乾いた円を描いて
打ち合わせが始まる前にもちろん瑠奈さんは退席する。
立ち去る直前に瑠奈さんは点Pさんと宇佐美さんに向けて勢いよく頭を下げた。
「点P先生っ! 高矢の小説に最高の絵を描いてやって下さいっ! そして編集者さんっ! ビシッビシ悪いところを指摘して書き直させてやって下さいっ! お願いしますっ!!」
頭を深く下げ、力強い声でそう言った。
「ああ……引き受けたからには俺の作品でもある。心配するな」
点Pさんは顎を引くように頷き、唇の端を持ち上げてそう答えた。
「はい。最高の作品に仕上げます」
一方宇佐美さんは恋の悩みを打ち明けられた保健室の先生のような笑顔で瑠奈さんに答えた。
「ってすいません。生意気なことを言ってしまって」
瑠奈さんは気まずそうな笑みを浮かべて顔を上げると「じゃあ頑張ってね、高矢っ!」と僕の肩を叩いて、軽やかな足取りで店を後にしていった。
「どうもすいませんでした。クラスメイトがお騒がせして……」
僕が瑠奈さんの暴走について謝ると、二人はなぜか顔を合わせて意味ありげな顔をしてお互いを見て笑っていた。
打ち合わせといっても今日はイラストに関わることだけだった。
どのシーンをイラストとして起こすかはもちろん、どのキャラをどの角度から見た構図にするのかなどを細かく決めていく。
「じゃあここは主人公が覚醒して敵を斬るところを見て唖然とするウデラの絵にしようか」
そう言って点Pさんはサラサラッと構図だけを描いて見せてくれた。
敵を斬る主人公は画面手前に来ており、全体像が見えなくてピントも合っておらずボケている。
その真ん中に描かれピントを合わせているのは覚醒した主人公を驚きの表情で唖然と見るヒロインだった。
「あっ……それは凄いいいですね」
彼の発想は僕のような凡人には及びもしない鋭さがあった。
文章を書きながら一応は僕もその情景、場面を思い描いている。しかしそのカメラワークは物語の本筋だけを追い、単調で意外性や奥行きのないものだった。
こうして点Pさんのような切り口で考えたことはなかった。確かに僕の描写では掘り下げていなかったけれど、しかし確かにその構図はその場面で確実に存在する。そこを読者に示す表現方法だ。
さすがにあの瑠奈さんが敬愛するだけのことはある才能だった。絵が上手いだけではなく、『見せ方』というものを知っている。
充実した打ち合わせは二時間にも及んでしまった。
打ち合わせの途中から、窓の外では雪が降り始めていた。
挨拶が終わったら帰ると言っていたけど、もしかしたら瑠奈さんはどこかで待ってくれているかもしれない。だとすれば早く行ってやらないといけない。
打ち合わせが終わった瞬間、時計を確認して気が急いてしまった。
慌てて片付けをして席を立つ。
「お疲れ様、御影先生。瑠奈ちゃんにもよろしく」
点Pさんが冷めたコーヒーに口を付けながらそう言って微笑んだ。
「はい。ありがとうございました」
他意はないのだろうが、点Pさんのその一言がやけに胸をモヤモヤとさせた。点Pさんは瑠奈さんにどのように『よろしく』伝えて欲しいのだろう、などと醜い考えが鎌首をもたげる。
店を出る前にスマホを確認した。しかし瑠奈さんからの連絡は入ってなかった。
どこかで待っていてくれて、打ち合わせが終わったらそこに来てくれという連絡が入っていると期待していた僕は寂しさを覚えてしまう。
しかし──
「お疲れ様」
店を出た瞬間、背後から瑠奈さんの声が聞こえた。
振り返ると傘を差した瑠奈さんがそこに立っていた。
「瑠奈さん……まさかずっとここで待ってたのっ!?」
「まさか。そんなわけないでしょ。適当に買い物とかしてたし」
そう言う割に瑠奈さんは凍えた唇の色をしていたし、小刻みに震えている。それに辺りはうっすらと雪が積もりはじめているのに、瑠奈さんの立っている地面だけ雪が積もっていなかった。
その乾いた円の中には瑠奈さんの優しさと強がりが溢れている気がした。
「ごめん……」
「はあ? なに謝ってるの? 買い物終わったし、そろそろ帰ろうかなって思って前を通りがかったらちょうど高矢が出て来ただけだから」
惚ける演技はとても上手だったけど、くちゅんっくちゅんっと連続で二回してしまったくしゃみがそれを台無しにしてしまっていた。
「早く帰ろうよ」
瑠奈さんはくしゃみなどしてなかったかのような荒技で乗り切ろうとしていた。
「点Pさんに挨拶しなくていいの?」
「はあ? さっきしたでしょ。もういいよ」
彼女は不思議そうに首を傾げて微笑んだ。その笑顔を見て、変に嫉妬してしまっていた自分が恥ずかしくなる。
「買い物してたのに荷物増えてないね?」
素直に『待っていてくれてありがとう』と言ってもはぐらかすだろうから、そんな風にからかってみた。瑠奈さんは振り返って少し頬の血色をよくした頬を僕に晒した。
「欲しいものが見つからなかったのっ」
「二時間もかかって?」
「うるさい。キモい」
僕に表情を見せないかのように、瑠奈さんは顔を背けて急ぎ足になる。
こんな雪が降る十二月の寒空の下で長い時間待たせてしまったことに罪悪感を覚えてしまう。
「ラーメンでも食べに行こうか?」
「え? 奢ってくれるの?」
「もちろん。書籍化作家様だからね。印税でそのくらい余裕だし」
上から目線でからかうと口許に意味を浮かべて睨まれる。
「はあ? 印税入ったらもっと高級なもの買ってもらうから。エルメスのバッグとか」
「無理だって、それはっ! そんなの印税だけじゃ足りなくて自分のお金も足さないといけなくなるから」
「そんなの知らないよ。買えるくらいたくさん小説売ってよね」
無理だとか買えとか、じゃあなになら買ってくれるのかとか、そんな押し問答をしてるうちにラーメン屋に到着した。
野菜が山盛り無料で麺が極太という味噌ラーメンのその店は、粉唐辛子がかけ放題という不思議なサービスを展開していた。
濃厚でこくの深い熱いスープと歯応えのよい野菜は、僕たちの身体を内部から温めてくれた。
半分くらい食べたところで瑠奈さんはふざけて僕の器に山盛り一杯の粉唐辛子を投入する。
僕は舌をビリビリと痺れさせながら、どんぶりの底が見えるまでスープを飲み干してやった。
店を出ると雪は勢いを増しており、うっすらとした雪の白い膜を広げていた。
「うわっ、コケるかも」
瑠奈さんはそう言ってごく自然に僕の腕にしがみつく。風に煽られた一粒の雪が瑠奈さんの頬に貼りつき、すぐにかたちを失い、水滴に変わっていった。
僕は転ばないように、その雪の上に足を一歩踏み出した。




