11　悲しき願い

「おいおぅいー！　こぉんなトコにも一匹いやがるずぇえええっ!?」

　顔の前に右手を翳《かざ》し、ライトの眩《まぶ》しさを遮《さえぎ》る慶太。

　そこに、ニチャッとした印象の耳障《みみざわ》りな大声がぶつけられた。

　経験も本能も「ここでナメられたら危険」と慶太に訴えてくる。

　なので部屋の外に歩み出て、怒鳴りながら逆にライトで照らし返す。

「んだぁ、お前らぁ!?」

　派手なアロハを着た三十男と、雰囲気イケメン御用達《ごようたし》の髪型で、小洒落《こじゃれ》た服装の若い男の姿。

　霜山から説明のあった、チンピラとホストっぽいという「犯人」に、かなり近い外見の二人組だ。

　アロハが口角を吊り上げ、手にした煙草を指で弾《はじ》くように捨てると、サンダルで踏《ふ》み躙《にじ》る。

「おぉい、そこのクソガキ！　俺たちゃ、ココの管理を担当してるモンだ」

　幼稚園児でも信じない、バレバレにも限度がある嘘だ。

　しかし、そんな嘘を平然と発してくる神経は、確実に普通じゃない。

　それを理解できてしまった慶太は、ここでどう反応をすべきなのか迷う。

　部屋の方を見れば、佳織が心配そうにこちらを見ていた。

　心配ない、と伝えるべきか考えていると、不快な文字列が再び音声化される。

「あー、テメェはアレだわ。住居侵入に器物損壊に窃盗に脅迫の容疑、あとツラがムカつくしＴシャツがダセェ。つぅワケで、累進課税で死刑だな」

　慶太は、目顔《めがお》で「大丈夫だ」と佳織に告げ、ポケットに手を入れる。

　そして、優希から受け取った卵っぽい防犯ブザーをヒョイと投げた。

　それから、デタラメな喋りを続けるアロハ男と、無表情で突っ立っている雰囲気イケメンを正面から睨《にら》む。

「バカなこと言ってんじゃねえ。お前らこそココで何してやがんだ？　オッサンが二人で深夜に廃屋にいるとか、禁断の逢瀬《おうせ》かよ尻穴野郎」

　余裕の表情を作りつつ、慶太は正体不明の男たちをガンガン煽《あお》る。

　まともな話は通じないだろうし、黙っていれば際限なく調子に乗るだろう。

　近い出口は塞《ふさ》がれているし、どこの窓にも格子が入っていて逃げ場はない。

　しかし、体格的には二対一でもどうにかなりそうだし、今なら佳織がいるのもバレていない。

　そんな状況を踏まえ、慶太はひたすら強気の対応で押し切ると決めた。

「あぁ？　マジで血達磨《ちだるま》んなんぞ、コラァ！」

「はぁ？　やれんのか、ショボいジジイがよぉ!?」

　目を逸《そ》らさずジワジワ近付いて行くと、アロハが雰囲気イケメンを制止。

　本気の喧嘩《けんか》になって怪我をしたくない、と常識的な思考をしてくれれば、とりあえず衝突は回避できる。

　そんな慶太の期待は、アロハが何事かを耳打ちしたにツレが小さく頷いて、コチラに近付いて来た瞬間に粉砕された。

「ん、やる気かよ……手加減しねえぞ」

　身長は慶太と同じくらいで、体格は二周りほど細い。

　悪そうな雰囲気を纏《まと》っているが、筋力には乏しそうだ。

　近くで見ると顔の作りは地味で、本格的な雰囲気イケメンと言える。

　年齢は自分と同世代に見えるが、実際はどうかわからない。

　強張った表情と硬い動きからして、そう警戒することもないだろう。

　相手を照らすようにライトを地面に置き、軽く身構える慶太。

　二メートルほどの距離を残して、雰囲気イケメンも止まった。

　それっぽく構えているつもりらしいが、型はまるでなっていない。

　格闘戦ではズブの素人――というか、殴り合いの経験も殆どなさそうだ。

「うぁあああああ、たぁっ！　ぉうぅらぁ！」

