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煽られる魚

 瑠奈さんはスマホに防水カバーを装着させており、水中の景色や泳ぐ僕の姿を撮影していた。

 辺りには誰もおらず、僕たちはつがいの海洋生物のように二人きりで泳いでいた。

 珊瑚の群生する場所を抜け、やや深いところにやって来る。瑠奈さんは迷子になったような一匹の魚を指差した。青い身体に黄色いヒレが美しい魚だった。


 彼女はイタズラにその魚を追い掛ける。ちょっと可哀想な気もしたが、必死で逃げる姿が可愛くてつい僕も魚を追い掛けてしまう。

 その魚はしつこい追っ手を振り払うように速度を上げ、ぽつんと立つ珊瑚へと逃げていった。

 僕たちの尾行をまこうと珊瑚礁の窪みに入った魚だが、すぐに慌てた飛び出してきた。どうやらそこには先客がいたらしく、助けを求めて逃げ込んだ彼は侵入者と勘違いされて縄張り主の魚に追い出されたようだった。


 逃げ場を失った憐れな魚は更に深いところへと逃げ場を探して潜っていく。悪ノリした瑠奈さんはシュノーケルが水没するのも構わずに、スマホ片手に潜ってそのあとを追い掛ける。


 珊瑚の底にある隙間に入りかけた瞬間、青と黄色のその熱帯魚は再び慌てて方向転換をした。次の瞬間、珊瑚の影から獰猛な顔をしたウツボがノソッと顔を出す。


(ウツボっ!? そんな危険なものもこんなところにいるんだっ!?)


 いきなりの危険生物登場でさすがの瑠奈さんも驚いたらしく、慌てて浮上してきた。


「超焦ったっ! ウツボとかいるんだっ! スマホ落としちゃったしっ!」


 水面から顔を上げた瑠奈さんは本気で怯えた顔をしていた。


「えっ!? スマホをっ!?」


 海底を見ると確かに防水カバーに入った瑠奈さんのスマートフォンが落ちていた。

 ウツボからはかなり離れた位置にあるが、あの生き物がどういう動きをするのか知らないので、取りに行って安全なのか分からない。


 しかし穏やかとはいえ、海には流れがある。放っておけばスマホは流されて行方不明になってしまう。躊躇っている暇はなかった。

 僕はシュノーケルをつけたまま潜り、一気に海底まで泳いでスマホを手に取る。

 ウツボは様子を伺うようにジッとこちらを見て、身動き一つとらない。

 僕も視線を片時たりともウツボから外さず、そのまま急浮上して瑠奈さんの元へと戻った。


「取ってきたよ!」

「うわぁ! 高矢、ありがとう!」


 瑠奈さんは喜んで僕の背に手を回して抱き付く。


「ちょっ!? またスマホ落としちゃうからっ!」


 海水の中で触れ合う肌は艶めかしい温もりがあり、僕は慌てて瑠奈さんを窘めた。

 感情表現がオーバーな外交的彼女からしてみたら普通のことなのだろうが、笑顔すら圧し殺してしまう内向的な僕にはハグはまだ早すぎた。


 スマホを回収した僕たちは、足元付近にウツボが巣くう場所というのも落ち着かないので早々に移動する。

 瑠奈さんがシュノーケルもゴーグルも外したので僕もそれに倣って首にかけて隣を泳いだ。


「高矢って意外と度胸あるんだね」

「度胸っていうか……もう無我夢中って感じだっただけだよ」

「かっこよかったよ、スマホ拾いにいってくれた姿」

「そりゃどうも」


 恥ずかしいから適当に笑って誤魔化した。けれど内心ガッツポーズを取っていた。


「照れるなってっ!」

「わっ!?」


 瑠奈さんは背後から僕の肩をに抱き付く。


「疲れたからおんぶして泳いで岸まで連れてって」

「えー?」


 人をおぶって泳ぐほど水泳の達者ではない。けれど今求められてるのは水練の力ではないことくらい、僕にでも分かった。


「わぁ! 浦島太郎になったみたい」


 僕が平泳ぎのキックで水を蹴り出すと、背中で瑠奈さんがはしゃぎ出す。


「遊んでないで瑠奈さんも水蹴ってよ。僕一人じゃ進まないから」

「え-? なにそれ? そんな浦島太郎聞いたことないし。頑張ってよ」


 文句を言いながらも瑠奈さんはバタ足で水を蹴ってくれた。二人の推進力で勢いが増す。

 おかげで陸地がぐんぐん近くなる。

 僕はわざと進路をずらし、真っ直ぐ砂浜に向かわず斜めに進路を取った。

 瑠奈さんもそれに気付いた様子だったけど、知らんぷりして水を蹴ってはしゃいでくれる。

 もうとっくに足が着く浅瀬まで来ていることに僕たちは気付いていたけど、タンデム泳ぎを続けていた。


 ふと砂浜を見ると瑠奈さんの友達がいた。キョロキョロと辺りを見回してるので、もしかすると突然いなくなった瑠奈さんを探しているのかもしれない。

 その中にはいつの間にか男子も加わっており、同じ部屋のイケてる男子根来君の姿もあった。


 それに気付いたのか、瑠奈さんはやや照れたように僕から腕を解いて離る。そして浅瀬に脚をついて立ち上がった。


「おおーい!」


 瑠奈さんは大きな声で友達を呼び掛け、手を振って水を蹴りながら駈けていく。

 さすがに僕に抱き付いてるところは見られたくなかったのかもしれない。

 少し寂しく思いながら立ち上がる。ハーフパンツ型の水着はたっぷりと海水を吸い込んでおり、腰が重く感じてしまった。


(まあ、しょせんニセモノの、小説のための仮初めの恋人だからな……)


 与市の元へと歩いて行くと、瑠奈さんはチラッとこっちを見て腰の位置辺りで小さく手を振ってきた。


 瑠奈さんに追いかけ回されてウツボと遭遇した憐れな熱帯魚のことを不意に思い出す。気紛れに心を掻き乱された者同士、今はあの魚の気持ちが分かるような気がした。

 僕はそのまま視線を遠くに流し、手を振ってるのに気付かなかった振りをして瑠奈さんに背を向けて歩いて行った。



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