ココナツとアロハシャツ
「ここだ」
与市に連れて行かれたのは『ABCストア』というコンビニとお土産屋が合体したような店だった。ちなみに靴は売っていない。
グアムのあちらこちらで見掛けるチェーン店だが、この店舗は中でもかなり大きいようだ。
「お土産買うの?」
「違う。南の島と言えばやっぱこれだろ」
そう言って彼が指差したのは椰子の実だった。
その一箇所がカットされ、ストローが射し込まれている
「ああ。椰子の実ジュースか」
「原始人の食べてる骨付き肉に匹敵する、人生一度は味わいたいものだ」
「確かに」
映画やら漫画で飲んでいるのは見たことあるが、飲んだことはない。
もちろん日本でもどこかでは売っているのだろうが、やはり本場で味わいたい類のものだ。グアムが椰子の実の本場なのかはよく知らないけれど。
正直飲み物としては破格の高額だったが、これは夢を買う値段だ。そう思えば高くはない。
僕と与市は贅沢に一人一個づつ購入し、記念撮影をしてからストローを吸った。
「うっ……」
「えっ……?」
その味は思っていたのと違った。
映画でもアニメでもみんな美味しそうに飲んでるから、きっとさぞかし美味しいのだろうと勝手に想像していた。
ライチとグレープフルーツを足して二で割ったような味で、花の香りがする、爽やかで南国に相応しい清々しい飲み物だと勝手に思い込んでいた。
しかしその味は爽やかさの欠片も感じない。最大限に褒めて滋味満点というような味だった。
「嘘だろ……これがココナツジュースなのかよ……」
与市は悲しそうな顔で僕を見る。
それは清純派声優が学生時代から十年付き合った彼氏と結婚したというニュースを見たような、やり場のない悔しさと虚しさを滲ませた表情だった。
「なんか……コレジャナイよね……」
「ああ……こりゃひでぇ……『個人的な感想です』だけどな」
はっきり言って飲めたものじゃなかったが、購入金額を考えれば捨てるわけにも行かず、僕たちは黙ってそれを啜っていた。これほどの無駄遣いは、ここ数年では思い出せないレベルだ。
もし僕の乗っていた舟が不幸にも沈没し、丸一日かけて必死に泳ぎ、なんとか運良く無人島に着いて、そこにこの椰子の実が転がっていたら飲むだろう。
しかしそれ以外の理由では生涯二度とココナツジュースを飲むことはないだろうと思った。
苦行のような顔をしてココナツを飲んでいたとき、ABCストアから友達と一緒に瑠奈さんが出てきて目が合った。
「あっ……」
「あっ」
与市と飲み物を飲んでいるときに友達連れの瑠奈さんと鉢合わせるのはゲーセンの時以来二度目だ。
しかし今回は気まずくなった直後だし、飲んでいるのは非情に美味しくないものだ。色々と精神的にも違う。
瑠奈さんは反射的に目を逸らした視線を、慌てて僕の手許へと戻した。
「うわぁ! 高矢、ココナツ飲んでるっ!」
瑠奈さんは驚くほどのテンションで僕たちの元へと駆け寄ってくる。
「わー! いいなぁ!」と言いながら友人たちも集まってきた。
「いや、これ見た目と違って……」
僕の注意など聞く素振りもなく、瑠奈さんは僕が持ったままの椰子の実のストローを吸った。
「ああっ!?」
こんな微妙な味のものをそんなに勢いよく吸ったら危険だ。
しかしそんな僕の心配をよそに──
「美味しいっ!」
「え?」
瑠奈さんは顔を上げてにっこりと微笑む。
「う、嘘だろ……」
隣で与市も唖然とした顔で呟いていた。
瑠奈さんの友達も羨ましそうに見ている。
「あの……よかったら……あげるけど?」
「えー!? マジで!? いいの?」
瑠奈さんは驚いた顔で僕を見る。「えー! いいなぁルナ!」と友人たちが声を上げた。
「よかったら俺のもあげるよ」
