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心の自傷行為

 閉め切ったつもりのカーテンの隙間から朝日が射し込んでフローリングの床を照らしていた。自分の世界が干渉されるようで不快だった。

 けれど立ち上がってカーテンを締め直す気力もなく、そのままにしておく。

 今日が何曜日なのかも、もう分からなくなっていた。

 学校では新学期が始まっているはずだが、自分が何組なのかも知らない。


 もう、どうでもよかった。

 なにもかも、全てが、どうでもよくなってしまっていた。

 しばらく天井を見上げてから、つい惰性的にスマホを手に取ってしまう。


 やめておけばいいのに、僕は検索エンジンに自分の小説名を入力してしまう。


 出て来る検索結果は小説投稿サイトの自分のページと書籍通販サイトのリンクばかり。与市の読書ブログを除けば、個人の読書感想ブログはおろか、匿名掲示板ですら誰一人として僕の小説について語ってはいなかった。


 最大手の通販サイトを開くと評価は相変わらず星五つ評価が一つだけだ。

 それを書いたのは訊かなくても文面から繁子ちゃんだと分かる。


 やめておけばいいのに書籍情報をクリックしてランキングを確かめると、指差し確認しないといけない桁数のランキングが表示されていた。

 それだけの数の本がこの世の中にあるというだけで驚きだ。


 僕の小説は、全く売れなかった。らしい。

 先日鳳凰出版の宇佐美さんから連絡があり、続刊は厳しいと申し訳なさそうに連絡があった。何部売れたのかなんて具体的な数字は知らなくても、それだけで充分だった。

 宇佐美さんは辛そうな声で謝っていたが、謝罪したいのはこちらの方だ。


 あれだけ必死に文章を直してもらい、素晴らしいイラストレーターを用意して下さり、何千部も刷ってもらって、この様だ。

 謝りたい人から謝られることくらい、辛いことはない。


 ふと、昔のことを思い出す。

 小学生の頃、もう名前も忘れてしまったけど、クラスでバイ菌扱いされてイジメられている子がいた。僕は別になんとも思っていなかったのに、その子に近付くのを避けていた。理由なんてない。みんながそうしていたからだ。

 ある日悪ふざけした男子が僕を突き飛ばし、その子にぶつからせた。

「うわー、高矢バイ菌伝染(うつ)ったぞ!」と囃し立てられた。

 その時その女の子がボソッと申し訳なさそうに僕に言った。

 「ごめんね」と。

 謝るのは、僕の方だった。


 そんな遠い日の記憶を遡り、自分を責めるのも、きっとずる賢い自己防衛本能なのだろう。

 でも『自分は駄目だ』『才能なんてなかった』『他人に迷惑をかけた』、そんな風に自分を責めていないと心が落ち着かなかった。


 編集者さんも、書店員さんも、親も、友達も、瑠奈さんでさえも僕を叱ってはくれない。

 仕方ない。

 よく頑張った。

 今は出版不況と呼ばれていて。

 面白かった。

 運がなかった。


 誰も僕を責めてくれない。


 こんなに売れなかったのに、ネット上にすら僕を非難する声はなかった。

 まるで僕の作品などはじめから流通もしていなかったかのように。

 なかったかのように扱われるのは、貶されるより辛いことなのかもしれない。


 もちろんサイトの小説の感想欄には以前からのファンの人から『書籍買いました』『面白かったです』というコメントが数件ついていた。

 この人たちは二巻が出るのを待ってくれているのかもしれない。そんな期待に応えられないことも辛かった。


 惨めで、情けなくて、悔しくて、消えてしまいたかった。

 楽しかったのは発売当日までだった。

 あの頃の僕はなんでこんなものが売れるかもしれないなんて思っていたのだろう。

 なんでラノベのランキング本に載る可能性だってあるなんて思っていたのだろう。

 なんで何冊も本を出せるなんて思っていたのだろう。


 そんなことを思っていた自分が恥ずかしくて、恨めしい。

 僕は、馬鹿だった。何も知らなかった。前評判が薄くても、本屋に並べば売れるかもしれないと思っていた。


 そもそも僕の本が出版できたのはサイトで活躍してきた先人たちのお陰だ。

 あの先輩たちの作品が売れたから、これも売れるかもしれないと拾ってくれただけだ。

 それなのにおこがましくも、僕は自分の文章が金になるんだと思い込んでいた。


 でも僕もうっすらとは気になってはいた。

 改稿中何度も自分の作品を読み直し、何度も直しているうちに、この作品のどこが面白いんだろうと思ったことが何度もあった。

 何度も読み直しているからそう思うんだと勝手に一人で納得していたが、違う。

 この作品ははじめから面白くなんてなかったんだ。


 コンコンッとドアをノックする音がして、僕の心の自傷行為が途切れる。

 朝になると母さんが朝食を運んでくる。鍵はかけられない構造だけど、お母さんは中には入ってこず、いつも扉の前に食事を置いて立ち去ってくれていた。


 しかし──


 ドアは呆気なく開かれる。

 そして部屋に入ってきたのは──


「瑠奈さんっ……」


 久し振りに声を出したからか、喉の奥で絡まるように上手く発声できなかった。

 瑠奈さんは大きな鞄を背負い、怒った顔をして立っていた。


「何してるの?」


 その声は無理に怒りを抑えた、不自然に落ち着いた低いものだった。


「別に……何もしてないよ。瑠奈さんの方こそ何しにきたの?」


僕は瑠奈さんの目を見ずに答える。


「そりゃ彼女だからね。彼氏が不登校になって引き籠もりになったら迎えにくらい来るでしょ」


 瑠奈さんは制服を着ていない。ということは今日は休日なのだろうか?


「もういいよ。彼氏とか、彼女とか……」

「いいわけないでしょ? 仮初めの恋人契約じゃないんだから、どちらかが一方的に契約解除は出来ないんでしょ?」


 感情の読めない、平坦な喋り方だった。

 そんな喋り方をされ、対応に窮してはじめて気付かされる。

 僕はいつも相手の感情や態度を伺いながら話をしていたんだ、と。

 怒ってるのか、慰めてるのか、呆れてるのか、憐れんでるのか、それが分からない相手との喋り方というものを知らなかった。


「瑠奈さんは結局僕の才能が好きだったんだろ? 小説を書いて、プロデビュー出来るという、その才能が好きだったんだろう?」


 投げ遣りにそう言い捨てる。視線は瑠奈さんのつま先辺りに漂わせていた。


「そうだよ。当たり前じゃない。あんなに素敵な小説を書ける高矢の才能が一番惹かれた理由だよ」


 瑠奈さんは否定しなかった。当たり前のように、そう答えた。


「だったらもういいだろ。…………負けたんだ。僕は、負けたんだよっ……もうそっとしておいてくれ」

「はあ? 高矢がいつ負けたのよ?」


 小馬鹿にしたように言われ、一瞬で負の感情が沸騰した。

 心の中で何かが弾け、顔を上げて瑠奈さんの顔を睨んだ。


「負けただろう! 瑠奈さんだって見ただろ! 僕の作品は売れていない! 続刊だって出来ないって宇佐美さんからも言われたっ! 負けたんだよ! 僕は負けた! 才能なんてなかったんだよ! 瑠奈さんが好きだって言った、その才能なんて僕にはなかったんだっ!」


 いじけて殻に閉じこもり、自分を蔑んで卑下するのは、気持ち良かった。

 何もかも、一番大切な人でさえも失って、もっと惨めになりたかった。


「負けたって……戦いは終わってないんだけど?」


 瑠奈さんはふぅーと息を吐きながら僕の前に座った。



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