第二十一話 半年ぶりの帰郷
太陽が西に傾き、薄明るい空には月がうっすらと浮かんでいた。
黄昏時。
昼と夜が溶け合った色彩の帯が、地平線に沿って伸びている。
橙色に染まった雲は風に流されゆっくりと動き、夜の帳は静かに幕を下ろす。
地上で見る夕焼けとは全く違うものに見えた。
「やっぱり空を飛ぶのってすごい早いんだね」
マナは景色に見惚れながらため息を漏らす。
田舎から王宮まで馬車でも半日はかかった。
でもレイとの道のりはとても早くて、おおよそ三時間ちょっと。
馬車独特の嫌な揺れがないのと変わりゆく景色が道のりを飽きさせなかったので、体感時間はもっと短く感じた。
空から見下すと、もうそこには見慣れた田舎の風景があった。
山々に囲まれひっそりとした村。
半年ほど前にはうっすらと雪化粧をしていた木や畑も、今では緑緑しい葉や花で鮮やかな彩りをしていた。
王宮から迎えに来た御者に「なんて辺鄙な場所だ」と言われたくらい、自然と畑と家以外なにもないに等しい場所。
でも胸を張って言える。これが自分の故郷だ。
「ありがとう。ここで下ろしてもらって大丈夫」
村の入り口の少し前、人目のつかなそうな場所で下ろしてもらった。
突然空から人が舞い降りてきたら、みんな驚いてしまうのが目に見えている。
ただでさえ田舎を出た時にはいなかった、見知らぬ男性を連れているのだ。
「ずっと抱えてくれてたからレイも疲れたでしょう?」
「問題ない」
ぶっきらぼうに答えた背中にあった黒い翼が泡のように消えていく。
夕焼けの光を反射していて幻想的だった。
「凹凸のない身体など、抱いていないのとかわらん」
「また余計な一言を……!」
まるで子供だ、とでも言いたげそうな嫌味な顔。
先ほどまでのノスタルジーを返してほしい。
でも、この悪態も今に始まったことではない。
レイが自分の人となりを理解してきたように、こちらも彼の人となりは理解してきている。
「まあ、いいわ。ここが私の故郷、ルインリース村よ」
気を取り直したマナは張り切った声を上げ、大きく手を広げた。
誇らしさと懐かしさと、レイに自分の故郷を知ってほしいという思い。
この小さな村が、自分にとっては世界だったのだ。
「辺鄙なところだな」
「……まさか悪魔にまでそんなこと言われるとは思ってなかったわ」
無表情のままぼやいたレイに出鼻をくじかれてしまい、広げていた手をかくりと折り下げた。
どうやら、そう思うのは王都にいる人だけではなかったらしい。
目の前に広がる田舎の風景をただじっと見ていた彼の素直な感想だろう。
「でも、何もないのが良かったりするの。それに帰る場所があるのって嬉しいことなんだって、王宮に行って初めてわかった」
葉や花が風に乗る音、川のせせらぎに鳥のさえずり。
奏でている音は「おかえり」と言ってくれてくれているようにも聞こえた。
「お前が脳天気に育ったのが頷けるくらい、何もない場所だ」
「脳天気じゃない! せめてポジティブって言って!」
相変わらずの減らず口に「もう!」と頬を膨らませた後、大きく深呼吸をした。
「レイも私の故郷を気に入ってくれたら嬉しいな。とりあえず、家の方案内するね」
マナは小道を指差す。
村の入り口から緩やかな坂道になっていて、ずっと先の森へと繋がっている。
道の左右に家が並んでいるが、その感覚は十分すぎるほど広く、王都の人が思う『近所』の概念とはかけ離れていそうだ。
「五件目に見えるのが私の家。お母さんと伯母さんと私の三人で暮らしてたんだけど、私も王宮に行ってたし、今は伯母さんが一人で暮らしてるの」
レイは彼女の指の先を見渡した。
家は全部で二十件程度。そのまま五件目辺りに目を配る。
なんの特徴もない二階建ての小さな家と、それ以上にだだっ広い庭。
窓からは光が漏れ、人影がおぼろげに揺れていることから在宅はしているのだろう。
「案内するから」と先を歩いている彼女の足取りは軽やかだった。
十五歳の小娘からしたら、たかだか半年程度の別離でも寂しくて仕方がなかったのかもしれない。
この村に着いてから終始口元を緩ませていたことからも、それは察せられた。
「俺のことは放っておいて、お前一人で帰ればいい」
「え⁉︎ どうしたの、急に? やっぱり田舎すぎて嫌になった?」
彼の突然の発言に、マナは困惑しながら顔色をうかがう。
「そんなことはどうでもいい。家族と、久々の再会なんだろう?」
「そうだけど。……もしかして、気を遣ってくれてるの?」
「逆だ。気を遣われるのが面倒で鬱陶しい。俺がいたら、お前も相手も気を遣ってくるに決まっている」
レイはまた呆れたようにため息をつく。
その顔は渋く不機嫌そうだったが、不思議と冷たさは感じなかった。
きっと、これが彼なりの優しさなんだろう。
「……レイにも、そう思ってくれる気持ちあるんだね」
「なんのことだ」
顔を合わせず、しらばっくたれように言うレイが微笑ましく映る。
だから自分でも気がつかない内に、彼を気遣うような言葉が口をついて出てきた。
「ありがとう。でも、寝る場所はどうするの? それに王宮を出てから何も食べてないし、お腹空いてるんじゃない?」
言ったそばから空腹の音が鳴った。
聖樹地や空からの景色に見惚れていたことから消え失せていた空腹感。
通り過ぎる家から伝ってくる料理の匂いが、それを目覚めさせたようだ。
「寝所など、どこでもいい。別に寝る必要もないしな。それに、食事なら目の前にある」
にやりと笑う彼から感じる、よからぬ気配。
はっと何かに勘付いたマナは、疑いの目をレイに向けた。
「……まさか! みんなの家から盗む気⁉︎」
眉間に皺を寄せながら「そんなの絶対駄目」と制止し続けるマナを、無気力そうにレイは見据える。
──やはり、とんでもなく阿呆だ。
レイは冷めた目で彼女の反応を眺めていた。
鈍いだけなのか、脳天気なだけなのか。
おそらく両方だろう。
すると段々と、盗みを働くと決めつけ騒いでいる小娘の姿が愉快に思えてきた。
──なら、もっと愉快にさせてやるのも一興か。
悪戯にマナの腰に手を回し、ぐいと自身の方へと身体を引き寄せる。
驚いた彼女がこちらに視線を向けるよりも先に、顎に手を添えて上向かせた。
「夜になったら腹が減るやもしれん。そうなったら、夜這いにでも行こうか」
レイは細めた青い瞳に闇夜の獣のような妖しい光を宿し、唇の端を悪戯っぽく持ち上げる。
彼の意味深な言葉に、マナの背筋が一瞬で凍りついた。
──食事って、生気ってこと⁉︎
底の見えない不敵な笑み。
ふざけているのか、本気なのか。
わからないけれど、綺麗な瞳にいつも吸い込まれそうになってしまう。
「……寝てる時に来たら承知しないからね! 命令なんだから! レイの馬鹿!」
虚勢を張ったようにレイの身体を押し退けて懸命に叫んだ言葉が、夕暮れの中に溶けて消えていった。
第三章、開幕です
お読みいただきありがとうございます
引き続き、よろしくお願いいたします