この期を逃すまいと与市はすかさず超巨大な種のようなかたちをした椰子の実を彼女たちに渡す。
「えー? くれんの!? ありがとう!」
「ほとんど飲んでないから」
キラキラ女子たちは受け取ったココナツを片手に写真を撮り始める。瑠奈さんも先程の気まずさを忘れたかのようにご機嫌になってくれていた。
無駄遣いだと嘆いていたが思わぬ効果を発揮してくれ、今や安い買い物だったとすら思える。
一つのココナツにストロー二本挿して飲むところとか、重そうに演技しながら椰子の実を持つ写真などを撮って笑っている。
それを少し離れたところで見ていると、瑠奈さんはさり気なく僕の隣にやって来た。
「さっきは、なんか……ごめんね」
瑠奈さんはちょっと照れ臭そうに耳許の髪を弄りながら俯き加減でぽそっと呟く。
「いや……いい修羅場体験だったよ。でも僕の小説では修羅場展開は要らないかな」
笑い話で流してしまうと、瑠奈さんは顔を上げて困ったような笑みを浮かべた。
「高矢が菜々海ちゃんに嫌われちゃってたらごめん」
「あんなことで嫌わないだろ、多分」
なんの確信もなかったけど取り敢えずそう言っておく。でも恐らく心配はないはずだ。そう思った。
それに自業自得と言うところもある。香寺さんが怒ったのは誰にも内緒とか言いつつ、瑠奈さんが知っていたからだろう。
煽るのは勘弁して欲しかったけど、香寺さんをムッとさせる原因を作ったのは僕なのだから、瑠奈さんだけが悪いわけではない。
「なにそれ? あははっ!」と女子の笑い声が響く。
見ると与市が飲み終えた椰子の実を片手にグアムの先住民がしそうなダンスをしてふざけていた。
チャモロ人があんな動きをするのかはよく分からないが、なんとなくしそうという感じが上手だった。
「ねえ、高矢。来て」
与市が盛り上がっているのを見計らって瑠奈さんは僕に手招きをしながら店の中へと入っていく。
「これ着てみてよ」と言って手にしたのは赤とオレンジに染まった夕陽のビーチが描かれたアロハシャツだ。
「僕が? 無理でしょ?」
「無理ってなによ。そうやって自分の可能性を狭めちゃうのはよくないよ」
別に派手な服を着る可能性なんて広げたいとも思わないけど、瑠奈さんが強く勧めるので袖を通して鏡を見た。
「おおー! 似合うっ!」
瑠奈さんは笑顔で囃し立てる。すぐさま否定したかったけど、鏡を見た僕は不覚にも「アリかも」と思ってしまっていた。きっとこれも楽園の島の成せるまやかしなのだろう。
「これも被りなよ」と言って麦わら帽を頭に乗せてくるが、さすがにそれはやり過ぎ感があって似合わなかった。
「じゃあココナツのお礼で買って上げるよ」
「ええっ!? それじゃ瑠奈さんが損だからいいよ」
「いいのいいの」
拒む僕を無視して瑠奈さんはアロハをレジに持って行ってしまう。レジの前でどっちが払うか揉めていると、店員さんが笑った。とても太った褐色の肌をしたおばさんはどう見ても日本語なんて分からなさそうだったけど、こういうのは言葉が通じなくても伝わるのだろう。
結局瑠奈さんに押し切られ、プレゼントしてもらう。「ありがとう」とお礼を言い、そのままTシャツの上から羽織って店を出た。
「ふぁっ!? どうしたんだよ、高矢。その格好」
与市はおちょくるように大袈裟に驚いた振りをした。
「似合うでしょ? 私がコーデしてあげたの」
そう言って瑠奈さんはスマホのカメラ機能を立ち上げ、与市に渡すと僕の腕にしがみついて戯けた。
与市はなんか僕をからかう言葉を口にしていたが、腕に当たる瑠奈さんの柔らかさが気まずくて、耳に届いても脳までは伝わらなかった。
撮れた写真を確認したが、緊張して顔にも身体にも力が入りすぎており、即削除したくなるほど恥ずかしい映りだったのは言うまでもない。




