膨れ上がる化け物
以前訪れた大型書店の前に瑠奈さんと二人で立っていた。
先ほど二人で最終稿を発送して、その足でやって来ていた。
「最後はやっぱ、ここだよね」
意味ありげに瑠奈さんのアーモンドのような猫目が僕を見る。
『最後』という言葉に胸がチクッと痛んだのを隠しつつ、黙って顎を引いて頷く。
「二カ月も経たないうちに高矢の小説もここに入荷されるんだね」
「うん。そういうことになる」
僕たちは意を決したように書店の自動ドアを潜った。
三階のWeb書籍のコーナーに向かう途中、平積みになっているレジ前の棚で立ち止まった。
鳳凰出版からデビューすることになってから一般文芸でも鳳凰出版のものを探してしまうようになっていた。
鳳凰が両翼を広げ空を舞うマーク、それが鳳凰出版の目印だ。
「へぇ、これも鳳凰出版なんだね。今度映画化するんでしょ?」
瑠奈さんは平積みの一冊を手に取る。
映画化に伴って実写映画の出演者がプリントされた全面カバー帯が被せられていた。
こうなってしまうともう小説は本格的に作者一人のものじゃなくなっている。
監督はもちろん、沢山の役者さん、撮影スタッフも携わっているし、関連商品やら広告なども原作に関わってくる一大コンテンツだ。
最初は作者一人の脳内で生まれた。それが今、ここまで大きく膨れあがっている。
映画化までされるとなると、CMでも流れるし、街には大きな看板も登場する。
それを見て、作者は今どんな気持ちなのだろう?
大成功を喜んでいる。とは、なんとなく思えなかった。
僕とは次元の違うが、それでも不安で緊張しているんじゃないだろうか?
この作品は確かに既に成功している。
ここから更なる飛躍を遂げるか、映画はさほど有名じゃないが小説としては名作という程度で留まるのか?
「どうしたの、高矢? 怖い顔して」
「ねえ、瑠奈さん……この小説の作者は、いまどんな気持ちだと思う?」
「気持ち? そりゃバンバン売れてお金持ちで大喜びで」
瑠奈さんは笑いながら両手を拡げ、見えない大金を抱き締めた。
「きっと、怖いんじゃないかな」
顔を上げた瑠奈さんはもう笑っていなかった。
きっと僕と、同じことを考えている。
でも僕は愚者の振りをして、瑠奈さんに訊いた。
彼女の答えが、聞きたかったから。
「お金持ちなのに怖いの? 映画なんて失敗しても、お金が減るわけでもない。原作が貶められるよりも、映画が酷評されるだけなのに?」
瑠奈さんは刺すような瞳で真っ直ぐに僕を見詰めていた。
僕が試すようなことを訊いたから、不愉快なのかもしれない。
「この小説の原作者は映画なんて失敗すればいい。心のどこかでそう思ってる」
「……なんとなく僕もそう思ってた。代表作はどこまでも大きくなっていく。自分が創り出した作品が怪物となり、やがて作者を殺すほどの力を持つ」
次作もその次の作品も代表作は越えられないと烙印を押され、この一作のみの作家だと思われる。
いや、人にどう思われようが関係ないだろう。
問題は自分がそう思ってしまうこと。そして周りの人間は第二第三のヒット作を望んでくることだ。
映画までヒットすればもう、いよいよこの作品だけじゃない。作家本人までもが、自分のものじゃなくなる。
似たようなテイストの作品を要求され、それに応えなくてはならなくなるだろう。
『新しい境地』などという金にならないアウトプットは要求されない。
ヒットメーカーとして、勝手にその手の作品の作家とレッテルを貼られ、書かされ続ける。それを職業として割り切れたものだけが、ベストセラー作家として生き残れるのかもしれない。
夢は叶った時点で夢じゃなくなり、更なる高みの夢を目指す。
それを繰り返し、夢はいつしか越えなくてはいけないハードルに変わる。
