第四話 偽りの聖女
「木が……腐ってる……」
森の様子を見たマナは途方に暮れた。
見渡す限りの木々は腐り落ちるよう変色し、一切の光が遮断された不気味な光景が広がっている。
「私の力でどうにかできる話じゃ……」
あまりにもひどい有り様を目の前にして自分の無力感に胸を締め付けられたが、大きく首を振って深く息を吸い込んだ。
自分が諦めてしまったら、この森はもう元には戻らない。
「……やらなきゃ! 私にしか出来ない!」
ぐっと拳を握り、気を引き締める。
──大丈夫、出来る。
自分を信じ、その場で膝をつくと、マナは目をつむり祈りを捧げ始めた。
…………
……
…
「なあんだ、落ちこぼれの聖女じゃない」
正面から聞こえた声は、小馬鹿にした笑みを含んだ女の声だった。
祈りを遮られたマナは驚きを隠せず目を見開く。
「……‼︎」
そして、言葉を失い凝然としてしまう。
その声の主が、さっき王宮内ですれ違ったあの白いドレスを身にまとっている聖女だったからだ。
その聖女はマナに近づくと見下すよう前に立ち、口を開く。
「あら、言葉が出てこないのかしら? それもそうね。じゃあ、自己紹介をしましょう。私はリリィ。この地区の新しい聖女よ」
王宮ですれ違った時と同じような嘲笑った顔で、捲くし立てるようにリリィは喋る。
「……あなたは……、なに?」
唾を飲み込み、やっとの思いで口を開いた。
目の前の女性に恐怖心と不快感を抱き、後退りするように立ち上がって距離を取る。
「なにって、新しい聖女だって……」
「……違う! あなたからは聖力を感じられない! 今のあなたから感じるのは、昨日と今日この場所に残されている魔力、それと同じ!」
マナは視線を鋭くし、息を荒くしながらリリィの言うことを否定する。
──はっきりとわかった。
あのどうしようもない胸騒ぎの原因は、この女性が作り出したものだった。
その視線を見たリリィは肩を小さく震わせ始める。
「……っ、ふふっ……」
「何が、おかしいの?」
「……あははは」
リリィの高笑いが響く。
その綺麗さと忌ましさに足がすくんでしまいそうだ。
「そうね、確かに私がやったことだわ」
「……あなた、何者なの⁉︎」
口調を荒げて問うも、目の前にいるマナに心底興味がなさそうなリリィは、ふうとため息をついて着ているドレスをつまみ上げた。
「ねえ。聖女って、どうしてこう白い衣服を着せられるのかしら。神に仕える? 高潔で清純? 本当、馬鹿馬鹿しいしきたりよね」
「……何言って」
「どうせ着飾るなら……」
リリィがドレスを撫でる。
彼女が手をかざしたところから漆黒の水に染まるよう、みるみるとドレスが黒くなっていく。
「こういう、何もかもを飲み込む黒が良いと思わない?」
ふふっと同意を求めるように微笑んできた。
その魔力と笑顔の悍ましさに一つだけ、この女性がなんなのか思い当たることがある。
「あなた……魔女……?」
戸惑っているマナに、リリィは呆れ顔をしてみせた。
「あんまり言いたくはないけど、封印された魔女の名前くらい覚えておくものじゃない?」
ふんっと鼻を鳴らし髪をかき上げたリリィは、また饒舌に話し始める。
「……まあいいわ。そうよ。私ね、昔この奥で封印されてしまったの。あの忌々しい聖女ドロシアに。でもあいつ、私にトドメを刺さなかった。だからこうして復活出来た。つくづく馬鹿な女よね」
あははと笑うリリィに心底腹が立つ。
「……お母さんを! 馬鹿にしないで!」
先ほどよりも鋭い双眸で睨みつけるマナを、リリィは上から下まで舐めるようにじっと見つめ
「……そう、あなた、あの女の娘なの。似ても似つかないわね」
と、鼻で笑う。
「で、『お母さん』は今どこにいるのかしら? わざわざ聖女のフリまでして余興を仕込んできたの。そろそろドロシアと本番といきたいんだけど」
「お母さんはもう……いない。この地区に結界を張って、それからしばらくして……」
母の死を言葉にするたび、胸の奥にわずかな痛みが広がる。
恐怖と怒りで震えそうになる声を抑えながら、マナは短く息を吸い込んでいた。
「あら。あの女、本当に死んでたの。にわかには信じられなかったけど、娘がそう言うなら事実ってことね」
リリィはあっけらかんとした様子で言い放つと、わずかに肩をすくめた。
「この手で復讐出来なかったのは残念だけど、私はこうしてまた地上に降り立った。私の勝ちね」
魔女はどこまでも逆撫でしてくる。
リリィの勝ち誇ったかのような笑い声は、マナの胸を怒りで満たすのには十分すぎるほどだった。
「……それ以上、お母さんを侮辱しないで!」
封印は無理でも結界を張るくらいは、そう思いながら怒りに任せて聖力を放つ。
だが、それをリリィは涼しい顔で受け流した。
