思い出の公園
「戦いは終わったよ。一ヶ月近く経って僕の本は売れていないのが答えだ」
「高矢の本ってこれでしょ」
瑠奈さんは鞄から僕の本を取り出して見せる。
何が言いたいのか、見当もつかなかった。
「高矢の本は一ヶ月経つと自動的に消滅する仕組みにでもなってるわけ? ちゃんとここにあるでしょ」
「そりゃ、買ったものは残るけど……書店からはもう引き揚げてなくなってる」
「見たの?」
「え?」
「なくなっているのをその目で見たの?」
「見ては……いないけど」
瑠奈さんは淡々とした態度で鞄からなにやら取り出した。
「えっ……それって……」
瑠奈さんが取り出したのは、手作りのPOPだった。
キャラクターの絵は点Pさんのものじゃなく、瑠奈さんの描いたと思われるデフォルトされた三頭身のミニキャラだった。
とても可愛らしくて、夢がある、素敵なものだ。これを創るのはなかなか大変だっただろう。
「今日は書店を廻ってこのPOPを配って営業するから。早く着替えて」
「でもっ……僕の小説はもう今さら営業なんてしたって──」
「勝手に終わらせないで!」
そこではじめて瑠奈さんは声を荒げた。それと同時に突然溢れた涙の滴を落とした。
「勝手に戦いを終わらせないでよっ……まだ終わってない……高矢の小説は、今でもまだ日本各地の本屋さんで、戦ってるんだよ? 作者の高矢が簡単に負けただなんて、言わないで」
泣きながら震える声で怒る瑠奈さんを見て、僕の中で甘ったれた何かが弾けた。
負けたことを認めて潔く退いて、それで残るものは何もない。いや、一つだけ、後悔だけは残るだろう。
でも瑠奈さんは違った。
まだ戦ってくれている。それなのに作者の僕はいったい何をしているのだろう。
瑠奈さんのお陰で一気に目が醒めた。
「ごめん、瑠奈さんっ」
「なによ。高矢が行かないなら私だけで行くから」
「いや、そうじゃなくて……瑠奈さんがいると着替えられないんだけれど? 瑠奈さんがいいなら着替えてもいいけど?」
「へ?」
突然態度が変わった僕を見て瑠奈さんは驚いて動かなかった。
それをからかうように僕はパジャマのズボンの腰ゴムに手をかけた。
「ちょっ……やめてよ、変態っ! キモいっ」
少し慌てた様子の瑠奈さんは、何かぶつぶつ文句を言いながら部屋を出て行く。
僕は久し振りに、笑った。ほんの小さくだけど。
大型書店には、はじめから期待していなかった。
一件品揃え豊富で華やかに見えるけれど、意外と四六判のラノベのコーナーが小さいからだ。
僕たちはむしろ小さな、ラノベや漫画を重点的に取り扱ってる店へと売り込むことにした。
やはり大量に在庫は置いていなかったものの、棚差しに二冊あったり、平置きで三冊ある店もあった。
僕の、いや僕たちの本が見つける度に、瑠奈さんは大喜びをしてくれた。
そして書店員さん達はみんな驚くほど親切で、突然の来訪にも拘わらず笑顔で対応してくれ、POPや色紙を置いてくれる。
「作家さんなんですね! 頑張って下さい!」
「わざわざご丁寧にありがとうございます!」
「可愛いPOPですね!創り方教えて下さい!」
「俺、買いましたよ! 今度サインして下さい!」
そんな言葉をかけられる度に勇気が湧いてきた。ただあまりにも瑠奈さんがぐいぐい宣伝するものだから、半数以上の書店員さんが瑠奈さんを作者だと勘違いしているのには笑ってしまった。
僕たちのように地道に書店巡りをしている作家さんも多くいるようで、中には作家が書いたサインが沢山飾られている店もあった。
既に角には埃を被っている色紙なども、きちんと展示されているのを見て胸が熱くなる。
