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想いを寄せる人

 休み明けの月曜日。

 僕の登校を待っていたかのように与市が僕の席までやってくる。

 偽物彼女の瑠奈さんは教室内だと挨拶もしてこない。でも変に気安く話し掛けられて困るからその方が助かる。


「なあ高矢、これ読んだか?」


 与市が手に持っているのはこの週末に発売となった『甘夏の香りがする苦々しい夏の記憶』というライト文芸の恋愛小説だ。


「いや。まだだけど。凄いな。もう買って読み終えたの?」

「まだ読んでる最中だけど凄くいい話でさ」

「へえ。与市が今どきなラブストーリーに嵌まるなんて珍しいな」


 軽く鼻で笑ってしまうと与市はわざとらしく芝居がかった怒りを見せる。


「これはそんな薄っぺらい話じゃねーし! 小学生時代に片想いだった子と再会したら主人公のことを覚えてないんだぞ? それどころが主人公の記憶する過去とヒロインの記憶する過去が全然違うの。その謎を追いながら恋をしていく話だから」

「それのどこが薄っぺらくないわけ? ミステリー要素があるから? まさかページ数が多くて分厚いから薄っぺらくないとか言うんじゃないだろうな?」

「違うよ馬鹿だな。小学生時代から好きとか、それだけで尊いだろ」


 こいつは恋心とは無垢であればあるほど価値を見出すタイプだ。だからなんの損得勘定もない子供の恋は尊く、お金持ちのエリートに群がる美女がなによりも下卑てるということになる。


 「お前らしいな」と笑ったその時──


「あ、その本……」


 登校してきた香寺菜々海さんが目を輝かせて立ち止まった。僕の片想いの相手かつ、勝手に小説のヒロインにしてしまっている香寺さんだ。


「香寺さんも興味ある? 『甘苦夏』」


 緊張のあまり笑顔のままフリーズしてしまった僕をよそに与市は嬉々として語り出す。


 与市は本人曰く『二次元が好きすぎて三次元の女にはまるで興味がないから、女子と話しても全く緊張しない』そうだ。彼に言わせれば女の子と話をして緊張するのは、意識してようが無意識だろうが相手に期待してしまうかららしい。

 彼が女性相手に平然としていられるのは、宝くじを買ってない人が宝くじの抽選を見てもなんにも思わないのと一緒だとのことだ。


「へぇ……面白そうですね」


 与市の説明を聞いた菜々海さんは与市から『甘夏の香りがする苦々しい夏の記憶』を受け取ると表紙絵を見て微笑んだ。

 香寺さんは話し方がとても丁寧で綺麗だ。初対面でも人を呼び捨てにするどこぞのショートヘア個性派女子にも見習ってもらいたい。


「読んだら貸してあげるよ」

「えー? いいんですか?」


 そんなやり取りに加われないまま眺めていると、斜め方向から視線を感じる。

 そちらに視線を向けると瑠奈さんはサッと目を逸らしたように思えた。

 瑠奈さんは友達と何やら盛り上がっているようで、甲高い笑い声が聞こえてくる。その様子から考えても恐らく僕を見ていたのではなく、たまたま視線がこっちに向いていただけなのだろう。


────

──


 学校の帰りに図書館に寄っていたので、帰路についた頃にはすっかり日も暮れていた。

 元から図書館は好きな場所だったが、書籍化が決まってからはお世話になることが多かった。

 妹の影を怖れずに改稿作業も出来るし、分からないことを調べるのに資料も豊富だ。つい時間を忘れて閉館時間まで居座ってしまっていた。


「うー……寒い」


 まだ十月初旬というのに風が冷たい。やがて冬になり、更に春になる頃に僕の本は発売される。しかし今は全くその実感は湧かなかった。

 寒さに耐えつつ、首を竦めながら駅へと向かう。

 孤児院の脇を通りかかったとき、子供たちのはしゃぐ声が聞こえた。


(楽しそうだな……)


 普段はあまりそんな声が聞こえてこないところだが、何かイベントでもしていたのだろうか?

 門が開き、そこからうちの学校の制服を着た女の子が出て来た。


(あれはっ……)


「お姉ちゃんまた来てね!」

「ばいばーい!」

「帰らないでっ!」


 沢山の子供たちに見送られていたのは、僕が一方的に想いを寄せている香寺さんだった。黒くて長い髪が艶やかに揺れていた。


 「また来るからね」と子供たちの頭を撫でながら微笑んでいる。片想いフィルターを通して見る彼女の姿は、神々しさを感じるほどに慈愛に満ちていた。


「香寺さん……」

「あ、弓岡くん」


 声を掛けると香寺さんはちょっと驚いたように目を大きくさせながら微笑む。


「だれだれ? ななみちゃんの彼氏?」

「ひゅーひゅー!」


 子供たちに囃し立てられる。


「違うよぉ。お友達。クラスメイトだよ」


 至って普通に香寺さんは子供たちに返していた。その喋り方はいつもより固さが抜けて新鮮だった。

 照れているのは僕だけだ。


「時おりボランティアで孤児院に行って子供たちと遊んだり文字を教えたりさせて貰ってるんです」


 駅までの帰り道、並んで歩きながら香寺さんはそう教えてくれた。


「へぇ。偉いんだね」

「偉くなんかないですよ。私が楽しんじゃってる感じですし。本当にたまに読み聞かせとかするだけですから」

「でもみんな本当に香寺さんに懐いてる感じだった。真剣に向き合ってる証拠だよ。子供って意外とそういうことに敏感だから」


 お世辞ではなく、本気でそう感じていた。


 「うん。そうだといいんですけど」と呟く彼女は、どこか寂しそうな笑顔を浮かべていた。


「孤児院の子達はどこか心を許してくれないんです。突然口を利いてくれなくなったり、遊んでる最中にいなくなったり……私なんてまだまだだなぁって……」

「そうなんだ……大変なんだね」


 こんな時に気の利いたことの一つも言ってやれない自分が情けなかった。

 僕は恋愛レベルだけじゃなく、人としてのレベルも低い。


 そのあとも香寺さんは孤児院の出来事を話してくれ、僕は頷きながら聞いていた。大変そうなことも多いようだが、少なくともそれを語っているときの彼女の顔は活き活きとしていた。


「なんかごめんなさい。私の話ばかりベラベラと話してしまって」


 駅に着くと申し訳なさそうに謝ってきた。


「そんなことないよ。知らない世界の話が聞けて楽しかったから」

「話を聞いて貰えて嬉しかったです。なんか悩んでいたことも誰かに話すと気が楽になりますね」


 「だったらいつでも話を聞かせてよ」と言おうとして、どくんっと胸の奥で心臓が跳ねた。

 そんな簡単なひと言さえ、僕のような小心者には言えない。

 しかし瑠奈さんに告白したという経験が功を奏したのか、この緊張を楽しむ勇気も湧いてきた。


「あ、あの……そ、それだったら……もし、僕なんかでよければ……いつでもまた話してくれたら……」


 脳内で考えていたのよりだいぶ辿々しい感じになってしまったものの、なんとか口に出せた。


「はい。ありがとうございます。それじゃあ!」


 香寺さんはにっこりと笑って去って行く。

 電車の方角が同じじゃないのが悔やまれるが、これ以上一緒にいたら脳がオーバーヒートしそうだったからよかったのかもしれない。

 彼女の後ろ姿が消えるまで、僕はその背中を見詰めていた。


 昂ぶっている今の感情を文章にぶつけたい。

 僕は頭に浮かんでくるフレーズをスマホのメモ機能に落としながら家路を急いでいた。



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