18　ここはドコ？　おまえはダレ？

　ドンッ――ゴン――ドン――ゴッ――

　どこかで鳴っている音が、晃《アキラ》の意識を空白から引き戻した。

　体は上手く動かず、無理に動こうとすれば、頭と首に強い痛みが走る。

　自分が横になっていると気付いて、起き上がろうとするが手が使えない。

　硬くザラついた床からは、生温《なまぬる》い感触が頬《ほお》に伝わってくる。

「うぅ……くっ、ふっ」

　どうやら、後ろ手に縛《しば》られた状態で転がされているようだ。

　目に映るのは、濃い黒カビが斑《まだら》に広がった、コンクリートの壁。

　それと、床に散らばっている直径一センチくらいの金属の輪だけ。

　ワッシャーとか皿バネとか、そういうものだろうか。

　

「どこだよ、ココは……」

　独り言を呟《つぶや》きつつ、反動と腹筋を使って無理矢理に上体を起こす晃。

　灰色の天井を見上げると、煤《すす》のような汚れが付着した照明が光っている。

　電気が通っている様子だが、この部屋も灰谷《はいたに》病院の中にあるのか。

　全面コンクリート打ちっ放しの、文字通りに何もない六畳くらいの空間。

　ポケットの感触からして、スマホや財布はそのままのようだ。

　しかし、手が使えないので取り出せそうにない。

　ドン――ドッ――ゴコッ――ドン――

　どこからか響いてくる衝突音は、まだ続いている。

　半覚醒の状態で耳にした時より、ちょっと小さく感じられた。

　耳を澄ますと、古い照明に特有のジーッという低音も聴こえてくる。

　不安感がジワジワと募《つの》り、意味もなく周囲を見回す。

　やはり何もない――意味ありげなガラクタや、落書きの類《たぐい》も見当たらない。

「……ドアノブすら、ないのかよ」

　壁に埋もれるように設《しつら》えられた、金属製の鈍色《にびいろ》の扉。

　何となく、内側からだと開けられないような雰囲気があった。

　大声で叫びたい気分だが、今の自分がどんな状況なのかわからない。

　なので、迂闊《うかつ》な行動は控《ひか》えた方がよさそうだ。

　そう判断した晃は、とりあえず何か変化が起きてくれるのを待つ。

　ただボンヤリしていると、うっかり寝てしまうかもしれない。

　それは危険な気もするので、痛む頭を回転させて晃は考える。

　多少の空腹感や喉《のど》の渇《かわ》きはあるが、耐えられない程でもないようだ。

　つまり、あの大男との遭遇《そうぐう》からそんなに時間は経ってない、ということ。

「やっぱ病院のどっか、だろうな」

　立ち上がった晃は、唯一の出入口であるドアを調べてみる。

　体重をかけて肩からぶつかるが、微《かす》かにガタつくだけ。

　引き戸の可能性を考え、足で動かそうと試《こころ》みるが無反応。

　外から施錠《せじょう》されているか、閂《かんぬき》を掛けられているようだ。

　そこまで頑丈《がんじょう》でもなさそうだが、壊せる自信もまるでない。

　ドッ――ドン――ドン――ガゴッ――

　状況を変えられそうなヒントは、この音だけしかないか。

　カウントしてみると、四秒か五秒に一回ペースで鳴ってるようだ

　時々三秒くらいだったり七秒近かったりと、間隔《かんかく》にバラつきがある。

　この不安定さは、機械音ではなく人間の仕業だから、かもしれない。

　謎めいた音の出所を探ろうと、晃は行動を開始する。

「こっち、左からだ」

　四方の壁と床に耳を当て、音の響き方を調べた晃は見当をつける。

　ドアがあるのを正面と考えて、その左側から来ていた。

　そして、音の感じからして壁ではなくドアを蹴っている、と判断。

　もしかすると、誰かがドアを蹴破《けやぶ》ろうとしている音なのかも。

　慶太《ケイタ》か、玲次《レイジ》か――でなければ、霜山《シモヤマ》とかいう小デブか。

　佳織《カオリ》や優希《ユキ》は、そこまでアグレッシブじゃなさそうだ。

「ココに俺が……いや、俺とわからなくても、誰かいるのを教えないと」

　そんなことを考えながら、晃は中程度の力でドアを蹴ってみる。

　ゴンッ、と思ったより大きな音が鳴ると、外からの音が途絶《とだ》えた。

「伝わった、のか？」