ありもしないゴールを目指して、一段、また一段と上るたびに絶望が深くなるのかもしれない。
本当にそんなことを思ってるのかどうかは分からない。
全ては僕の憶測だ。
けどここまできたら不安はない。満足だ。などというものはないんだろうなと思う。
「別にいいよね。作者を潰すほどの作品になっても。お金持ちになったら、あとは書きたくなければ書くのをやめたらいいんだよ。そして名前も変えて売らないものを好きなように書けばいいんだよ。それこそWeb上にね」
瑠奈さんは急に拝金主義じみたことを言い、笑い飛ばす。
「急に変わりすぎだよ、瑠奈さん」
「そんな叶ってもいない夢のことを気にしてどうするのよ! 今はとにかく売って売って売りまくればいいのっ!」
ラノベのコーナーにつくと以前二人で来たときと本の並びが変わっていた。
僕が以前無作為に抜いて表紙を見た作品は、もうその棚にはなかった。
「そういえば高矢の小説って初版何部刷ってもらえるの?」
「なんでそんなこと言わないといけないんだよ。教えない」
「は? 彼女に隠し事するの? 高矢ってそういう人だったんだ?」
「なんでこういう時だけ彼女を主張してくるんだよ。それに彼女だって発行部数なんて言わないでしょ、普通」
きっぱりと拒否したのに、瑠奈さんは耳に手を当てて僕の口許に躙り寄ってくる。
「もう……九千部だよ」
そっと囁くように伝えると「おおーっ!」と瑠奈さんは声を上げた。
「それって多いの、少ないの?」
「さあ。知らないけど。でもまあ一般的に出版物の最低ロッドは三千部っていうから滅茶苦茶少ないって訳でもないんじゃないかな? 滅茶苦茶多いってこともないけれど」
「期待されてるんだ、高矢!」
「期待されてるってほどでもないと思うよ」
「で、印税率は?」
再び耳に手を当てて擦り寄って来るので、僕は囁き声で答える。
「それは絶対内緒」
「なにそれー! ケチっ!」
そこまで言ったら小学生でも計算できてしまう。
初版印税額ギリギリのプレゼントを要求されても堪らないので、それだけは秘密で通してやった。
「私からプレゼントがあるの」
「プレゼント?」
書店を出てから瑠奈さんは突然そんなことを言った。
そして誘われるがままに着いていくと、そこは立派な一軒家だった。
高い塀に囲われ、建物はよく見えない。車が三台ほどおけそうなガレージには、車に疎い僕でも知っているドイツの高級車と、可愛らしいフォルムの外国産の軽自動車が停められていた。
「ここは……?」
僕の質問に答えず、瑠奈さんは玄関を開けて中へと入っていってしまった。
ということはここは瑠奈さんの自宅ということなんだろう。信じられないけれど。
「ほら、なにしてんの? 早く」
瑠奈さんは面倒くさそうに手招きをするが、いきなり女の子の家に入れといわれても躊躇ってしまう。
ましてやこんな高級住宅ならなおのことだ。
「大丈夫。お父さんもお母さんも今日はいないから」
問題はそれだけではないのだが、さっさと行ってしまうので仕方なく僕はあとを着いていった。
お母さんの趣味なのか海外の童話に出て来そうな妖精の小人のオブジェと花やらハーブなどが植えられていた。
もちろん家屋の方もガレージや庭に見劣りしない立派で風格のあるものだ。
アンティーク感のある煉瓦造りで、リビングと思われるところは緩やかなカーブで半円状に膨れている。
窓も大きく、そこから見えるカーテンですら我が家のホームセンター臭の漂う安物とはまるで違っていた。
「こんな立派な家に住んでいるなんて──」
「ほら、さっさと入って」
瑠奈さんは僕の言葉を遮るように玄関を開けて入っていってしまう。
全くそんな気配はなかったが、どうやら瑠奈さんは結構なお嬢様だったらしい。




