恋人たちの時間
感心してその様子を見ていると、顔を上げた与市と目が合った。
僕と瑠奈さんが隣同士に座ってるのを見て意味ありげに笑う。
あとで叩いておこう。
先ほどの二人組の曲が終わり、拍手が起こる。そしてすぐに次の曲のイントロが流れはじめた。
(えっ……これって……)
聞き馴染みのある曲だった。
十年ほど前に大ヒットしたアニメの主題歌だ。一般的にも多少は知られていると思うが、それほど人気がある曲とも思えない。
「あ、はいはい! 俺の歌!」
当然のように挙手したのは与市だった。
(マジかよ与市っ……このリア充空間でその選曲とはっ……無茶しやがってっ……)
他人事ながら背筋に冷たいものを感じた。
しかし──
「あー! 私これ好きっ!」
「懐かしいなぁ!」
「俺も歌おうっ!」
男子も女子も驚くほど食いつきがよかった。
「えっ……」
与市は躊躇うことなく歌い出しからシャウトしていく。それに煽られたオーディエンス達も拳を突き上げて盛り上がっている。
「いえーっ!」
瑠奈さんも拳を突き上げながらノッていた。
(すごい……すごいよ与市……)
何かに遠慮しながら生きている僕と違い、与市は受け入れられるかどうかなんて考えずに生きている。
もしこの選曲で場が白けても、失笑されても、きっと彼の価値観は揺るがないだろうし、気にも留めないのだろう。
さすが与市だ。正直彼が少し羨ましかった。
「高矢も歌えよっ!」
与市の指名を受けて近くの人が僕にマイクを渡してくる。
カラオケを歌ったことがない訳ではないが、こんな人の多いところでは初めてだ。
でもやるしかない。ここでモジモジして場を白けさせるのが一番ダサいことだ。
僕はマイクを受け取り与市と一緒に歌った。
もちろん与市のように弾けては歌えなかったけれど、それでもみんなと盛り上がりながら歌うのは気持ち良かった。
────
──
パーティーの一次会が終わり、カラオケ店の前にみんなが集まって二次会に行くのかという話題がメインで話し合っていた。
僕は与市と二人で少し離れたところにいた。
「いきなりアニソンぶっ込むとかさすがは与市だよな」
「えー、そうか? あれでも気を遣ってみんなが知っている曲を選んだつもりなんだけど?」
与市は本気か嘘か分からない顔で笑った。確かにこいつからしたらメジャーな曲を選んだ方なのかもしれない。
いきなりマイナーな深夜アニメのエンディングテーマとか歌ったらさすがにみんな引いただろう。
「てか高矢クリパなんか来てて大丈夫なのかよ? 締め切りとか近いんじゃないの?」
「まあ、それはなんとかなるから」
「頑張れよ。とんでもない地雷作だったら俺もレビューでフォローしないからな?」
与市は冗談めかして励ましてくれる。
こいつが親友で、本当によかった。僕は心の底からそう思った。
「分かってるよ。必死にブラッシュアップして与市がサイン欲しがるような最高の作品にしてやる」
「サインとかいらねーしっ! 知ってる? 落書きとかあると古本屋に持って行っても買い取ってくれねーんだよ」
「落書きってっ! 作者のサインだからっ」
こんな作家ごっこも、批評家ごっこも、こいつとならば愉しい。
見栄もなく、嘘もなく、意地も張らない。
自然な自分でいられる相手だ。
「そういえば批評といえばサイトでお前の作品に結構辛口なコメント残してる男いるよな。褒めたふりして当て擦り言う奴」
「褒めたふりして当て擦り? ああ」
小鳥遊慧さんのことを言っているのだろう。図書館で偶然にも遭遇した背が低くて髪の長い女の子だ。一人称が『ボク』だから男だと思っているんだろう。
実際僕も会うまではそう思っていたし。
「それって小鳥遊慧さんだろ?」
「そうそう。なんかピント外れなこと言ってるけど気にするなよ?」
「そうかな? 僕は結構痛いとこ衝いてくるなぁって勉強になってるけど?」
「俺はなんか嫌いだな。書籍化すると公表したら他にも、もっとヒドい拗らせワナビみたいなのが批判とかしに来るかもしれないけど気にするなよ?」
与市はサラッと流すように言ったが、結構僕のメンタルのことを心配してくれているようだった。
「大丈夫だよ。僕みたいなド底辺作家が書籍化するなんて言っても誰も相手にしないと思うし」
「ド底辺ではないだろ。でもまあ、確かにワナビを拗らせて嫉妬深い奴らって批判とかするより無視しそうだな」
「えっ!? そうなの? 結構仲良くしてもらってる作者さんとかいるんだけど」
「そんなもんだって。普段から付き合いがあっても書籍化報告した途端に絡んでこなくなるって感じ。まあ、あの小鳥遊とかいう男は絡んできそうだけど。ワナビじゃないんだろうし」
「実はあの小鳥遊さんって女の子なんだよ」と言おうとしたところに、瑠奈さんがやって来た。
