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憧れの人

 イラストレーターさんを交えての打ち合わせは鳳凰出版ではなく、都心の喫茶店だった。

 普段はあまり立ち寄らないお洒落で発展したエリアなので、地下鉄の駅から地上に出た時点で気後れしてしまっていた。

 しかし瑠奈さんは臆した様子もなく地図アプリを見ながら先へと進んでいってしまう。


 そう、なぜか勝手に瑠奈さんも着いてきてしまったのだ。

 もちろん打ち合わせには参加させない。

 どんなに遠くからでもいいから一目点Pさんを見たいというから、仕方なくこっそり連れてきた。


 「挨拶もしなくていい」とか言ってるくせに少し透け感のある白いワンピースに黒のタイツとか穿いちゃったり、メイクがいつもより丁寧だったりと、ちゃっかりいつもより『女の子らしさ』をアピールしているのも気に入らない。

 つい点Pさんが小太りで脂ぎってて、三日くらい洗濯せずに同じ服を着続けているような人であることを願ってしまった。


「ほら、なにしてるのっ! 早くっ」


 気が急いた様子の瑠奈さんは振り返って僕を手招きで急かす。

 そんなに慌てて行かなくても約束の時間まではまだずいぶんとある。呆れながら僕はそのあとを着いていった。


 表通りからいくつかの角を曲がっていくとそれまでの景色とは一変した、落ち着いた店の並ぶ通りに入った。

 指定された喫茶店『シーガル・ブルーバード』はその通りの中でも奥まったところにあるビルの一階にあった。


 むらっ毛のあるペンキの白塗りの板を貼り合わせた外壁。

 表面に凹凸があって中の様子が歪んで見えるカラードアンティークガラスを嵌め込んだ窓。

 さらにそこから見える天井から吊された網に入ったガラスの浮き球などが、アメリカの漁村にある長閑なカフェを想像させた。


「わあ、お洒落なカフェっ! さすが点Pさんご指名のカフェって感じっ! もう点Pさん来てたりして?」

「ちょっと瑠奈さん、やめなよ」


 野次馬的にガラスを覗き込む彼女を窘める。

 中にいるお客さんが怪訝な表情でこちらを見ていた。

 やはり連れてくるんじゃなかったと後悔してしまう。


「ちょっと見るくらいいいでしょ!」

「発言がエロおやじみたいだよ」


 そんな言い争いをしているとシーガル・ブルーバードのドアが開き、中から人が出て来た。

 袖や裾がどうなっているのか分からないような、だぼだぼのマントのようなものを着たその人は、大きいわりに鋭い目をしていた。

 身長は百八十くらいで、痩せ気味ではあるが骨格がしっかりしているのか、がっしりとした印象を受ける。

 その男性はうっすらとヒゲの伸びた口許を開いて──


「もしかして御影白夜さん?」


 僕たちに声を掛けてきた。


「えっ──」


 僕も瑠奈さんも思わず固まってしまっていた。


「そ、そうですけど……」

「やっぱり。俺、点P。秒速四百キロで動く点P」


 険しい表情を一気に和らげ、点Pさんは僕たちに笑いかけてくれた。

 テンションがぶち上がり騒ぎ出すと思っていた瑠奈さんは、驚いたことに少し腰を退いたように身を縮める。そして頬を赤らめたオドオドした顔で僕の背中に隠れ気味になっていた。

