10 二重遭難案件
(これまでのあらすじ)晃、玲次、慶太、佳織、優希の男女5人は、夏休みのイベントとして肝試しを企画し、人里離れた廃病院へと侵入する。そこは廃墟特有の異様な雰囲気こそあるが、怪現象は起きないのでイマイチ盛り上がらない。なので晃たち男性陣は、自分らより先に病院を訪れていた連中を「幽霊」に仕立て、女性2人をビビらせようと方針転換。その計画は先客である霜山と遭遇したことで破綻するが、霜山は「友達が変な2人組にさらわれた」と助けを求めてくる……
玲次たちは本館の二階を見てくるというので、慶太と佳織は霜山を連れて、さっきまで探索していた場所の反対側にあるA棟に向かうことに。
地図が間違っていなければ、そこはさっき調べたB棟と同じ構造の、小部屋がいくつも並んだ作りになっているはずだ。
「でもってシモやんはさ、何を考えて野郎二人でこんなとこ来たの?」
「いや、あの……タケが、ネットで凄いとこ見つけた、とか言うんで」
霜山に変なあだ名を付けて、佳織が色々と話しかけている。
女と話すのに慣れてないのか、反応が常にギクシャクしているのが何とも。
先頭を進んでいる慶太は、振り返らずに霜山への質問をかぶせる。
「それって、『ドヨドヨ井戸端』の怪談スレか」
「いえ、どこでどうとかは聞いてなくて……ただ、ネットで見たとしか」
「ここまでは歩いて? それともチャリ?」
「あ、タケが単車を持ってるんで、その、それに二ケツして」
「ふぅん……」
正門前の駐車場にバイクはなかったが、どこに置いたんだろう。
わざわざ確認するまでもないか、と判断した慶太は流しておく。
建物内は静まり返り、会話が途切れると自分たちの足音しか聞こえない。
手にしたフラッシュライトの光も、特に不審な何かを捉えることもなかった。
「足跡はあるけど、古いか新しいかわからんなぁ」
慶太は気まぐれに、壁に設えられた掲示板を照らしてみる。
一枚だけ残ったチラシには『灰谷アートフェス』という文字が見えた。
だが、その内容は銀色のスプレーに塗り潰されて読めない。
「アート、ねぇ……患者の落描きでも展示すんのか」
「でもそういうの、妙に評価されたりするって。前にそういう動画も見たんだけど、何てったっけ、えーる、じゃなくて、まーく――」
「アール・ブリュット。フランス語で『生の芸術』とか……そんな意味。昔はアウトサイダー・アートとか呼ばれてたけど、差別的な表現だっていうんで、呼び方が変わってる。扱いとしては、技法を学んでない奴が感性だけで作った芸術作品、みたいな感じ」
慶太と佳織は、急に早口で解説し始めた霜山を不思議そうに見る。
その視線に気付いたのか、霜山は照れたように顔を伏せた。
「えっと、こういうゲージュツ的なのが好きなの? シモやん」
「はい、まぁ……好きっていうか、ちょっと興味あって」
霜山が会話を打ち切りそうな気配がしたので、慶太も乗ってみる。
「そんなら、アキラと話が合うかもな」
「へぇ? アキラくんも、そういうの好きなんだ……ちょっと意外」
「ていうか、あいつヨーロッパの変な映画とかよく観てるし。俺もレイジも付き合わされて結構な数を観てるぞ。お前さんは、映画とかどうだ?」
「映画は、あの……あんまり。すいません」
「ん、あー、そうだったか」
話題を広げようとしたが、霜山がまるで乗ってこないので終了。
相手の空気の読めなさに、慶太は軽くないイラつきを覚える。
こういうタイプは周囲にいなかったが、これが『コミュ障』っヤツか。
無言で歩いている内に、A棟と本館をつなぐ渡り廊下へと到着した。
霜山を発見する少し前、走り抜ける人影が見えた場所がここだ。
ライトで奥の方まで照らしてみるが、とりあえず人の姿はない。
何となく反対側のB棟から続く渡り廊下にもライトを向ける慶太。
光が届かないので中庭を照らすが、動くものは発見できなかった。
「なーにしてんのさ、ケイタ」
「いや一応、そこらに誰かが潜んでないかの警戒をだな」
「シモやんの話からすると、あたしらの存在に気付いたら、むしろ逃げ隠れしないで絡んでくるんじゃない?」