「ねぇ、高矢、二次会行くの?」
首を傾げて両手を背後で繋いだ格好で訊いてくる姿が、どことなく餌を啄みに来た小鳥に似ていた。
「いや。さすがにそこまでは」
「そういうと思った」
瑠奈さんと話し出すと、与市は急に何かを思い出したように二次会の相談をしている人の輪へと駈けていった。
そんな気遣いは別にいいのに、と思いつつも呼び止めはしなかった。
「ごめんね。送れてきたくせに一次会で帰るなんて」
「じゃあ一緒に帰ろうか」
「えっ? 瑠奈さんは二次会行くんじゃないの?」
「行かなーい。ほら、帰るよ」
瑠奈さんはみんなの視線を避けるように僕の手を引いてそっとその場を立ち去った。
ここまで来れば誰にも見つからないというところまで来て、瑠奈さんは僕の手を離した。
「高矢が来てくれるなんて意外だったな」
「まあ、せっかく誘ってもらったんだし。行ってみようかなって思って」
「ふぅーん?」
瑠奈さんは目を細めて疑り深い表情で僕を覗き込んだ。
「な、なに?」
「てっきり菜々海ちゃんと一緒に孤児院のボランティア行ってるのかと思った」
「誘われたけど断ったよ」
瑠奈さんの誘いを断っておいてそっちに参加するのは悪い気がして断っていた。
いや、何もなかったとしても断っていたかもしれない。
「ふぅん……私の誘い断って菜々海ちゃんとデートしてたら絶対文句言ってやろうと思ってたし」
「なんだよ、その言い方……デートじゃなくてボランティアだし。それに僕だってっ……」
と言いかけて言葉を飲み込んだ。
「『僕だって』、なに?」
「……いや、僕だって瑠奈さんがクラスの男子とパーティーの約束してて、後から追加みたいに誘われたのはいい気がしなかったよ」
素直に気持ちを吐露すると瑠奈さんは驚いた顔をする。そしてすぐにニヤニヤしだして肘で突いてきた。
「なに? やきもちをやいてくれてたの?」
「そ、そうじゃないけど……そうなのかな?」
一人でいじけて拗ねて捻くれた感情も『やきもちをやく』なんて言葉で表現してもらったら、なんか可愛らしいもののような気さえしてしまう。
「まあそういう負の感情っていうのは小説を書く上で役に立つかもしれないけど、あんまり妬く男子は好かれないから気を付けてね」
「僕の書いてるのは純文学とかじゃないから、そういう感情なんていらないと思うんだけど」
深い考えがあったわけではなく、ほとんどジョークとして咄嗟にそんなことを言った。しかし瑠奈さんは納得いかない顔をして首を傾げた。
「純文学とかファンタジーとか、そういうレッテル付けはよくないよ。ファンタジーだろうがライトノベルだろうが、深遠な描写があった方が重みが出てよくなるんだから。太宰治が異世界ファンタジーとか書いたら面白そうじゃない? 『勇者失格』とか」
「それは……確かに、そうかも」
適当に言っただけなんだろうけど、その言葉は物凄く僕の心に響いた。
瑠奈さんの言葉は簡単だ。当たり前のことを当たり前に、飾らずに語っただけ。でもそれを見失っていた。
僕は自分が創りたい小説を書き始めたのに、いつの間にか誰だかわからない人のために文章も綴っていたのかもしれない。
太宰治を読んで震えた、安部公房を読んで唸った、綾辻行人を読んで驚愕した、J.K.ローリングを読んで興奮した、あの時の感動をいつの間にか忘れてしまっていた。
イラストレーターを夢見る少女がルノワールに憧れるのと同じように、Webでライトノベル書く男の子が太宰治に片想いをして悪いことはないんだ。
「今ものすごく小説が書きたい、そう思ってるんでしょ?」
瑠奈さんは少し呆れた顔をして笑っていた。
「なんで分かるの?」
「そりゃ分かるよ。だって、彼女だもん」
「そっか……さすがだね」
なんだか瑠奈さんの手の中で転がされている気がするのは癪だが、嬉しくもあった。
僕が駅に向かおうと歩き出すと、不意に手を握ってきた。
「えっ?」
「どこに行くつもりよ?」
「どこって……帰って小説を……」
「駄目だよ。今日はクリスマス前日なんだからデートでしょ?」
「ええっ!?」
「当たり前でしょ。だって私は高矢の彼女なんだから」
瑠奈さんはイジワルそうににっこり笑った。
小説を書きたいという気持ちは理解している。けれど書きに帰ってもいいとは言っていない。そういうことなんだろう。
いかにも瑠奈さんらしい。
「そっか……それもそうだね」
諦めて僕も笑う。それに一緒にいたらもっと書きたい気持ちが高まる気がしていた。
「じゃあまずはプレゼント買ってもらおうかな」
「ええっ!?」
「ええっ!? じゃないでしょ。当たり前」
「彼女だから?」
「分かってるじゃんっ!」
「さすがに三回目だから」
僕は瑠奈さんに手を引かれ、イルミネーションで彩られた街の中の喧騒へと向かっていった。