　気の抜ける雄叫びと共に、突進してきた相手が二連撃を放つ。

　大振りにも限度がある、冗談みたいなテレフォンパンチだ。

　慶太は苦もなく二度回避すると、左足をザッと払って転倒させた。

「ふぁばっ――」

　男はまともな受身も取らず、肩から床に落ちて珍妙な声を出す。

　予想した通り、何もかもがヘッポコで話にならない。

　アロハの方も、どう過大評価しても強そうと思えない。

　こんなショボいコンビが、霜山とそのツレを襲ったのか――本当に？

「クルァアアァッ！　馬鹿かよ、ダイスケッ！　何やってんだ雑魚がっ！」

　アロハの罵声《ばせい》が響き、手にしたライトの明かりが上下左右にブレる。

　ダイスケと呼ばれた男は、怒声に反応して慌てて身を起こそうとする。

　だが、そこで慶太は脇腹を容赦《ようしゃ》なく蹴り飛ばし、地面に再度転がした。

　明白な力量差があっても、頭に血が上ってる奴はそれを無視する。

　武器を隠し持っていれば、それを使ってくるかもしれない。

　だから本気の戦闘時は、敵が動かなくなるまで速《すみ》やかに追い込む。

　それが、慶太が今までの人生で体験学習してきたセオリーだ。

「ふうっ、はうぅ――あふぁ、かっ」

　荒い呼吸に混ざって、情けない呻《うめ》きを漏らしているダイスケ。

　苦痛にも慣れていない様子なので、やはり実戦参加は皆無なのだろう。

　こんな奴が、どうしてオラついて絡んできたのか――

　不思議に思いつつ、追撃を加えるために距離を詰める慶太。

　そこで身を起こしたダイスケが、囁き声で話しかけてきた。

「……ごめん……負けて、くれ……頼む」

「んぁ？」

「俺を……信じて。ワザと倒れて……後は上手くやる、からっ」

「お前は何を――」

　予想外の申し出を聞かされ、慶太は混乱する。

　押し殺した声の調子には、切実さが滲《にじ》んでいるように思える。

　その一方で、何かしらの罠を用意して待ち構えている気配もある。

　逆光でよく見えないが、ダイスケは今どんな表情をしている？

　一瞬の迷いがあったが、慶太にとっての最優先事項は佳織の安全だ。

　ダイスケにどんな事情があるにしても、それに対応する義理もない。

　そもそもこんな状況で、自分に殴りかかってきた奴の言葉を信じろ、というのも多大な無理がある。

「ごめん……説明はちゃんとする、から……とにかく、やられたフリを……」

　この必死さからすると、本当に何か事情があるのではないか。

　だが、演技をしてくれと頼む、このやりとりこそが演技かも。

　どちらが正しいのか、焦《あせ》る心では答えを出せそうもない。

　なので慶太は、とりあえずダイスケを行動不能にして、それから改めて考えることにした。

「ぐおぁああああああああっ！」

　フラつきながら立ち上がり、喚《わめ》きながら強引に組み付こうとするダイスケ。

　伸びてきた右の手首を掴《つか》んだ慶太は、それを時計回りに捻る。

　その半秒後、大袈裟《おおげさ》な悲鳴が周辺に撒き散らされた。

「みっ、ひぁあああああああああああんっ！」

　ダイスケの両眼に、暗い中でもわかる程に哀願《あいがん》の色が浮かぶ。

　劣勢の仲間に加勢する気配を微塵《みじん》も見せず、アロハは雑言《ぞうごん》を吐く。

「ったく、ボケが！　情けねぇ声出してんじゃねぇ！　クソが！」

　痛みに喘《あえ》ぎ、切れ切れに言葉を漏らすダイスケ。

「頼む、ふっ、フリでいい……いいから、倒されっ、るフリっ……」

　信じてもいい――いや、信じるべきではないか。

　ダイスケの縋《すが》るような目線と口調が、慶太を再び迷わせる――