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本当の気持ち

「でも実際は、勝負はもっと早いらしいよ。発売後一週間が大切な期間って言われてる」

「い、一週間っ!? なにそれっ!? 早すぎるでしょ?」


 一ヶ月でも驚いていた瑠奈さんだから、それを聞いて目を丸くした。

 突然大きな音がして振り返った猫のような眼だった。


「だよね。僕も自分が出版するまで知らなかったよ」

「小説だよ? 賞味期限があるわけでもないのに慌てすぎじゃない? たった一週間でなにがわかるのよ。いくらなんでもそれで見極めるのって早すぎない?」


 まるで僕が決めたルールのように瑠奈さんは非難がましく抗議してくる。


「でも実際その期間が一番本が売れる時期らしい。ライトノベルなら特にそれが如実に表れるみたいだよ」


 説明しながら僕の脳内には先ほども見てきたライトノベルの棚が浮かんでいた。

 あの僅かな棚を毎月何十冊と発刊される作品で奪い合うのだ。

 確かに悠長なことは言ってられないのも理解できる。


「それにしたって発売一週間って……そもそも私は発売されて一週間の本なんて買ったことないかも」

「まあ、確かに……」


 言われてみれば今までの僕もそれは似たようなものだった。

 よほど以前から期待してたものでない限り、本は発売直後よりも他人の評判を聞いたり、何度か書店で見たものを買うことの方が多い。


 しかし結局そこまで行きつくためには、なんとかして棚に残っていなくてはならない。そして棚に残る為には初動で売れることが条件だ。


「……はじめの一週間で売れない小説はそのあとも売れないっていう判断基準も、分からなくはないよ。売場に制限があるから売れない本を引かなくてはいけないってのも……そりゃ分かるよ……でも何ヶ月も、人によっては何年も掛けて書いた作品が、たった一週間で判断されるなんて……そんなの、残酷だよ……」

「本をヒットさせる方というのは本を出版することよりも、もしかしたら難しいのかもしれないよね」


 立ちはだかる壁を見上げるように、僕は言う。


「だから微力でも自分からSNSとかで宣伝することも、恥ずかしがらずに僕はするよ。出版社さんのの宣伝やイラストレーターさんの表紙ほど強い『惹き』にはならなくても。一人でも多くの人の目に留まるように、無様でも僕は足掻く」

「うん。そうだよね。私も応援するっ!」


 瑠奈さんは大きく頷きながら僕の手を握りかけ、熱いフライパンに触れたかのように慌てて手を引っ込めた。


「も、元カノとして応援してあげるからさっ……」

「ありがと」


 仮初めの恋人契約が終わったことで、一応は自分の立ち位置を気にしてくれているみたいだ。


「ま、いずれにせよ僕の作品が売れても二巻は高校卒業してからになる予定なんだけどね」

「え? なんで?」

「だって受験があるだろ」


 これはだいぶ前から編集の宇佐美さんから言われていることだった。

 続刊したとしても学業の邪魔にならないよう、二巻の推敲は大学受験が終わってからになる。

 もちろん就職をするという選択肢だってあるし、小説に賭けるという選択もある。

 しかし僕は大学に行ってもっと色んなことを学びたかった。それはきっと小説を書く上でも役に立つはずだ。


 それに卒業と共に小説家になるという選択は、なるべく考えない方がいいということも宇佐美さんからは遠回しに言われていた。

 売れるか売れないか分からないはおろか、今後定期的に作品を出版できるかも分からないのに、そんなリスクを負うことはさすがに危険だということは僕も分かっている。

 分かってはいるが、いずれ専業作家になりたいという夢もある。


「そうなんだ。でも高矢の小説が十万部くらい売れちゃったら、手のひらを返したようにすぐに出そうって言ってくるんじゃない?」

「えっ……? あっ、そっか……なるほど……確かにそんなに売れたらそういうこともありうるのかな? そんなことは考えてもみなかった」

「えー!? 考えなよ、そこは。夢見ようよ」


 根本的にポジティブな瑠奈さんの発想は、デフォルトでネガティブな僕にはいつだって新鮮だ。


「そうなったらその時考えるよ。だって既に続きはネットにアップしてるんだから改稿だけならなんとかなるでしょ」

「あ、それもそうか。一から考えるなら大変だけど、既にストーリーは書いてるんだもんね。うんうん。でもクオリティを追求するならやっぱり時間はかかるよね」


 瑠奈さんは起こってもいない問題に心配したり、安堵したり忙しそうだ。


 「改稿作業をするなら、また偽の恋人役になってもらえる?」という、たったそれだけのことが言いたいのに言えない自分が歯痒かった。


「デートしたり、喧嘩したり、仲直りしたり……高矢の一番近くで作品が創り上げられていくところが見られて愉しかったよ」


 瑠奈さんは卒業証書でも渡すかのように、キャンバスを僕に向けながらそう言った。


「僕の方こそ……本当にありがとう。瑠奈さんに助けてもらえなければ、恋愛部分の大幅改稿なんて絶対無理だったから」

「そう言ってもらえるなら仮カノしてよかったよ。あ、点Pさんのイラスト。送ってきたら絶対私に一番に見せてよね」

「もちろんだよ」


 僕も卒業生代表のようにうやうやしくキャンバスを両手で受け取った。でも中学の卒業証書をもらうときより、ずっと胸が締め付けられた。


「ちょっとそんな顔しないでよ。別に死に別れるわけじゃないし、また学校で毎日逢えるんだから。もう彼氏ではないけれど」


 よほど酷い顔をしていたのだろう。瑠奈さんは僕の肩をぺちっと叩いて笑う。

 知り合った頃はこの馴れ馴れしさや、人との距離の取り方が近すぎるところとか、簡単に触ったり叩いたりしてくるところとかすごく苦手だった。


「そんな顔って。僕はいつもこんな顔だから」

「まぁね。いつも覇気がなくて、何考えてるのか分かんない感じだもんね」


 ずけずけとものを言ってくるところとか、小馬鹿にしてるのかと思うような物言いも嫌いだった。


「悪かったね」

「そう。悪いよ。小説書いてるときとか、すごくかっこいいのに。普段からあんな顔してよ」


 照れずにすごいことをサラッと言ったり、僕の気持ちを混乱させるところも、迷惑だった。


 猫のように気紛れなところも、くりっとした大きな目でじぃっと見てくるところも、人にどう思われようが揺るがないところも、今は全部──


「好きだよ、瑠奈さん……」


 口に出してから、どんどん顔も身体も熱くなってしまった。

 きょとんとした顔で見詰められ、肌がチリチリと擽ったかった。


「知ってるし。ってまだ恋人の振りするわけ? 延長料金かかるよ? 早くも二巻に向けてやる気満々だねー」


 瑠奈さんは口を大きく開けて笑った。まるで本気にしていない様子なのが悔しかった。

 そりゃそうだろう。

 瑠奈さんみたいに可愛くて、人気者で、魅力的な女の子が、本気で僕のような陰気で冴えない男と付き合うはずがない。

 でもそんなことは関係なかった。

 どう思われていようが、僕は瑠奈さんに想いを告げる。

 それは自分自身に誠実であるためだ。付き合いたいから想いを告げるのではない。好きな人に好きだと告げたいだけだ。

 もう僕は逃げないし、気持ちも隠さない


「恋人の振りじゃない。本気で、瑠奈さんのことが……好きなんだ」


 詰まりながら、辿々しく、それでも本音の想いを告げた。


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