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書籍化報告と絵本の完成

 翌朝、教室に入ると瑠奈さんはいつもの仲間達と輪になって盛り上がっている。

 輪の中心のテーブルには青い海が映った雑誌が置かれているから、恐らく修学旅行の話で盛り上がっているのだろう。

 昨日の素っ気ない姿が頭に残っていたから、快活に笑う姿を見るとなんとなく安堵した。

 とはいえ視線はちらっともこちらに向けてはくれない。

 でも今朝の僕はそのことばかり気にかけてもいられない。自分の席に行く前に与市の席に向かう。


「おはよう」

「おー。おはよ。寒くなってきたな。南の島はさぞ楽園なんだろうな」


 夏休み明けの頃は「わざわざ暑い島なんて行きたくねー」と嘆き気味だったが、このところの寒さで少しは南国に夢を見る気持ちにもなったのだろう。


 「僕の小説が書籍化されることになった」と朝一番で伝えるつもりだったが、なぜか気後れして言い出せなかった。

 あれほど言いたいと思っていたのに、いざ言おうとすると照れ臭いものだった。


 結局それを伝えられたのは昼休み、二人で弁当を食べているときだった。


「マジかよっ!? すげぇー!!」


 与市はいつも眠たそうな半開きの目を全開にして驚く。こんなに目を開いたこいつを見るのははじめてだった。


「マジなんだよ。俺も最初は絶対詐欺の類だと思ってたんだけど」

「プロじゃんっ! 高校生でプロデビューとかっ! うわー! なんか、もう、すげぇーしか言葉が出ないっ!!」


 ジャンルや発売時期、出版社を伝えるたびに与市は驚いたり、喜んだりしてくれる。

 嬉しいのだが、やっぱり恥ずかしい。報告したのが辺りに誰もいない第二校舎の使っていない教室でよかった。


「てかそもそも高矢って小説書いてたんだ-。なんだよ、教えてくれよな」

「いや、なんか……恥ずかしいし」

「なんでだよ。ラノベで繋がった仲なのになにが恥ずかしいんだよ」

「ライトノベルが恥ずかしいんじゃないよ。書いた小説を読まれるのが恥ずかしいって話で」

「え? 恥ずかしいって、まさかそっち系?」


 違うと分かっているくせに与市は大袈裟に引いた振りをして「不潔っ!」と足を叩いてからかってくる。


「違うから。そんな小説、一八歳未満が書いて出版出来るわけないだろっ」


 ようやく書籍化のことを伝えられて、胸のモヤモヤは解消された。

 ちなみに彼は僕が小説を書いていたことを隠していたことを非難してきたくせに、自分はラノベ読書ブロガーとしてそれなりに名を馳せていたことを隠していた。


「じゃあ僕の小説が発売になったらむちゃくちゃ高評価で紹介してくれよ」

「いや、無理。そういうやらせ記事は書かないから」

「なんでだよっ! 友達だろっ」

「それとこれとはわけが違う。糞つまんねー作品に高評価付けたら俺の信頼に関わるから」

「なんで糞つまんないこと前提なんだよっ」


 笑いながら叩くと「童貞の書いた妄想など読まずとも分かるわっ!」と叩き返される。

 関係ない人が僕達のこの様子を見たら、オタク男子二人がキャッキャうふふしててキモいとか思うかも知れない。けれどそんなことは関係ない。思いたい奴はそう思え。

 僕はこいつと友達で、本当によかったと思いながら笑いあっていた。

 でもそんな風に強気になれたのも瑠奈さんのお陰なのかもしれない。


 いずれ読まれるのであれば校正中に率直な意見が聞きたいと思い、僕は自分の小説のアドレスを与市に教えた。

 一応は人気ブロガーなんだから少しは当を得た意見が貰えるだろうし。



 ────

 ──


 その日の放課後、図書館に行く前に瑠奈さんと会っておきたくていつものグラウンド裏に行ってみたが、瑠奈さんはいなかった。

 友達とやけに盛り上がっていたし、修学旅行に向けた買い物にでも行っているのかもしれない。


 以前水着を二人で見に行ったことを思い出す。はじめて手を握ったあの日のことだ。

 結局あの時水着は買わなかったが、下見と称してあれこれ物色した。その中にはかなり際どいものもあったが、出来れば無難なものを選択して欲しい。少しやきもきした気分でそんなことを思ってしまった。


 昨日の別れ際の態度は気になったものの、どうせ大して怒っているわけじゃないのだろう。瑠奈さんはいつだって猫のように気まぐれだ。

 一旦その問題は置いておき、図書館へと向かった。グアムに行く前に可能な限り原稿を進めてしまいたい。


 昨日見たルノワールの木かげにも通じる長閑で美しい景色を歩いていると、色んなことが頭の中でグルグル回ってくる。喜んでくれた与市のこと、遣り切れない顔をしながら今すべきことを説いてくれた編集者の宇佐美さん、笑ったり怒ったり忙しかった瑠奈さん。


