第十九話 ずるいことさせといて
結局、自力で登るのは諦めた。
ならどうするか。
秒で答えが出るし、それ以外の案が思いつかない。
でも、気が引けてしまう。
しかし母の結界晶はこの目で見てみたい。
マナはしばし葛藤した後、意を決して口を開いた。
「レイ、命令です。私を木の上まで連れてってください」
肩に力が入っていて、なんともたどたどしい言葉遣い。
「……なんだ、その言い方は?」
レイは小気味悪そうにこちらを見ている。
実際、自分自身もそう思っていた。
今までレイに向けた命令は『自分が誰かを助けられない代わりにレイの力を貸してほしい』という、他者のことを思う気持ちから出たものだった。
大樹の中へ誘ったのは、レイに少しでもいいから他者との関わりを持ってほしかったから。
あとは、生気を求めて迫ってくるレイを「離れない」と突っぱねる時くらいだ。
だから『木の上に行きたい』という、完璧なまでの私利私欲で命令するのは、なんだか気が引けてしまったのである。
「だって……自分の願望のためだけに命令するのって、なんか抵抗があるって言うか。『お願い』だとまた見返りとか言い出しそうだし」
マナは照れと困惑を隠すように目線を逸らし、わずかに唇を尖らせている。
その仕草を見たレイは、何も言わずに彼女の身体に腕を回し抱きかかえた。
それは息を呑む間もないほど素早い動き。
レイの身体が近い。
心臓が一気に跳ね上がる。
強引だけど、どこか優しい抱き方に変に緊張してしまう。
目が合うと、またいつもの不敵な笑みを向けてきたので、『まずい!』と反射的に両手で口を覆い隠した。
「腹は満たされているからな。今はいらない」
レイは見透かしたように笑う。
いらないのかと安堵したものの、身構えてしまったのが悔しくもある。
そしてレイにも満腹感みたいなものはあるのかと安心した。
この短時間でけっこうな生気をあげている。
底なしの欲求、というわけではなさそうだ。
「上に行くんだろう。そのまま大人しくしていろ」
「え、うん。ありがとう。……なんか珍しいね。レイがすんなり言うこと聞いてくれるなんて」
「命令だからな。それに、さっさと行かないと、またうだうだとやり出すのが目に見えている」
なるほど、そっちが本音かと苦笑いをした。「うだうだ」という言葉を引っ張ってきた辺り、どうやら王宮で皆と別れた時の様子を覚えていたらしい。
レイの腕に抱きかかえられながら、レティシアと言葉を交わす。
「レティシア、本当にありがとう! みんなにもよろしく! 元気でね!」
「マナも元気でね。悪魔も、マナは恩人なんだから、ちゃんと守ってあげてよね!」
レティシアが腰に手を当て、レイに向かって言葉を投げかける。
彼女の言葉には、大切な友人を思う率直な気持ちが込められていた。
しかし当然のようにレイは無視する。そして一瞬だけレティシアと目を合わせ、ふんと鼻で笑った。
そのまま彼は何も言わずに、音もなく浮かび上がる。
たった半身くらいだったが、それでもいきなり視界が高くなったので、さすがに驚いてしまった。
「わっ! 飛ぶなら飛ぶって言ってよ! びっくりするじゃない!」
思わずレイの肩に手を回してしまった。
──顔が……近い。
しなやかなのに逞しい身体付き。
腕に包まれている感触。胸元から伝わってくる温もり。
キスしている時より、彼をそばに感じる。
そして「今はいらない」と言っていたものの、いつキスをされてもおかしくはない距離感が更に緊張と含羞を高まらせた。
「安心しろ。こんな貧相な身体に欲情したりしない」
「……なっ⁉︎」
またこちらの気持ちを見透かしたように冷笑する。
──本当にこの悪魔は!
いっそのことぶん殴ってやろうかとも思ったが、自分の身体が貧相なのは認めざるを得ない。
そのせいで成人に見られないことは多々あったし、魔女のドレス姿からも、その差を嫌と言うほど実感したくらいだ。
「まあ、あなたたちなら大丈夫そうね」
やれやれと笑いながら呟いたレティシアと同時に、レイはまた少し上へと飛んだ。
これ以上こうしていると、また別れ際の時間が長くなると踏んだようだ。
少しずつレティシアとの距離が離れていく。
「レティシアも、ダニエルと仲良くね!」
「あいつはそんなんじゃないから!」
勢いよく否定するレティシアの顔が少し赤くなっているのがわかった。
どうか、彼女の恋が実りますように。
「じゃあ、またね! ありがとう!」
この日最後の言葉は別れを惜しむものではなく、次会う時の楽しみや希望を持った明るいものだった。