　反応がないので、二度三度と蹴っ飛ばして様子を見る。

　一分ほどの無音が続いた後、さっきまでと同じペースで衝突音が再開される。

　リアクションがあったから、音が聞こえなかったとは考え難い。

　となるとアレを人が――俺が発したと認識していないのか。

　どうすれば「近くに誰かいる」と伝わるかの方法を考える晃。

　しばらく悩んでから、音が鳴った直後にドアを蹴るのを選択した。

　ドン『ガッ』――ゴッ『ガン』――ドン『ゴッ』――ドッ『ドンッ』――

　変なリズムゲームが二十往復ほど繰り広げられた後、不意に音が止まる。

　やっと伝わったか、と晃は安堵《あんど》の溜息を吐《つ》いた。

　次のアクションを待つが、二分近く経ってもウンともスンともない。

　またドアを蹴ったり、大声で呼び掛けたりと、コチラから動くべきか。

　相手もどうするか迷っている可能性があるので、しばらく待つことに。

　待っている間に拘束《こうそく》を外そうとする晃だが、力が入らずに上手くいかない。

　強引に動かそうとすると、ちょっと無理な痛みが発生する。

　両手首と親指の付け根が、何かでギチギチに締め上げられているようだ。

　壁や床に突起《とっき》でもあったら、それを使って壊せるかもしれない。

　そう閃《ひらめ》いて探してみるが、そんな都合のいい箇所《かしょ》は見当たらなかった。

「しかし……何の部屋だよ、ココは」

　探すのを断念した晃は、小声で呟いて天井を見上げる。

　元は精神病院だし、閉鎖病棟《へいさびょうとう》の一部ってセンはありそうだ。

　しかし、こんな何もない密閉空間にするだろうか、との疑問も浮かぶ。

　思考が行き止まりに入ってしまったので、別の方向へと切り替える。

　そこでよくない想像が始まってしまい、言わずもがなの不安が漏れ出した。

「あいつ……いや、あいつらかな……どういうつもり、なんだ……」

　ロクでもない事件に巻き込まれているのは、まず間違いない。

　最大の懸念《けねん》は、あの大男たちが「どこまでやる」気なのかだ。

　慶太や佳織も捕まった雰囲気だったし、玲次と優希も連れ去られたはず。

　何が起きているのか、これからどうなるのか、晃は更に考えてみる。

　どんな展開を想定しても、処置室で目撃したタケの姿が思い浮かぶ。

　陰鬱《いんうつ》な未来予想を振り払うように、ブンブン頭《かぶり》を振っていると――

　

『誰かいるかっ！　聞こえてたら、返事してくれっ！』

　怒鳴《どな》ったのが圧縮されたような、くぐもった慶太の声が。

　晃はそれに怒鳴り返しながら、ドアに力一杯の蹴りを入れておく。

　コチラの声が届かなかった場合の保険として、返事代わりに音を立てた。

「ああ！」――ガンッ

　十秒ほどの間を置いて、再び声がする。

『誰だっ!?　レイジ？　アキラかっ？』

「俺だっ！　晃だっ！」――ゴツッ

　名前を呼ばれた直後、返事をしながらドアを蹴っ飛ばす。

　また少しの間を置いてから、慶太は話し始めた。

「かっ、カオリが！　カオリって女の子が捕まってる！　犯人は三人で、一人はシモヤマって名乗るガキ！　外に出たら、すぐに警察に連絡してくれ！」

　晃の声は届いてないようで、身内以外の可能性も考えた状況説明だった。

　要するに、別の場所で佳織が捕まっていて、小デブの霜山は大男とグル。

　三人、ということはもう一人いるんだな――人殺しの仲間が。

　慶太も捕まるほどだから、そいつもあの大男レベルで怪物《バケモン》なのか。

　想像以上に危険な状態だと知り、晃は心臓の辺りに疼痛《とうつう》を感じた。

「それで、シモヤマって奴は――げぁん!?」

　慶太は何かを言いかけたが、その言葉は奇声を最後に途切れた。

　話の続きを待つが、数分が経過しても慶太は沈黙したままだ。

　ドアから離れ、左側の壁に耳をくっつけて音を拾おうとする晃。

　だが、コンクリの壁の向こうからは何の音も気配も感じられない。

　もう一度ドアを蹴って、慶太のリアクションが来るのを待つか。

　そう思って壁から離れて、ドアの方へと向かった直後。

「へぅ？」

　唐突に、そして何気なく、鈍色のドアが開いた。

　間抜けな声を漏らした半秒後、晃の視界は奪われる――