、が足りてねぇんだ、よっ!」
「ぅだっっ! あ……う、うぅ」
リョウに肩を蹴り飛ばされ、慶太は横倒しになって床を滑る。
霜山は俯き加減に顎を擦り、何事か考えているようだ。
意味ありげなポーズを十秒ほど続け、不意に顔を上げて晃の方を見た。
その表情は古い記憶を刺激して、晃に小学生時代の日常を思い出させる。
霜山に重なったのは、悪質な悪戯を思いついた瞬間の、怜次の半笑い。
「終わりにするつもり、だったんだけど」
含みを持たせた言葉に、冷え冷えとした緊張が広がった。
目を逸らしたい晃だが、そうするべきではないと本能が告げてくる。
口の中が急速に乾くのを感じながら、黙って次の言葉を待つ。
長い溜息を吐いた霜山は、半笑いを消し去った真顔で晃を指差す。
「そもそもボクは、キミを指名したよね……金髪クンをやれって時に」
「うぁ!? たっ、確かにそうだったけど……でもっ! ケイちゃんがかっ、代わるって言って! そっちもそれでOKだって、そう言ったんじゃ……」
突然に話を振られ、しどろもどろになりつつも晃は抗弁する。
対する霜山は、不思議な形をしたゴミを見ているような目だ。
脂汗を滲ませて言い訳する晃をしばらく眺め、仲間に問い掛けた。
「……そんなこと、言ったかな?」
「覚えてねぇなー」
「どうだったかねぇ」
リョウとクロは、二人してニヤつきながら霜山に答える。
更に食い下がろうとした晃は、そこで意図に気付いてしまう。
気付いたところで、絶望は深度を増すだけだったが。
これはゲームなんだ。
実際に言ったかどうか、なんてのは関係ない。
全ては霜山たちの気分次第で進行し、ルールも展開もコロコロと変わる。
そういうゲームに自分らは参加させられているのだ、と。
そして、まともにプレイしても勝利するチャンスは億に一つもない。
出来ることは、ゲームマスターが飽きるのを待つか、もしくは――
「だからぁ、もう! もぉう、いいだろうが!」
「兄貴っ――」
今の流れをどう変えるべきか晃が頭を悩ませていると、倒れていた慶太が唐突に身を起こし、霜山に怒鳴り散らし始めた。
玲次が止めようとするが、シカトして慶太は続ける。
「俺も、俺らもっ……殺しちまったんだから……だから警察なんか、行けねぇ……あんたらと同じでっ! だから、ここでは何もなかったんだっ! なぁ、そうだろ!?」
「ボクらと同じ、ね」
「死体の処理を手伝えってんなら、それもやる……車もあるから、運んでどっかに埋めろってんなら、そうすっから、だから! 頼むよ、マジで……本当に、お願いします。何でもするんで、もう終わりに、終わりにして下さぁあああい!」
慶太は土下座らしきポーズを作って、大声で霜山に懇願する。
体中の痛みに耐えられないのか、殴り潰されたカエルみたいな不格好さで。
玲次も、佳織も、優希も、形振り構わない慶太に驚いているのか引いているのか、微動だにせずに状況の推移を見守る。
でも、これはダメだ――悪手のオンパレードだ。
失敗を確信した晃は、右手の甲で額に浮いている汗を拭う。
下手な駆け引きを持ち出しても、ひたすらイラつかせるだけ。
同情や共感を得ようとするのも、無駄な努力にしかならない。
みっともない絶対服従宣言も、連中の耳を素通りしているだろう。
そもそもが、こちらは生殺与奪の権を預けている状況なのだ。
虫籠のクワガタや、バケツのザリガニと大体一緒。
昆虫や甲殻類を相手に、どこの馬鹿が交渉を始めるというのか。
「さて、と……どうしたもんかな」
「何でもする、って言われても困りますねぇ」
「あ、久々にアレいいんじゃね、アレ」
「アレってのは?」
「アレはアレだよ、いのちのせんたく」
案の定、霜山たちは楽しげに物騒な相談を開始した。
クロが言う『いのちのせんたく』とは何だろうか。
口ぶりと態度からして、まさか温泉ってこともないだろうが。
晃の不安を煽るように、リョウが乾いた笑いを漏らす。
「ホントに趣味悪いんだからなぁ、クロさんは」
「非の打ち所がない紳士に対し、風評被害じゃんよ……で、どうします」
「うん、それで行こうか……じゃあ、今度こそキミの番だ」
霜山の視線が晃に向けられ、クロとリョウは顔を見合わせて頷く。
そしてリョウは、土下座を続ける慶太に大股で近付くと、その腕を取って再びタイラップで後ろ手に縛り上げた。
それから抵抗する気力もない様子の慶太を引きずり、クロが間隔を空けて座らせた玲次たちの列に並べる。
成り行きを呆然と見守る晃の肩が、リョウの大きな手で強く叩かれた。
「おぅひっ!」
「さぁて、アキラ君の見せ場だぞ」
「見せ……えっ? 何の?」
再び回ってきた自分のターンに、晃は困惑しかない感じで問い返す。
霜山はアホな駄犬にウンザリしているような、ダルそうな態度で言う。
「今度こそ、キミが殺せば終わり。またウダウダ言われるのも面倒だから、今回は決めるだけでいい」
「決める、って……何を、ですか?」
「キミらの中で、誰を殺すのかを」
霜山の言葉は、晃の頭の中で意味を形作るまで随分と時間がかかった。
自分達の中で、誰を殺すか――それを決めろっていうのか。
クロが言っていたのは、『命の選択』という意味だったのか。
どんな場面で聞いても、タチの悪い冗談としか思えない指示だ。
しかし、すぐ傍に撲殺死体が転がっている状況では、笑うに笑えない。




