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イメージチェンジと変わらない芯

 翌朝、ホームルーム前に与市といつも通りどうでもいい話をしていると、教室の入り口からどよめきが起きた。

 なにごとかと視線を向けると、集まる人の輪の中心に見覚えのない女の子がいた。


「えっ……?」


 髪を漆黒になるほど染め、大きめでレトロな印象の眼鏡をかけているが、間違いなくその女の子は瑠奈さんだった。


「なにそれっルナ!? マジウケるっ!」「イメチェンしたの!?」「可愛い!」


 女子やクラスの中心的存在男子たちが瑠奈さんを囃し立てる。

 瑠奈さんはフレームを摘まみ、優等生ぶったすまし顔で「似合う?」と友人たちに戯けている。

 よく見るとメイクも薄くなり自然な感じで、少し幼くなったように見えた。


「へぇー……三郷さん、結構可愛いじゃん」

「えっ!?」


 与市がぽそっとそう呟くので、僕は驚いて彼の顔を見た。


「与市が現実世界の女の子を褒めるなんてあるんだ?」

「なんだよそれ、ひでぇ言い方だな。俺だって見た目の美醜くらいは感じるから。まあ、それ以上の興味はないけど」


 現にもう飽きてしまったのか、与市は手元のスマホに視線を戻していた。

 瑠奈さんは視界に僕の姿を捉えると、ほんの僅かに目許と唇を緩めて微笑んだ。

 凝視していたのがバレたような気がして、慌てて目を逸らす。


 なにか秘密めいたその表情が鋭く僕の胸に突き刺さり、脳裏に像として焼き付いた。

 その後何度もその表情を思い出し、その度に僕はものを落としたり、躓いたりと、うっかりしたミスを犯してしまっていた。


 突然のイメージチェンジについて話を聞きたかったが、人気者の瑠奈さんの周りには常に誰かいて話し掛けられない。

 授業中も、休憩時間も、気が付けば僕は目で瑠奈さんを追ってしまっていた。


 

 

「三郷、いきなり変わったよな」

「おお。なんか急に清楚になったっていうか。アレなら俺もありだな」

「あー、それわかる。なんか近寄りやすくなった感じだよな」


 体育の着替えをしているとき、クラスメイトのそんな会話を耳にするとやけに心がざわついてしまう。

 元々顔の造りが端正な瑠奈さんだが、今まではそれほど男子の人気は集めていなかった。

 やはりほとんどの男子は派手な見た目と個性的な性格に気後れをしていたのだろう。容姿が大人しくなっただけで、性格も穏やかになったように思える。イメージとはそんなものだろう。

 

 印象が変わったことで告白する男子とかも現れそうだ。

 そんなことを思うと偽物の彼氏のくせに、生意気に胸がざわついてしまっていた。


 結局ひと言も会話が出来なかった放課後、もしかしたら逢えるんじゃないかと思って僕は裏門に続くグラウンドの脇へと向かっていた。

 そして僕の予想通り、瑠奈さんは今日もイーゼルを立てて絵を描いていた。


 髪の色を黒く染め直したり眼鏡をかけたりしても、制服の上には相変わらず絵の具で汚れた白衣を羽織っている。それが以前通りの彼女らしくて、嬉しかった。


 歩み寄ると瑠奈さんは顔を上げ、僕を見て絵筆を持ったまま手を振った。

 笑う顔も以前よりお淑やかに見えるのは恐らく気のせいなんだろう。


「もうすぐ来るんじゃないかなって思ってた」


 瑠奈さんはそう言いながら、ふざけて絵筆を僕の制服に近付けてくる。


「いきなり髪染めたり眼鏡かけたりするからビックリしたよ」

「似合ってる?」


 瑠奈さんは髪を指で払う仕草をして、すまし顔で戯けながら訊いてきた。


「似合ってるよ」

「あれ……なんで目が泳いでないわけ?」

「目が泳ぐ?」

「そう。高矢って「可愛い?」とか「似合う?」とか訊くと、いつも黒目をキョロキョロさせるくせに今は普通だった」

「そうなの?」

「え? 自覚なかったんだ?」


 そう言われれば無意識のうちにそうしていたのかもしれない。


「瑠奈さんのレッスンのお陰かな?」

「なにその素直さ? これも眼鏡っ娘効果?」

「別にそういうわけじゃ……」


 思わず目を泳がせてしまうと「それそれ! その目の動き!」と芸人の鉄板ネタを見たかのように手を叩いて笑った。

 憎たらしいけど憎めない。支離滅裂な感情になる。


「別に瑠奈さんの見た目が変わったからって態度を変えるわけじゃないし」


 クラスメイト男子の会話を思い出しながらそう放った声は、ちょっと刺々しい響きが滲んでしまっていた。


「分かってるって。からかっただけ」


 そう言いながら彼女は再びキャンバスに向き直った。

 景色を夕焼けに染めたいのか、全体に赤色が広がる配色であった。

 日の傾きがそのキャンバスの世界と近付くのを、瑠奈さんは真剣な眼差しで待っていた。

 邪魔にならないように立ち去ろうと思ったが、創作に打ちこみはじめた表情が魅力的だったから少し離れた位置で眺める。


(そういえば以前僕が小説を書く姿を瑠奈さんがスケッチしていたよな……)


 その気持ちが今なら分かる気がした。


 瑠奈さんは静かな緊張感を湛えた瞳で眩しく染まる景色に対峙している。

 赤い陽の光に照らされた横顔の輪郭線は、新月間近まで欠けた月のように鋭い。

 どこか神聖で、尖っていて、瑞々しい。

 眼鏡とか清楚とか、そんな分かりやすいアイコン的なものとは違う、本質的な美しさを感じた。


 瑠奈さんというフィルターを通してキャンバスに投影される景色は、いったいどんなものになるのだろう。

 遠くで鳴くカラスの声や、金属バットが球を打って奏でる硬質な音色も聞こえてきそうな景色を描いてくれるような気がした。


 僕は無性に文章が書きたくなって、スマートフォンのメモ機能を開いていた。

 瑠奈さんが僕の小説で絵を描いてくれたように、僕は瑠奈さんの絵で物語を綴りたい。

 まだ描きかけのその絵を見ながら、僕は物語を夢想する。

 それは精神的に絡み合い、ひとつに繋がる秘め事のように感じた。


 日が完全に沈み、赤味に染まった風景が消えると、瑠奈さんは「ふぅ……」と息をついて緊張が抜けたように弛緩した。

 キャンバスには赤や黄色が散らばっており、瑠奈さんはあからさまに納得のいってない顔でそれを眺めていた。

 実験に失敗した研究者。途中で転んでしまったマラソンランナー。ネタがウケなかったコメディアンの舞台袖。

 たとえるならそんな表情だった。


 それに気付いていない振りをして「お疲れ様。暗くなっちゃったね」と声を掛けると、弱った目をして僕を見た。


「なんか駄目だなぁ……」

「そうかな? 僕は結構いいんじゃないかなぁって思うけど?」

「全っ然……思ってるように描けない」


 脱力しながら瑠奈さんは画材を片付けていく。



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