もちろんこんな地道なことをしたからといって僕たちの小説がいきなり売れ始めることはないだろう。
いや、一冊も売れないかもしれない。
僕たちのしていることは、死に逝くのを見殺しにするのではなく、看取るくらいの意味合いしかないかもしれない。
でも、それでもいい。
この作品を生み出したのは僕だ。その僕が最後まできっちりと見届けてやるのが責任だろう。
夕方になり、販促品も残り僅かになった頃、僕たちは近くの公園のベンチに座り、ジュースを飲みながら一休みをしていた。
「ねえ、ここの公園覚えてる?」
瑠奈さんがイタズラを仕掛けるような顔をして訊いてきた。
「うん。もちろん」
ここは僕が瑠奈さんに仮初めの恋人になって貰うために、嘘の告白をした公園のベンチだった。
「いきなり高矢がコクってくるんだもん。ビックリしたな、あの時は」
「そう? まあ好きだって感じたからね、瑠奈さんのこと。仕方ないでしょ」
からかわれたのでからかい返すと、瑠奈さんは顔を赤くして「そういうの、反則だから」と手の中でペットボトルをモジモジと弄ぶ。
相変わらず攻めるくせに攻められるのは弱い人だ。
「僕が『売れるわけない』とか『一生に一度の思い出』だとか言ってるのを力強く否定してきて、はじめはウザいなとか思ったけど。でも嬉しかったんだ」
「……あくまでそのネタ、続けるわけ?」
瑠奈さんは再び告白されているかのように、肩を窄めて身の置き場がないくらいに照れながら縮こまる。
いや、実際僕は今もう一度告白をしているのかもしれない。
「何食べたいとか訊いてきておいて、ラーメンって答えてるのにアボカドバーガー食べさせられたり、本屋に連れて行ったら騒がしくて恥ずかしいし。でもそんな瑠奈さんが、素敵だなって思ったんだ」
「なにそれ? 褒めるふりしてけなしてるしっ!」
怒ることで僕の言葉を止めようという作戦なんだろう。けどその手には乗らない。
「でも僕が一番ビックリして、瑠奈さんという人に興味を持ったのは『嫉妬しちゃった』って言ったことかな?」
「え? 嫉妬?」
「うん。僕がプロの編集者に認められ、自分はまだ認められていない。だから悔しいって言ったこと」
「なにそれ? そんなこと言ったっけ? だいたい言ったとして、その残念な発言のどこに惹かれるわけ?」
「だって普通言えないよ」
僕は空を見上げ、目を細める。最近外に出ていなかったから陽射しが眩しい。
辺りはすっかり春の雰囲気だ。僕が拗ねて、いじけて、引きこもってる間にも、当たり前だけど季節は巡っていたんだと実感する。
「他人が認められたってことに嫉妬したなんて、普通の人は言えない。嫉妬してる人は匿名のネット上でもない限り、絶対にそれを口にしない。認められた人を無視したり、口先だけでおめでとうと言って腹の中で罵ったりする。でも瑠奈さんは平然と『嫉妬する』って本音を言った。そしてその上で僕の成功を祝い、喜んでくれた」
視線を青空から瑠奈さんに移す。
「なんて素直で、不器用で、偽りがない人なんだろうって……ビックリした」
目が合うと瑠奈さんは優しい目で見詰め返してくれた。
「それどころか僕の作品の質を上げるために協力までしてくれた。やり方は、まあ、ちょっと微妙だったけど。でも嬉しかったよ」
「微妙ってなによ! だいたい高矢が私を好きになる理由に──」
「もちろん可愛い顔立ちも好きだよ。僕なんかにはもったいない美少女だと思う」
さすがの僕も三度目は失敗しない。
容姿のことも付け加えると「べ、別に……普通だし」と顔を紅潮させて呟く。言われないと拗ねるくせに言うと照れて否定する。
そこがまた可愛いなんて思った僕は、やっぱり馬鹿な彼氏なんだろうか?




