表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
27/55

チャンスを掴む力

 二度目だと鳳凰出版の受け付けも前回のような足が竦むほどの緊張もなかった。とはいえリラックス出来るほど肝も据わってはいない。

 打合せブースの隅にあるソファーに腰掛け、宇佐美さんがやって来るのを待った。


 今日は残念ながら誰も打合せをしておらず、僕の野次馬的好奇心は満たされなかった。打合せブースの壁には鳳凰出版が関わっている映画やアニメのポスターが沢山貼られている。


 今まで然したる興味もなかった映画もあるが、鳳凰出版から本を出す身となった今は、厚かましくも仲間意識が芽生えて応援したい気持ちだ。僕ごときがそんなことを思うのは身の程知らずもいいところなのだろうが、それらの作者さん達が頼れる先輩のように思えた。


 少し早く着きすぎたからか、宇佐美さんはまだやって来ない。僕との打合せ前に会議があると言っていたから、それが長引いているのかもしれない。


 ふと瑠奈さんのことを思い出す。

 結局僕についてきた瑠奈さんは打合せが終わるまで渋谷で買い物をしているとのことだった。

 そのあと合流し、上野にある近代西洋美術館に行く予定だ。


 彼女が東京に来たかった理由はそこに行きたかったかららしい。確かに美術館なら瑠奈さんの友達を誘っても断られそうだ。かといって僕もそんなに興味があるわけではないんだけれど。


「すいません。お待たせしました」


 宇佐美さんはやや床を滑るような小走りで頭を下げながらやって来る。

 編集者さんというのは走り回ることが多いのか、宇佐美さんはいつもスニーカーのような動きやすそうな靴を履いている。

 それでいてキチッとしているように見えるのは、仕事に対する姿勢が態度に影響しているからだろうか?


