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珊瑚礁に守られた島

 クラスのみんなは記念撮影をしたり、岬の先へと向かったりと忙しい。瑠奈さんはそれらに合流せずに僕の隣で手を伸ばして落ちそうな振りをしてふざけていた。

「危ないよ」と言いながらカメラを起動したスマホを向けると、瑠奈さんは歯を見せてピースをしてくる。


 気付くと大抵のクラスメイトは岬の突端の展望台へと向かっていた。少し離れたところで香寺さんが友達と歩いてこちらを見ていた。

 視線が合うと香寺さんは胸の高さくらいの位置で小さく手を振ってきた。僕もぎこちなく手を振り返す。


 自意識過剰な僕は、なんだか気まずいところを見られた気分になってしまう。

 どの辺りから見られていたのか気になって仕方なかった。今さらながら瑠奈さんから少し離れ、与市でも探してる振りをして辺りをキョロキョロと見回す。

 しかしそんな浅ましく卑屈な僕の行動を見逃すような瑠奈さんではなかった。


「あれは高矢の愛しの菜々海ちゃんじゃない」


 瑠奈さんは悪そうな笑みを浮かべて僕の隣に立ち、同じように胸の高さで小さく手を振る。

 そんな人を小馬鹿にしたような瑠奈さんの態度を見て、僕は嫌な予感しかしなかった。


「ちょっと修羅場チャレンジしてみちゃう?」

「え?」


 言葉の意味を理解するよりも早く、僕は瑠奈さんに腕を引っ張られる。


「おおーい! 菜々海ちゃーん!」

「ちょっ……ちょっと待っ……」


 なにを思ったのか、瑠奈さんは僕と連れて香寺さんたちのグループに突撃していった。

 修羅場って言っても、僕のことをなんとも思っていない香寺さんと、からかいたいだけの瑠奈さんが僕を交えて話をしてもなんにも始まらないと思う。


「こんにちは!」


 香寺さんはなんの悪意も不快感もなく、軽やかに挨拶してくる。

 当たり前だけど香寺さんは南の島の陽の下で見てもやっぱり香寺さんで、品のよい清涼感が漂っていた。ここはアメリカ領じゃなく、フランス領なんじゃないかと錯覚させるような、そんな品の良さだ。


「一緒に断崖見に行こう!」

「はい。楽しみですけど、少し怖いですね」

「大丈夫。危なくなったら高矢にしがみつけばいいから」

「やめてよっ! 僕まで転んで落ちそうだしっ」


 いつもの調子で話していると香寺さんがおかしそうに笑ってくれた。それだけでちょっと嬉しい気分になってしまう。

 しかし──


「お二人はずいぶん仲がいいんですね」


 香寺さんのその一言に顔の筋肉が固まってしまった。


「全然っ! そんなことないよ!」


 思わず脊髄反射のようにそう言ってしまった。


「なにその即答! ムカつく」

「あ、いや……別に深い意味はなくて……」

「深い意味ってなによ? キモいんですけど?」


 瑠奈さんは結構本気で怒った顔で睨んでくる。さすがに今のはマズかったと反省した。小説のためにお世話になってるのに「全然そんなことはない」と即否定するのは失礼過ぎた。


 香寺さんはこの一連のやり取りも仲良しアピールと勘違いしたのか、笑いを含んだ穏やかな顔で僕たちを見ていた。

 誤解を否定したかったが、これ以上瑠奈さんを怒らせたら本当に断崖絶壁から突き落とされそうなのでやめておく。


 ぎしぎしと軋むような空気のまま、僕たちは展望台の上までやってきた。


「うわあぁ……すごいっ……」


 香寺さんは溜め息のような感嘆を上げて目を見開いていた。

 僕も瑠奈さんもほとんど同じリアクションで眼前の景色に心を奪われていた。

 それくらい恋人岬の突端からの景色は雄大で迫力があった。


 切り立った崖の上からは視界を遮るものがなにもなく、ただただ広大な海が広がっている。

 この島が辺り一面なにもない絶海の孤島だということを改めて感じさせる風景だ。


 視線を下に向けると目が眩むような高さで、三秒以上見ていると吸い込まれそうな恐怖に駆られる。

 エメラルドグリーンの海面の下には珊瑚礁が透けて見えた。

 しかしその明るく爽やかな青緑色の海面は、沖にいくと突如深く濃い青色に変わる。

 それは徐々に変わるのではなく、ある場所を境にくっきりと違う。恐らく珊瑚礁のある遠浅の海がそこで終わるからなのだろう。


 珊瑚礁の砂浜には白波は打ち寄せてこない。代わりに濃紺の沖では荒々しいうねりが白い飛沫を立てながらいくつも重なって押し寄せてきている。そうやって珊瑚礁手前で波が打ち消されているから、波打ち際は穏やかなのだろう。

 そうしてみるとここは正に珊瑚礁に守られた島だ。


「凄いね……」


 小説を書いているくせにろくな言葉も浮かばない僕はぽつりとそう呟いた。


「うん。凄い……吸い込まれそうな感じがする」


 海原を渡ってきた風は絶え間なく強く吹き付け、瑠奈さんの髪を乱していた。

 けれどそれを気にした様子もなく、彼女は眼鏡の奥の目でその景色を見詰めていた。

 スカートを穿いた女子は黄色い声を上げ、帽子をかぶった香寺さんは飛ばされないように必死に抑えていた。


 展望台のあちこちでみんなが記念撮影をしている。僕はカメラに収めるよりもこの景色を覚えておこうと必死だった。恐らく瑠奈さんも同じだったんだろう。カメラもスマホも触らず、手摺りに掴まってひたすら景色を浴びるように眺めていた。

 それが何となく嬉しく、そしてなぜか少しだけ誇らしく思えた。


「三郷さんと弓岡君も一緒に撮りましょう!」


 香寺さんが丸みを帯びた水平線を背にして手招きしていた。


「おー! いいねー! じゃあ私と高矢と菜々海ちゃんの三人で一枚撮ってっ!」


 どうしても修羅場展開にしたいらしく、瑠奈さんは僕の手を引いて香寺さんの隣に立たせる。

 そして僕を挟むように自分も立つとグイッと僕を押して香寺さんに密着させようとしてきた。


「ちょっと押さないでよ、危ないし」

「美少女二人に囲まれてうれしそうだねぇ。にやけてるよ」

「うるさいなぁ」


 慌てて顔を引き締める。事実だけどそういうのは言わないでそっとしておいて欲しい。

 僕たちがこんなやり取りをする度に香寺さんは見守るような笑みを浮かべる。

 修羅場というよりは単に僕と瑠奈さんが仲良くしてるのを、香寺さんに見せつけてるような展開にしかなっていない。まあ、それはそれで困った感じなんだけれど。



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