 ほんの数ヶ月前まで僕の性格を表したかのように起伏のない生活だったのが、小説の書籍化によって嘘のようにあれこれ変わっていた。

 世間にとっては発刊されたことさえ認知されることもない小説だろうが、僕をどこか遠くへと連れて行ってくれる翼のように思えた。


「ここにいたんですねっ」

「えっ!?」


 背後から声を掛けられ驚いて振り返ると香寺さんが少し息を切らして立っていた。


「どうしたの?」

「絵本が出来たんです。今日届けに行くんですけど、よかったら弓岡君も一緒に行っていただけないかなと」


 そう言って彼女は手作りの絵本を鞄から取り出した。


「おお、出来たんだ。凄いね!」


 ちゃんと背表紙ものり付けをし、表紙にはフィルムカバーも施されている。

 のり付けも丁寧で、几帳面な彼女の性格を物語っているようだった。強い手作り感は残っているものの、そこにむしろ温かみに感じられるのは、きっと原作者のひいき目なのだろうけど。


「よく出来てるよ」

「なんかみすぼらしくて恥ずかしいんですけど」

「そんなことないよ。きっと子供たちも喜んでくれるんじゃないかな」


 素直な感想を述べると「だといいんですけどね」と声を弾ませた。

 首に巻いたタータンチェックのマフラーによく似合う、上品な笑い顔だった。


「今から行くの?」

「はい。ボランティアの日ではないんですけど、完成したら早く見せたくなってしまって」

「あー、それ。気持ち分かる」


 書いたものっていうのは早く人に見せたくなるものだ。自信作なら特に。


「それで施設の方に連絡したら『今日来ていいですよ』って言ってもらって」

「そうなんだ。でも意外」

「意外って何がですか?」

「香寺さんって落ち着いててそんな風に『すぐにでも見て貰いたい』なんて言うように見えなかったから」

「そうでもないですよ。私、基本こういう暴走キャラですから」


 香寺さんが暴走キャラなら瑠奈さんは何キャラになってしまうのだろう。

 香寺さんは絵本を不織布の赤い袋に入れ、口をリボンで結ぶ。それだけでグッとプレゼント感が増す。


 孤児院に行くと子どもたちが香寺さんの足元に絡み付いてきた。自分以外の人間関係が完成したコミュニティに入るというのは苦手だ。たとえ相手が子供であろうが例外ではない。


 しかし子供は僕のそんな繊細な心など理解してはくれるはずもなかった。


「ねえ、この人菜々海ちゃんのカレシ?」


 髪を結わいたおしゃまな女の子は初手からとんでもない爆弾をぶっ込んでくる。


「もうさっちゃんったら。ごめんね、弓岡君」

「い、いや……ははは。小さい子から見たら恋人同士に見えちゃうのかな?」


 さっちゃんの力を借りてそんなかまをかけてみるのも、卑怯なことではないと思う。


「ううん。全然お似合いじゃないから確認しただけー」

「こら、さっちゃんっ!」


 香寺さんは気まずそうにさっちゃんを叱るが、そこは真剣に怒らず笑い流してもらえた方がありがたかった。


 しかし凹む暇も与えられず──


「痛っ」


 足を踏みつけられて蹲ってしまった。

 踏んづけてきたのは目付きの小学一年生くらいの悪い男の子だった。


「どうしたの?」

「いや。なんでもない。躓いただけ」


 香寺さんに気を遣わせないようになんでもない振りをして立ち上がる。

 意図的に踏んだように思えたが、もしかしたら間違っただけかもしれない。


 香寺さんが絵本を取り出して子どもたちに見せると、みんな我先にと群がってくる。

 香寺さんはそれを床に置き、子どもたちに読み聞かせていく。

 香寺さんのお膝はおしゃまさんのさっちゃんが独占している。

 まるで歳の離れた姉妹のように懐いていた。


「みんなが公園で遊んでいると!空から不思議な生き物が降りてきました」


 読み慣れているのか、香寺さんは絵本を読む独特の口調も板についていた。読みながら一人ひとりに視線を向けるのも上手だ。

 自分たちが出て来る絵本に子供たちはみんな大興奮だった。


 読み終えるたびに「もう一回!」とアンコールが起こり、彼女は嬉しそうに四回も連続で読み聞かせていた。

 子供というのは同じものを何回見ても飽きないのか、それともこの子達だけなのかと考え、すぐに頭からそれらの思考を打ち消した。


 孤児院の子供たちは愛情に飢えているから普通と違うなどと勝手に思い込みかけた自分を恥じる。

 これでは少し物静かでラノベを読むのが好きというだけで僕に好き勝手なレッテルを貼る奴らと同じだ。

 でも瑠奈さんはそんな僕を色眼鏡で見ることなく接してくれた。


 不意に瑠奈さんのことを思い出してしまっていた。

 そこに大人しそうな男の子がブロックの玩具を持ってきて僕に渡してくる。

 「一緒に遊ぶの?」と訊くと無言でコクンと頷いた。

 僕を遊び相手として誘ってくれたのが、なぜだかすごく嬉しかった。


 まだ名残惜しむ子供たちに後ろ髪を引かれながら僕たちは孤児院をあとにしたのは日も暮れてからだった。


「一緒に来てくれてありがとうございました」

「いや……僕も楽しかったよ。僕のストーリーの絵本をあんなにキラキラした目で愉しんでくれてるのを見て、すごく嬉しかったし」

「喜んでましたよねー」


 香寺さんは嬉しそうに鞄を胸元で抱えて、少し弾むように歩いた。

 彼女が間近でこんなに幸せそうに笑っているのに、僕は落ち着かない気分でスマホを確認してしまう。

 やはり瑠奈さんからはなんのメッセージも入っていなかった。



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