「なあにそれ? そんなちっぽけな聖力で私に結界を張れるとでも思った? 無理に決まってるじゃない。まず魔女を倒したいのなら……、そうね、悪魔かドロシア並みの聖力を持ってからにしなさい? ねえ、ドロシアはそんなことも教えてくれなかったの?」
リリィはわざとマナを煽っている。「ドロシアの娘に復讐したい」という思惑ではなく、ただただリリィ本人が楽しみたいというだけの理由だった。
「いい加減にして……!」
彼女の言葉に乗せられたマナは我を忘れて、無駄だと分かっていてもまた聖力を放ってしまう。
マナの聖力を正面で受け、絶望させるように弾き飛ばしたリリィはまたひと笑いをした。
「そんな聖力じゃ、結界どころか傷一つだってつけられはしないわよ」
リリィの嘲笑とともに吐き捨てられた言葉が、マナの戦意を容赦なく削ぎ落とす。
力の差を痛感したマナは、その場でうなだれてしまった。
──どうやっても、今の自分ではリリィに勝てない……。
ドロシアの娘の力量を見極めたリリィは態度を一変させた。
彼女の顔から笑みが消えていく。
所詮はただの娘。リリィにとって、マナは何の興味も湧かない、退屈な存在に過ぎなかった。
「……もういいわ。あなたと遊ぶのにも、飽きた」
ため息をついたリリィは冷たい目と声で蔑むと、そのままパチンと指を鳴らしマナを囲うよう結界を張り巡らせた。
「結界魔法っていうのはこうやって使うのよ。あなたはそこで国が滅ぶ様を見てるといいわ。まずはあの女が守ったこの地区から殲滅させるの。そして、今度こそ私の国にする……! ああ、考えただけでゾクゾクしちゃう」
「……そんなことさせない!」
「今のあたなに何が出来るの? その結界も壊せないでしょう? じゃあね、落ちこぼれの聖女様」
リリィは手のひらを軽く振り、嘲るような笑い声だけを残して消えていった。
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就任式の行われた教会では、先ほどの歓声が悲鳴と怒号に変わっていた。
それは教会の外まで続いており、剣の混じり合う音が耳をつんざくように鳴り響き、獣のような呻き声が轟いている。
騎士と、かろうじて人間の形をしている魔物が戦っていた。
「あらあら、なかなかいい余興じゃない」
マナといた森から戻って来たリリィはフェアラートのそばに寄り、その様子を見て満足そうに微笑んでいる。
「リリィ! 今までどこに! それにその服! ……いや、手を貸してくれ! 騎士たちの一部が急に魔物に姿を変え、襲い始めた!」
剣を手にし、切羽詰まった様子で懇願するフェアラートを前に、リリィは素知らぬ顔をする。
するりと彼の腕に絡まり、なまめかしい瞳でその顔を見つめた。
「何を……!」
「ああ、なんて可哀想な国王様。自分の従者と戦うはめになるなんて。でも最高のシナリオね、いいわ」
「何を言っているんだ⁉︎ 聖女なら、今こそ力を示す時だろう⁉︎」
余裕のないフェアラートは険しい顔をしていて、いつも以上に口調が荒々しい。
その追い詰められた姿は、とても王子様とは言い難いものだった。
リリィは「美しいものが歪んでいるのも、また美」だと光悦し、くすりと笑う。
「残念。私、聖女じゃなくて魔女なの」
「……魔女だと⁉︎」
フェアラートは腕を振り払おうと試みるが、リリィの腕はそこからぴくりとも動かない。
「そうね、最後に良いことを教えてあげる。魔物になった騎士たち、昨日私から『聖なる光』とやらを受けた奴らよ。ふふっ、聖なる光……。笑っちゃったわ」
「……初めから騙していたのか⁉︎」
「おかげさまで楽しい余興になったわ。本番のお楽しみがなくなった分、しばらく高みの見物でもさせてもらおうかしら」
「ふざけ……」
るな、と言い切るより前に、リリィがフェアラートの脇腹を短剣で刺していた。
そのままふわりと彼に抱きつき、耳元で囁く。
「やっぱりいいわ。鍛えられた男の若い肉、そしてその中に入っていく感触……。短剣だとね、魔力よりも原始的で直接的にヒトの感触を味わえるの。それに秀麗なものが崩壊していく瞬間……。生きてるって実感する」
リリィは片手でフェアラートの身体を押し、ゆっくり短剣を抜き取る。
勢いよく血を吐いて跪く姿に、彼女はまた高揚した。
「今刺したところは腎臓なの。人間って腎臓が二つあるでしょう? だから、一つ潰れても大丈夫」
リリィは微笑みながら、フェアラートの頬を指先でなぞる。
その仕草は慈しむようでありながら、指先に残る血の感触を楽しんでいるかのようだった。
「あなたは綺麗だからすぐには死なさないわ。真紅の薔薇のように染まっていく国王様……その顔を、少しでも長く見せてね」
甘く囁き、彼の頬に唇を寄せたリリィはすぐに上空へ浮かび上がる。
それと同時に、フェアラートはその場に倒れ込んだ。
すぐそばで戦っていた騎士がその姿を目撃し、声を荒げる。
「誰か! あの聖女を! マナ様を早く呼んでこい!」