 黄色い声を上げてはしゃぐより、なんだか地味に僕の心は傷付けられた。


「は、はじめまして。御影白夜です。よろしくお願いします」

「こちらこそよろしく」


 点Pさんが差し出した手が握手を求めるものと気付くまで数秒かかってしまい、慌てて両手で握り腰を低くした。

 なんだか国王から褒美の品を受け取るような格好になってしまう。

 見たところ大学を出て間もないような風貌だったけど、纏うオーラがすごくて、遙か遠くの高みにいる存在に思えてしまう。


「もしかしてそっちにいるのは……ミサナちゃんかな?」


 僕の原稿を読んでくれたらしい点Pさんはミサナが瑠奈さんをモデルに創られたことを容易く言い当てた。

 ミサナを知っているということはWeb版じゃなく僕の改稿している原稿を読んでくれたということなのだろう。


「はっ、はいっ……そうです。本名は三郷瑠奈ですっ……」


 嘘でしょ!? といいたくなるくらい瑠奈さんはガチガチに緊張していた。

 たとえ有名芸能人と会ってもいつもと変わらなさそうな瑠奈さんだが、さすがに憧れのイラストレーターの前ではそうもいかないようだった。


「瑠奈ちゃんは御影先生の彼女?」

「違います。クラスメイトです」


 点Pさんの質問に被せるくらいの即答で否定され、僕はちょっとムッとしてしまった。


「打ち合わせまでまだちょっと時間あるし、それまで店の中で三人で話してようか?」

「い、いいんですかっ!?」

「もちろん。君たちさえよければ、だけどね」

「ありがとうございますっ! 行こ、高矢っ!」


 僕に異議を申し立てる暇など与えられなかった。ぐいぐいと引っ張られて店内へと連れて行かれた。


「へぇ……イラストレーター目指してるんだ?」

「はいっ! まだまだですけど、いずれは点Pさんみたいに一目で人を惹きつけるような絵を描きたいと思ってます」


 喫茶店の席に着くと緊張も解れてきたのか、次第にテンションをあげて饒舌になってきた。

 背筋を伸ばして敬語を使っているのもいつもの瑠奈さんからは想像できない姿である。

 小太りでコミュニケーション能力に問題があると思っていた僕の期待は外れ、点Pさんは大人の余裕さえ感じさせる落ち着いたお洒落なイケメンだった。


 二人がイラストについて熱く議論を交わしているのを、僕はシラケた気分で眺めていた。ちゃっかり小さめのスケッチブックを鞄に忍ばせていた瑠奈さんは、不躾にもそれを見せてアドバイスを受けている。

 絵を描かない僕には点Pさんのアドバイスはどれほど当を得た有意義なものなのか見当もつかないが、瑠奈さんが大袈裟なほど相づちを打ったりしてるのはなんだか媚びているように見えてしまう。


 僕の心の中には恥ずかしいほどのどす黒い嫉妬心が渦巻いていた。別に瑠奈さんは点Pさんの見た目を好ましく思って喜んでいるわけでないと分かっているが、彼がイケメンであることで僕の劣等感が更に熱くなってしまっているのは間違いない。


「それにしても御影先生の描写力はなかなかのものだ」

「え?」


 上の空で話を聞いていたからいきなり話を振られて焦る。


「瑠奈ちゃんの魅力をミサナというキャラに見事に落とし込んでいる」

「そんなことないと思いますけど」


 僕は小学生の子供のように、ただ反抗したくてそう言ってしまった。


「確かに瑠奈さんをモデルにはしてますけど色々と変えてますし」

「そうかな? かなりしっかり観察して描写してると思うけどなぁ? だって、ほら」


 そう言って点Pさんは自らのスケッチブックを開いて、僕たちに見せた。


「えっ……」

「わっ……すごいっ……」


 そこには瑠奈さんとよく似たショートヘアでくりっと猫目の女の子がいくつかの表情で描かれていた。


 笑ったときや怒ったとき、驚いたときの顔の筋肉の動きは、まるで瑠奈さんを見知っているかのように似ていた。


「御影先生の原稿を読んでイメージで描いてみたんだけど、瑠奈ちゃんそっくりだ。それだけ文章に瑠奈ちゃんのことが反映されているってことだ」


 論より証拠を突きつけられてさすがに言い返せず、僕は俯いて赤くなった顔を隠すので精一杯だった。


 からんっとドアにぶら下がったベルが鳴り、編集の宇佐美さんが入ってくる。


「あら、もうお二人でお会いになっていたんですね」


 そう言いながら笑っているが、瑠奈さんを見ると不思議そうに首を傾げた。


「すいません。ちょっと色々ありまして……この人は同級生です。すぐに席を外させますんで」

「無理矢理ついてきてしまったんです。すいません」


 瑠奈さんも素直に宇佐美さんに謝って椅子から立ち上がる。


「ん? あっ、この方がミサナちゃんのモデルさんなのね。はじめまして、宇佐美です」


 宇佐美さんも瞬時に気付いたようで、僕と瑠奈さんの顔を交互に見る。その瞳はまるで自分の高校時代の淡い思い出を手のひらに掬って慈しむような、そんな遠い日の記憶を噛み締めるような優しさに満ち溢れていた。

 絶対何か勘違いしている。


 もう少しぼかした描写に書き直そう。僕は心の中でそう誓った。



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