「まぁ、大体そんな感じだろうが……連中から逃げたタケが隠れてる、って可能性もあるし。なぁ?」
言いながら霜山を見ると、曖昧な表情で半端な頷きを返してくる。
こちらの廊下は、さっきと違ってあちこちでガラスが割られていた。
補修された場所もあるが、破られっぱなしの窓も目立つ。
そのせいか床や壁も薄汚れ、虫の死骸がポツポツ転がっていて不快だ。
半端な長さの連絡通路を抜けると、小部屋が並んだエリアへと到着。
「ここからが、A棟だな」
スライド式のドアは、外からしか鍵が開閉できない。
さっき調べた、B棟の病室と同じシステムだ。
「そんな緊張しないで、シモやん」
佳織に肩を叩かれた霜山は、血走った目でキョロキョロとしている。
落ち着かない挙動不審ぶりと、ガラの悪い服装はどこまでもミスマッチだ。
もしかして、予想外の事態にテンパッているだけで、普段はもっとオラついたキャラなんだろうか。
違和感を拭えないまま、慶太は一番手前のドアノブに手をかけた。
「じゃあ……中を見てくぞ」
振り返りつつ慶太が言えば、佳織と霜山が真顔で首を縦に振る。
ここも鍵はかかっておらず、ドアは重たいけれど簡単に開く。
ライトで部屋の中を照らすと、逆様になったベッドがバツ印の形で重なり、その上に変色したシーツが大量に乗せられていた。
明かりを別方向に動かすと、壁際にスチール棚があるようだ。
梅酒作りに使うような、広口のビンがいくつも置かれている。
部屋に入って近くで見てみると、全部カラ――いや、中身の痕跡はあるのだが、こびり付いた黒や褐色の汚れとして残っているのみ。
「相変わらず、ワケのわからんモノばっかだな」
「何なんだろね……あの絵とか、マジ意味わかんないし」
佳織がマグライトで照らした先の壁には、下半分の破かれたポスター。
アジア系の言語と思しき謎の文字列と、デカパン一丁でウッドベースを抱えた、デフォルメされた中年男性の姿がカラフルに描かれている。
「何だこりゃ。こういうのがアール・ブリュットなのか?」
「どっちかっていうと……『ゆるキャラ』に近いかも、です」
慶太が霜山に話を振ってみると、意外にまともな返しがあった。
必要以上の緊張状態からは、解放されつつあるんだろうか。
「よっしゃ、どんどん見てこうか」
宣言の通りに、慶太は次々にドアを開けて中を調べる。
しかし、問題の二人組もいなければ、タケも見つからない。
その三人に関係していそうな、遺物なども見つからなかった。
地図だと通用口があるはずの場所は、手前にスチール机やロッカーやラックが堆く積まれていて、その存在を確認できそうもない。
B棟では警備員の詰所だった場所には、ブレイクルームと書かれたプレートが表示されている。
無施錠のドアを開けてまず目に入ったのは、天板が割れたテーブル、仰向けに転がる冷蔵庫、砕けたカップや割れた皿の詰まった食器棚、といったガラクタだった。
「破壊部屋の看板に偽りなしだ」
「その解釈は間違いなく間違ってるって、ケイタ」
慶太と佳織は、霜山を外で待たせて部屋の中を探索していく。
簡単な流しもあるようだが、給湯器やコンロは見当たらない。
シンクには水道管のパーツのような、金属製の何かがゴロゴロしていた。
「にしても、随分とイベントの趣旨が変わっちまったな」
「仕方ないじゃん、こういう場合」
慶太が苦笑いで漏らした感想に、佳織が溜息混じりに答えた。
未だに、二階からのサイレンの音は聞こえない。
ここまで見つからないなら、タケは病院の外へ連れ出された可能性もある。
それを霜山に告げようとするが、小太りの人影が見えなくなっていた。
「あれ? おい霜山、どこだ? どこ行った」
呼んでみても、返事がない。
「ん? シモやんいないの? おーい、何してんのー?」
ヒョイと外を覗いた佳織は、すぐさま首を縮めて引っ込める。
それから、ぎこちなく不自然な動きで、慶太の方にゆっくり振り返った。
「……どうした」
小声で訊けば、目を見開いた佳織は無言で部屋の外を指差す。
佳織に代わって顔を出した慶太は、二本の光線を同時に浴びせられる――
今回から2章の開始となり、不穏な気配は猛スピードで増していきます……