「すいません。お忙しいのに会社まで押し掛けてしまいまして」

「いえいえ。直接お会いしてお話しする方が細かいニュアンスとかまで伝わりますから」


 宇佐美さんは柔やかに表情を緩めるながら、予め僕が送っていた原稿をプリントアウトしたものを僕の前に置いた。


 打合せは電話でも済む。人によってはメールのやり取りが主で電話すらしない場合もあると聞いた。

 しかし電車と歩く時間を合計しても一時間程度に住んでいるので、こうして会社にお邪魔して打合せをさせてもらうことにした。

 わざわざこうして時間を割いて貰ってでも、よりいいものを創ろうという僕の気持ちを宇佐美さんも汲んでくれていた。


 前回の原稿はほぼ真っ赤で返ってきたが、今回はだいぶ減っている。

 しかしそれは秋の夕陽に染まる景色が、苺畑に変わった程度で、やはり赤色が目立つ。


「はやくきちんとした原稿書かないと宇佐美さんは赤ボールペンを買いに行くのが忙しくて仕事にならないですね」


 僕としては気の利いたジョークを言ったつもりだったが、宇佐美さんは困った顔で笑って「はじめはみんなこんなものですよ」と慰められてしまった。


 チェックを入れてもらったところが多すぎて一つづつ確認するのは大変なので、大きな変更点や改善点を重点的に話し合っていく。

 普段はおっとりしてるくらい温厚な宇佐美さんだが、打合せの時は端的にサバサバとした口調に変わる。


 僕はデビュー前な上にまだ高校生という立場をわきまえ、細かいミスや注意などを真摯に受け入れた。

 しかし必死に書いたものを次から次とダメ出しされ続けると、正直さすがに精神的にも参ってくる。


 「……はあ。わかりました」と歯切れ悪く頷いてしまったのを見て、宇佐美さんは原稿から顔を上げた。


「すいません。疲れましたね。少し休憩しましょう」


 そういうと宇佐美さんは席を立ち、コーヒーを淹れてきてくれた。


「ありがとうございます」

「すいません。色々注文が細かくて」

「いえ。作品をよりよいものにするためですから」


 その言葉に嘘はなかったし、宇佐美さんも僕の思いを理解していてくれたと思う。


「そうですよね。いいものに仕上げないと」


 宇佐美さんはなにかに言い訳をするように呟き、細めた目をコーヒーカップに落として自嘲的な笑みを浮かべた。

 この仕事をする中でいくつもの遣り切れない思いを抱えて来たのだろう。そんなことを感じる姿だった。


「これまで私も沢山の作品を本にしてきました。最近は特に御影さんと同じWeb連載の作品を中心に」

「はい。僕も何冊か買わせて頂いてます」

「皆さん仕事があったり、家事のある奥さんだったり、忙しい人ばかりでしたが、作品を仕上げるのに一生懸命になってくれました」

「そうですよね。ネットで読んでいたときよりもすごく読みやすくなってて感動しました。プロの仕事だなって感じましたから」


 具体的な例を挙げると宇佐美さんの担当作家さんもいたらしく、その時の話を少ししてくれた。


「皆さん本当にいい作品に仕上げて下さったんです。でも、正直売れなかった作品も、たくさんあります」


 懺悔をするように宇佐美さんは顔を強張らせて俯いていた。


「私たちの力不足です。もっと宣伝できていれば、書店で売り場を確保できていれば……そう思うと申し訳なく感じます」

「それは……運もありますし、仕方ないことですよ」


 よく知りもしないけど僕はそう答えた。

 なんのためか、誰のためか分からないが、『運』という言葉に全責任を負わせてしまいたかった。


「もちろん運もあると思います。ベストセラーになるというのは、なにかのきっかけで始まるものです。でもその『なにか』をなんとかして創り出す努力をするのも、私たち出版社側の仕事だと思ってます」


 宇佐美さんは強い視線で僕を見た。僕も目を逸らさずに宇佐美さんを真っ直ぐに見る。。


「本は初動一週間の売れ行きが大切です。次から次と新しい作品が生まれるのですから、一番売れる初動でどれだけ実績を作れるかで売場のいい位置に留まれるかが決まってしまいます」


 聞きかじったことがある程度の話だったが、話の腰を折らないために黙って頷いた。


「ネットからのファンじゃなければ新人作家の作品は表紙で目を惹き、タイトルで気を惹き、そしてあらすじで興味を持って貰うしかありません。そこでようやくはじめの二三ページを読んで貰い、内容を読者さんに訴えかけます」


 脳内には僕の本を見掛け、手に取る読者さんの姿が浮かんでいた。

 行ったこともない土地に住む、会ったことも話したこともない、そして今後も恐らく知らない人のままであろう、僕の本を買って下さるかもしれない人だ。


「売れ始めるきっかけはいつどこでやって来るかわかりません。でもきっかけを掴んだとき、一番大切なのは表紙でもタイトルでもありません。小説の中身なんです」


 宇佐美さんはきゅっと唇を一旦強く結び、自分に言い聞かせるように小さく頷く。


「読んで貰えなければ内容の良し悪しなんてわかりません。でも手に取って下さった人達に響く作品に仕上げれば、きっとどこかに届くと、私は信じてます」

「はい。ありがとうございます」


 僕はお礼を言って頭を下げた。この人は全力で、真剣に僕の作品と向き合ってくれている。

 それがとにかく嬉しかった。

 注意点をあれこれ指摘されたくらいで少し心が萎えかけていた自分を恥じた。


「続きを、お願いします」


 僕が原稿を手許に引き寄せると宇佐美さんは「はい」と微笑んだ。

 自分の小説が本になるという浮ついた高揚感はなくなっている。しかし熱は衰えず、プロとして最高のものを創り出すという責任感が芽吹いていた。


 今僕に出来ることはこの小説を僕の力で出来る限界まで磨き上げることだ。

 宣伝や売り出し方は僕には分からない。だけどこの作品をより優れたものにするのは、僕にしか出来ないことだ。


 今や僕は独りじゃない。僕の作品も僕一人のものじゃない。

 責任と使命が僕を奮い立たせてくれていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