第十七話 覆水盆に返らずとも
「レイ! ありがとう、ダニエルたちを助けてくれて!」
マナは何事もなかったかのように戻ってきたレイに駆け寄った。
「みんな思ってたより軽傷でね、治癒もついさっき終わったの」
妖精たちがみんな無事だったことや、レイが本当にダニエルたちを助けてくれたという嬉しさから、自ずと軽やかな口調になっている。
ダニエルたちが帰ってきてから一気に雰囲気も明るくなり、特にレティシアは涙ぐみながら喜んでいた。
結界内の火も程なくして鎮火するだろうという、ほっとした雰囲気の中、レイが戻って来たのだった。
「それでね、火ももうすぐ消えそうで…………っ‼︎」
弾んだ声でそう言っている最中、突然キスされた。
すぐに顔を離したレイは、下唇を舐めながらあごに手を添えて、いぶかしげに呟く。
「美味い……が、何か違う」
──本当にこの悪魔は!
何がどう違うのか、思いっきり問い詰めてやりたい。
でも、それよりも妖精たちの驚きや好奇の視線が恥ずかしすぎて、穴があったら入りたいくらいだ。
こんな公衆の面前でキスをしてくるなんて、一言叫んでやらないと気が収まらない。
「……レイの馬鹿! 色魔!」
本日二度目。
耳まで真っ赤にしたマナの声が木霊した。
…………
……
…
「もう私から言うことは何もないわ」
レティシアは「これ以上は見ていられない」と、気まずくも呆れた表情を浮かべている。
こちらからしても、あのタイミングでキスされるなんて全くの想定外。
顔の熱が冷めるのに時間がかかってしまった。
その熱が冷めてきた頃、結界内で燃えていた炎も無事に消し止められていた。
ただそこに見える景色は、先ほどの景色とは違うものになってしまっている。
黒く焦げてしまった木々の灰が雪のように少しずつ降り積もっていき、煙の残り香が鼻腔を塞ぐ。
無残とも言えるその景色の前にしながらも、もう何もできることがないのが無念でしかたない。
「マナ様、レイ様、この度は私たちを助けてくれてありがとうございました。皆の代表として、お礼申し上げます」
落ち着きのある、透き通った山吹色の髪の女の子が謝辞を述べに来てくれた。
「とんでもない、みんなが無事で本当によかったです。でも……」
真っ黒になってしまった木々が嫌でも視界に入る。
日常だった風景の変貌、妖精たちの心中は計り知れない。
その先の言葉が詰まってしまう。
「お気遣いありがとうございます。聖樹地全体から見れば、まだ半分以上は木々が残ってくれています。全焼を免れたのは、他ならぬマナ様のおかげです。それに時間はかかりますが、緑はまた戻ってきてくれますから」
女の子は温和な口調で話してくれた。
それは少しミーティスに近いものを感じる。
「……せめて治癒魔法が効けば」
女の子の言葉は嬉しかったし救われたが、もどかしさは拭えなかった。
自然現象で起きた災害の跡や、亡くなってしまった人やものには、どんな種類の魔法だって効きはしない。
とどのつまり、聖力はあくまで『治癒・再生の力』であって『蘇生の力』ではないため、自然の摂理に反することはできないのである。
王宮でリリィが起こした異変──草花や森の変色は彼女の魔力によって引き起こされたもの。
なので、浄化することで解決できた。
でも今回の火種は、言わば災害。
自分がその木を元に戻すというのは不可能だった。
「マナ様のお気持ちも痛いほどわかります。でも、どうか自身を責めないでください。マナ様がいてくれたから、私たちは皆無事だったのです」
にこりと微笑み続けている女の子が、天使のようにも見えてくる。
「マナ様、レイ様。ご足労をおかけしますが、ミーティス様のところへまたお願いできますか? 直接お会いしたいと申しております」
もちろん二つ返事で「はい」と答えた。
大樹の中でただじっと耐えていることしか出来なかったミーティスの心労も、きっと並大抵なものではないだろう。
「さ、行きましょう」
幹に触れたレティシアが大樹の中への通り道を開けてくれた。
ダニエルがしてくれた時と同じ光が、幹から発せられている。
あまり気落ちした顔は見せないようにしようと笑顔を作り、レイを連れてまた大樹の中へと入っていった。
…………
……
…
「お二人とも、本当にありがとうございました」
自分たちの顔を見るや否やミーティスはすぐに深々と頭を下げてきた。
それにまた緊張してしまい、作ってきた笑顔がすぐに崩れてしまう。
「そんな! もうたくさんお礼も言ってもらえましたし、頭を上げてください!」
そう言ってもミーティスは綺麗なエメラルドグリーンの髪を垂らしたままだ。
恐れ多く、居た堪れない雰囲気に耐えられなくなり、「さっきのテーブルでまた話しましょう」と、今度はこちらから提案していた。
マナたちは先ほどと同じように着席する。
「ミーティス様。その……木は大丈夫なんでしょうか?」
大樹は無事だったとは言え、自分の集落が燃えてしまったのだ。
きっとミーティスも傷ついているに違いないと、眉を寄せておずおずと尋ねた。
「そうですね。非常に心苦しいことではありますが、長い歴史からすれば些細なことなのです。生命は輪廻の繰り返し。そこにはまた、新たな命が生まれますから」
ミーティスはまるで達観しているかのようで、その姿は神々しくすら見える。
「私がこの地に根を張って五百年余り。いろいろありました。災害に見舞われ、人に伐採され、魔獣に荒らされ……。でも、私たちと緑はこうして残り続けています」
──五百年……。
自分にはまったく想像のできない時間の流れ。
彼女が達観しているのも納得する。
妖精たちの母であり、聖樹地の母である偉大な存在。
それが目の前にいる大妖精、ミーティスなのだ。
「もしこの場にマナがいなかったら、きっと聖樹地はなくなってしまっていたでしょう。しかし、マナはここにいてくれました。そういう奇跡の積み重ね、紡いできた歴史と奇跡が今の私たちなのです」
「歴史と奇跡……。私たちがその一部になれたこと、なんだか不思議な感覚ですが、とても嬉しく思います」
にこりと微笑むミーティスにつられて、作り笑顔ではない自然とこぼれた微笑みを返していた。
「それにしても、ドロシアにもマナにも助けられてしまって、これも奇跡の一つなのかもしれませんね」
「……お母さんとは何があったんですか⁉︎」
急に母の名前が出てきたので、つい前のめりになって聞いてしまう。
すっかり忘れてしまっていたが、母もこの聖樹地に来ていたのだった。
「そうですね、二十年前のあの日。魔女の瘴気に当てられた動物たちが魔獣化してしまったんです。そして、ドロシアが結界を張る前に、王都から抜け出した何匹かがこちらの方までやってきました」
ミーティスの話をじっと聞き入る。
「木々や妖精たちに襲いかかっているとき、その魔獣を追いかけていたドロシアが訪れました。彼女が魔獣を浄化し、妖精たちの治癒をしてくれたんです。それが、私とドロシアの出会いでした」
「……そうだったんですね」
とても母らしい話。
心が和んで、前のめりになったいた体勢をゆっくりと元に戻す。
「数日後、再度彼女に会いました。ドロシアが簡易結界晶を渡しに来てくれたんです」
「! やっぱりあるんですね!」
胸が高鳴る。また前のめりになってしまっていた。
「ええ。この大樹の上の方に付けています」
ミーティスは口元に手を添えながら、ふふっと微笑んだ。




