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永遠に届かない場所

 瑠奈さんと一緒に帰宅することとなり、僕もイーゼルなどを美術室へと運ぶのを手伝う。

 その間も瑠奈さんは絵の出来に納得いっていないのか、浮かない顔をしていた。

 瑠奈さんはいい加減な人に見えて、芸術に対してだけは厳しい。そんなところが僕は好きだが、あまり思い詰めて欲しくもない。

 

「なんか自分の思い描くものに届かないんだよね」


 瑠奈さんはくたびれたようにそう呟いた。


「誰だってそうなんじゃない? 僕だっていつも満足しきれない気持ちで小説書いてるよ。まあ僕なんかの体験じゃ、いまいち説得力ないだろうけど」

「そうなんだ? 高矢の小説ってあんなに面白いのに?」

「ありがとう。でも全然駄目だなぁって思うよ。でも、だから書き続けるんだと思う。きっとどれだけいいものを書いたとしても『これで完璧』とは思えないんだろうけど」

「なるほど。そうかもね」


 瑠奈さんは顎を引きながら小さく頷く。


「きっとみんなありもしない完璧を頭に描いて、それを追い掛けちゃうんだよ。だから届かない。永遠に届かないんだと思う」


 つい熱くなってそんなことを口走ると、瑠奈さんは立ち止まって僕の顔を見た。

 ちょっと、というか、かなり恥ずかしい。

 創作論は語らないと決めていた。でも自分への確認として描くときは、せめて小説のかたちとして描くことに決めていた。

 それなのに瑠奈さんと話していると、なぜか饒舌になってしまう。


「高矢のくせにかっこいいこと言うなよっ!」

「わっ!?」


 瑠奈さんは僕の手を取り、恋人繋ぎで握ってくる。


「が、学校だよっ……」

「だから? 『校内では恋人繋ぎを禁じます』っていう校則あったっけ?」


 校則なんてあろうがどうせ守らないであろう瑠奈さんは、そう嘯いた。


「人に見られたらどうするの?」

「どうもしないけど?」

「いや、そうじゃなくて……誰かに見られたら嫌じゃないの? 変な噂とか……」


 そう言うと瑠奈さんはわざと見せびらかすように繋いだ手を大きく振りながら歩き出す。

 誰もいない校舎には僕たちの足音だけが響いていた。


「高矢は人の目を気にしすぎ。いいじゃん。他人にどう思われようが」


 瑠奈さんは本当に他人の評価なんて気にしないのだろう。そんな芯を持っていて、奔放で、明け透けな性格がちょっと羨ましかった。


「それとも高矢は愛しの香寺菜々海ちゃんに見られたら困るのかな?」


 上目遣いで覗き込む顔は、困らせてやろうという意欲が満々の半笑いだった。


「別に……」


 からかわれ続けるのも癪だから、僕は敢えて繋いだ手を大きく振ってやった。

 瑠奈さんはちょっと驚いた顔をしたあと、一緒になって更に大きく振る。恋人同士というよりは、子供の頃にしたお遊戯のような勢いで、僕たちは手を振り回していた。

 校舎を出るとき靴を履き替えるために手を離し、そのまま繋ぎ直すことはなかった。


 駅に向かう道すがら、瑠奈さんが訊いてくる。


「そういえば高矢の小説に沢山感想って書かれてるよね」

「沢山ってほどではないけど」

「なんか結構上から目線で失礼なこと言ってくる人もいたね。読んでてムカついちゃった」

「ははは。でも結構ああいう指摘って大切だし」

「そうかな?」


 小鳥遊慧さんの感想でも思い出したのか、瑠奈さんは不服そうな顔をして人差し指でトントンと顎をノックしている。


「『この展開は急すぎだと思います』とか『これは矛盾してると思います』とか余計なお世話って感じ」

「ああいうのって作者本人は意外と気付かないものでさ。言われてはじめて『無理があったかな』とか、『説明が足りなかったかな』って気付かされるものなんだよ」


 もちろんその後の展開を知らない人の意見だから誤った指摘をしたり、単に思い通りにいかないから文句を言う人もいるが、それらも含めて意見というのは貴重でありがたいものだ。


「まあそうかもしれないけど……」

「そういう指摘を冷静に受け止められなくちゃ成長できないとも思ってるしね」

「なんか優等生ぶっててムカつくんですけど?」


 怒りの矛先が感想した人から僕へと移ったように睨まれてしまう。とんだとばっちりだ。


「でもそんな指摘に対応して直してたら、高矢の作品って主体性のない作品になるんじゃないの?」

「もちろん。ほとんどは指摘通りに直さないよ」

「じゃあやっぱり意味なくない?」

「いや。直しはするんだよ。ストーリーは変えず、指摘された矛盾や足りなかった説明を追加したりしてね。展開に納得いかない人も、実は意外と説明不足で納得してないだけのことも多いから。理解しやすいように直すんだ」


 僕の説明を聞き、瑠奈さんは分かったような分かってないような頷き方をする。


「今回書籍化する際も貰った感想を元に直すことも多かったし。一生懸命読んでくれてるからこそ、感じる違和感や不満点だからね。もちろん書籍化するとか関係なく、意見を貰えるってありがたいよ」

「なるほどね……でも成功した作家とかプロの編集者の意見なら頷けるけど、一般の読者の意見だよ? 当たってるか分からないじゃん?」


 こういうことで言い負かされたくないのか、瑠奈さんは諦めずに指摘してくる。

 でも僕もこの件については瑠奈さんと意見をぶつけるのが楽しかった。

 愛だ恋だの話だと腰が退けて言い返せないが、今は意見をぶつけるのが愉快なくらいだった。


「もちろん言われた感想は全て反省材料にしてるわけじゃなく、よく考えて判断はしてるよ。……でも意外だな。瑠奈さんって権威に弱かったんだ?」

「権威って……プロの編集者とか成功している人の話の方がためになるってだけの話」

「まあそういう考えも一理あるけど。でもそのプロ達はどれだけ真剣に僕の作品を読み、意見を言ってくれてるかは分からないでしょ?」


 退かない僕に瑠奈さんも闘志が燃えているようだが、反論の言葉を考えているのか、言葉に詰まっていた。


「少なくとも僕の読者さんは強制されて読んでるわけじゃない。読みたくて読んでくれてるし、僕の作品を好きでいてくれてる。だからこそ気付けることもあるんじゃない? もちろん今回の担当編集者さんはしっかり読み込んだ上でのアドバイスだから、とても役に立つけど」


 畳み込むようにそう言うと、瑠奈さんは眉に力を籠め、拗ねた顔で僕を睨む。

 はじめて瑠奈さんを言い負かすことに成功出来そうだった。

 しかし──


「でもっ……それでも高矢の小説に文句を言われるのが嫌なの、わたしはっ!」


 理屈じゃなく感情論に作戦を切り替えてきた。

 しかも問題までもすり替えられた気もする。

 とはいえ僕のことを思って言ってくれてるのに、否定するのも躊躇われた。


「それは……どうも……ありがとう」

「まあ高矢の言う通り、人からのアドバイスっていうのも大事なんだと思うけどね」


 この論争はなんとなく引き分けになったのだろうか?

 釈然としない気分だったが、言い負かされたわけじゃないからよしとしよう。

 瑠奈さんの納得したような、していないような横顔を見ながら、僕はそんなことを考えていた。

 


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