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生涯忘れぬ景色

 潜水艦ツアーから帰ってきたのは午後一時だった。

 バスの中で一眠りしていたから僕も与市も有り余るほど元気だった。

 さすがに南の島に来て一度も海水浴しないというのはあり得ない。

 僕たちは水着に着替えてその上からTシャツ、ハーフパンツを着てホテルからほど近いタモンビーチへと向かった。


「おおー! すげー。思ったよりバカンス感あるな」


 ビーチに着いた与市は唖然とした顔で呟く。『バカンス感』っていう言葉は耳慣れないが、意味は充分に伝わってきた。


 緩やかに弧を描いた海岸線は見渡す限り続いており、白い砂浜にはいくつものパラソルが花壇に咲く花のように並んでいた。

 波は満ち引きだけの穏やかなもので、砂浜から見てもどの辺りに珊瑚礁があるのか判別できるほど水は透き通って澄んでいる。


「早く泳ごうぜっ!」


 与市は砂浜に鞄を置き、慌て気味に服を脱いでいた。


「慌てすぎ。てかこんなところに無用心に鞄とか置いてて大丈夫なのかな?」


 グアムの治安は今のところ悪くはなさそうに感じていたけど、国内にいるのと同じ感覚の日本人が海外でトラブルに遭うという話はよく聞かされていたので過敏になってしまう。


「大丈夫だろ、多分」


 警戒心のない日本人代表のような言葉を残して与市は海へと駈けていく。その無駄に高いテンションは清涼飲料水のCMを彷彿させた。こんなところまで来てすかしているのはもったいないし、逆に格好悪いのかもしれない。


「おい待てよ!」


 アロハを脱ぎ捨てた僕は、シュノーケルを片手に青春真っ只中のドラマの登場人物のように与市の後を追った。

 海の水は強い陽射しで温められており、抵抗なくざぶざぶと掻き分けられた。

 日本では海に入る前は足先から浸かり、脚や腕、胸へとゆっくりと濡らして何分もかけてようやく肩まで浸かれるが、ぐあむ、の海はそのまま一気に潜れるほど温かかい。


 水中眼鏡越しに見る南洋の水中の景色は驚きが広がっていた。

 不作法に突撃していった僕らだが、魚たちはさして怯えた様子もなく十数匹の群れをなして僕の目の前を平然と泳いでいた。

 ずいぶんと小さいのでまだ稚魚なのかもしれない。


 そのまま沖へと泳いでいくと何匹もの長細い魚が海面近くを泳いでいた。逃げはしないが追い掛けると距離を保つようにスピードを上げ、手を伸ばすとさすがに凄い勢いで逃げて行ってしまった。


 与市が更に沖の方を指さすので僕は頷いてそちらへと泳いでいく。言葉などなくても気持ちは伝わった。

 いくらも泳がないうちに僕たちの眼前には珊瑚礁が現れる。潜水艦から見たものよりも色とりどりの鮮やかさはなく、一面が緑色だったが、それはそれで美しかった。


 そこで一度水面から顔を上げて陸地を見たのは、置いてきた荷物の無事を確認するためだ。


「あの辺だっけ?」

「多分、そうかな」


 気付いていなかったが、随分と沖の方まで来てしまっていた。

 深さが変わらないから遠くまで来たという感覚が希薄だった。

 海水浴客は不思議とこの珊瑚礁の辺りまでは来ないで波打ち際で遊んでいる。せっかくこんな海に来たのなら珊瑚礁まで来ないなんてもったいない。


 僕たちは再び視界を水中へと戻した。

 珊瑚礁のある辺りは魚の数が先程までとは比べものにならなかった。

 多種多様の魚があちらこちらを泳いで僕らのテンションを上げさせてくれていた。

 日本の海なら魚は人が近付くとすごい速度で逃げていくものだが、こちらの魚はまるで逃げない。もちろん掴まえようとすれば逃げていくが、普通に泳いでる分には気にしている様子もなかった。まるで海の一員として認めてもらったようだった。

 たとえるなら道を歩いていて人が避けたり逃げたりしないのと同じくらい、グアムの熱帯魚たちは僕たちに無関心だった。


 かなり沖の方にいるが足がつかないなんてことはない。むしろ珊瑚礁が大きくて、場所によってはぶつかるスレスレのところを泳がなくてはならなかった。とはいえ珊瑚礁を傷付けるわけにはいかないので、途中で脚をつけないというのはなかなかハードだった。


 与市が僕の肩を叩き、「あれ見て」というように激しく指を挿す。

 視線を向けると珊瑚礁に隠れたまるまるっとした魚ふぐのようなかたちの魚がジッと睨むように僕たちの方を見ていた。

 少し近付くと攻撃をするように向かってくる。恐らくそこは彼の縄張りで、そこに侵入してきた僕たちを威嚇しているようだった。小さい割に好戦的な奴だ。


 魚は意外と縄張り意識が強いものもいると、子供の頃図鑑で見たのを思い出す。

 意識して見てみると、確かにあちらこちらで魚たちは小競り合いをしていた。海の中でもなかなか色んなドラマがあるようだった。


 時間を忘れて夢中でシュノーケリングをしていた僕たちは、気がつけばずいぶんと流されて荷物から離れてしまっていた。とはいえ盗まれたりはしていない様子で安心する。


 そろそろ戻ろうかと引き返したとき──


「あれ? 高矢たちじゃない?」


 沖の方へと泳いでくる瑠奈さん達と遭遇した。瑠奈さんの水中眼鏡をしている姿はやけにハマっていた。


「瑠奈さんも泳ぎに来たんだ。バナナボート楽しかった?」

「うん。何回も吹っ飛ばされて撃沈したけどね」


 瑠奈さんが吹っ飛ばされて溺れる姿が目に浮かんで笑った。


「一緒に泳ごうよ」

「もう僕たちはかなり泳いだあとだから休憩だよ」

「えー? シラケること言わないのっ!」


 水中で見えないことをいいことに、瑠奈さんは僕の片脚を自分の両脚で挟んで溺れさせようとふざけてくる。海水で冷えた脚に温かくて柔らかな感触を感じて心拍数が増えてしまう。


「俺は先に上がって荷物確認してくるよ」

「ちょっ! 与市っ!」


 グアムに来てからというものあいつはやけに変な気を遣うようになってしまった。


「行こっ」

「あ、うん……」


 瑠奈さんの友達は皆シュノーケルをつけて海の中の世界に興奮しており、こちらを気にした様子もない。

 瑠奈さんはマウスピースを咥えると彼女たちから離れる方向へと泳ぎだしてしまうので、僕もそのあとに続く。

 水中ではじめて水着を見たが、タンキニタイプでショートパンツ付きの比較的大人しい水着だったのでホッとした。


 陽の光が海面の緩やかなうねりを透過して射し込むので、景色がゆらゆらと揺らいで見える。

 泳ぎが得意なのか、瑠奈さんはその中をひと蹴りごと伸びやかに進んでいく。緑色の珊瑚礁が続く景色で瑠奈さんと二人で泳いでいると、今自分が掛け替えのない青春の時間を過ごしている実感が湧いてきた。


 高校二年の修学旅行。水中での幻想的な風景。しなやかに泳ぐ瑠奈さん。

 僕は恐らく一生涯、この記憶を忘れることはないだろう。

 

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