守りたい者
コツン、と音がしてリュシアンは顔を上げた。いつの間にか深夜になっていた。
葬送式での後始末、戴冠式の準備、することの追われる。
明日の処理の為にリュシアンは書類の確認をしていた。
重要書類が多くリュシアンが決裁できるものではないが、ケーリッヒが処理する為に参考にする資料を集めているのだ。
「ご苦労」
リュシアンの横に座るケーリッヒに、リュシアンは視線を書類に戻す。
「さすがですね、気配が全然しませんでした。もう少しで終わりますので・・」
ケーリッヒがリュシアンの後れ毛に指を絡め始めたので、リュシアンの言葉が途切れる。
「ああ、果物を持って来てくれるか」
ケーリッヒは侍従を呼ぶと、何でもなさそうに言うが、リュシアンはそれどころではない。
「ケーリッヒ様、もう深夜です。僕が厨房に取りに行きます。果物をお召しですよね」
立ち上がろうとするリュシアンをケーリッヒが腕を持って止める。
少し前までは、リュシアンも同じようなことをしていたのだ。
いつ呼ばれるか分からない王妃の気まぐれに、朝も夜も休まる時などなかった。だからこそ、深夜に呼びつけたくないのだ。
「お前の仕事は違うだろ?」
強い力ではないが、ケーリッヒがリュシアンを離さない。
テーブルにフルーツが置かれると、ケーリッヒは侍従にワインの用意をさせる。
「僕がするから、君はもう休んでいいから」
リュシアンが替わろうとするのを、ケーリッヒが止めると、侍従も戸惑ったがワインの準備を始める。
「食事摂ってないんだろう?」
ケーリッヒが葡萄を一粒手に取りながら聞いてくる。
「大丈夫です。食欲がなくて、明日になれば良くなりますから」
あまりかまわないでください、侍従がそこにいて聞いているんですよ、そう言いたいのをリュシアンは侍従の目を気にして言えない。
ケーリッヒは葡萄を口に入れると咀嚼した。侍従に気を取られているリュシアンの顎を掴むと唇を重ね、嚙み潰した葡萄をリュシアンの口に押しやり、舌で喉の奥に追いやる。
侍従が見ている!
リュシアンはケーリッヒから放れようとするが、ケーリッヒがリュシアンの頭を後ろから押さえつけ、リュシアンが暴れても口づけから解放されない。
カチャン、と音がして侍従が動揺している雰囲気が伝わってくる。視線を感じる、凝視されているに違いない。
コクンとリュシアンが嚥下したのを確認して、ケーリッヒが唇を離す。
「違うから、心配しているだけだから」
リュシアンが侍従に聞こえるように、訳の分からない言い訳をする。
「恥ずかしがりだな、私は君に夢中なのに。心配するのは当然だろう」
「ケーリッヒ様!」
もう一粒葡萄と取ると、ケーリッヒはリュシアンの口に押し当てる。これを食べなければ、さっきのようにされるのだ、とリュシアンは葡萄を口に入れる。
葡萄を咀嚼しているリュシアンの頭を引寄せて、ケーリッヒは侍従に声をかけた。
「ワインの準備が出来たら、もうここはいい」
出て行け、と言われて、侍従は慌てて部屋から出て行く。
リュシアンは、葡萄を食べるとケーリッヒを睨みつける。
「口止めをしてません!」
「あー、明日の朝にはシェレス公爵子息の情事と噂が回るだろうな」
今は王の交代、襲撃で騒動の最中だ。そこに新王の補佐官で次期宰相のシェレス公爵子息の痴話なら揚げ足取ったとばかりに面白おかしく回るだろう。
ヘルフリートの依願でケーリッヒは武官ではなく、次期宰相として補佐に就くようになったのだ。
それに伴い、リュシアンも呼称を俺と言っていたのが僕になって、事務官ぽく気を遣っているようだ。
「ケーリッヒ様、何故わざとそんなことをされたのですか?」
リュシアンには、ケーリッヒが何を考えているのか分からない。自分なんかと噂になればケーリッヒの経歴に傷がつく。
ケーリッヒは葡萄を次々に、リュシアンに食べさせる。
リュシアンの食欲がないのは、オブライアンに言われた言葉と、王妃に続いて王子まで自分の手で捕まえたことで心が痛んでいるからだと思っている。
「私がお前の後ろにいると、知らしめるためだ。あんな言葉、二度と吐けないようにしてやる」
陰で言うのは無くならないだろうが、本人に面と向かって言うのは公爵家が恐くて減るだろう。
「反対ですよ。公爵の子息さえも篭絡する、さすが身体をつかうのが上手いと」
自虐するようにリュシアンが笑う。
「まだ身体を使ってもらってないな。早く私を好きと言ってくれないか」
「ケーリッヒ様がお望みなら、ご奉仕いたします。僕はそういう事してたので。いくらでも好きっていいますよ」
ケーリッヒが、リュシアンを抱きしめる。
「自分で自分を傷つけるのは悪いことだぞ。ジェフリー・モーガンはもういないんだ。私はリュシアンの心も身体も全部欲しいんだ」
「いくらリュシアンになっても、僕の身体は汚いんです。何人もの男や女がこの身体を使ったんです」
「そいつらを殺したい程、嫉妬するな。これからは私だけだから心配するな」
リュシアンの背中に残るたくさんの傷跡を知っているケーリッヒは、殺したい気持ちは嘘じゃない。
それはリュシアンの古傷をえぐることだから、気付かれないように殺さないといけないと思っている。
リュシアンの綺麗な顔。
リュシアンの置かれていた環境は凄まじいものだった。それなのに、どうしてこんなに魂が綺麗なんだ。
「私を好きなことは分かっているんだから、早く落ちてこいよ」
下を向くリュシアンの耳元に、ケーリッヒが囁く。




