最初のイラスト
「あ、そう。勝手にすれば?」
感情に任せてそんな言葉が口から飛び出してしまう。常に波風を立てないように人付き合いをしてきた僕とは思えない発言だった。
瑠奈さんまるでわがままを叱られた子供のようなふて腐れた顔でシュンと俯いてしまった。
「高矢の小説のヒロイン……『ウデラ』って菜々海ちゃんのことなんでしょ?」
「それはっ……」
『こうでら』の一文字を抜いただけなのだから誤魔化しようもない。
そのうえ品行方正で知的な内面も、艶やかに黒く長い髪や優しげな目許などの外見も一致しているのだから、同級生なら気付いて同然だ。
「菜々海ちゃんが好きなんだ?」
「そんなこと瑠奈さんに話す義理はないだろ」
「あるよっ」
瑠奈さんは恨みがましく僕に噛み付いた。
「だって彼女だし。彼女に好きな女の子教えるのって当たり前じゃない?」
「……は?」
正しいような正しくないようなことを言われ、頭が混乱する。考えを整理する暇もなく、瑠奈さんは人差し指を僕の眼前に突き付けながら挑発してきた。
「そんなに好きなら告白でもなんでもすれば?」
「なんでそうなるんだよっ……だいたい好きだけど告げない恋ってのもあるだろ」
「やっぱ好きなんだ?」
「今のは一般論であって別に香寺さんのことじゃなくて……」
どんどん尻窄みに声が小さくなってしまう。
ホームには帰路につく沢山の人が電車を待っている。向かいのホームは既に電車が行き去り、香寺さんの姿はなかった。
僕らのホームにも電車が入線するアナウンスが入るが、瑠奈さんは壁により掛かったまま真っ直ぐに僕を見ていた。
きっと彼女は電車が来ても乗らないだろう。
適当にうやむやにするのが処世術の僕と、なにごともはっきりとさせないと気が済まない瑠奈さんの相性は最悪だ。
どちらがいいとか悪いとかではなく、基本的に相反する組み合わせだ。
いや、きっと瑠奈さんの方が正しいんだろう。分かったように済ませて人との軋轢を避け、そのくせ分かり合えないことに寂しさを感じる僕の生き方が正しいとは思えない。
そんな風に考えるのも、きっと瑠奈さんの影響なんだろう。
「香寺さんのことは……好きだよ。けどそれは付き合いたいとかそういうことではなくて──」
「へえ、好きなんだ。私より?」
僕の言葉を遮って瑠奈さんがそう訊いてきたとき、ホームに電車がやって来た。
気怠そうなブレーキ音が長く響き、ドアが開く音を背中で聞いていた。
やがてベルが鳴り、乗客を乗せた電車がヒューンという高い音を立てて走り出していく。
その間僕たちは電車が来たのも気付いてないかのように黙して、心の内を探り合う視線を絡ませあっていた。
瑠奈さんには感謝もしてるし、夢に一生懸命なところも好きだ。
しかしそれが恋なのかといわれればよく分からない。
そもそもまともに恋をしたことがない僕に、そんなことが判断できるはずもなかった。
ただ一つ言えることは、瑠奈さんに抱いている感情の中には恋も含まれているかもしれないけれど、それ以上に『同志』という感情だった。
それは伝えなくてはいけない。あやふやに誤魔化さずに。
電車から降りた乗客はみんな改札に向かい、にわかにホームは真空状態の静けさが訪れる。
「瑠奈さんのことは──」
「はい、そこまでー! あははははっ!」
突如瑠奈さんは笑いながら前屈みに身体を傾けた。
「え?」
「ビックリしたー?」
おかしそうに笑われ、ようやく僕はからかわれていたことに気付いた。
「なんだよっ! 人が真面目に話をしていたのにっ」
こういう悪ふざけをするから、僕は瑠奈さんと真面目な話がしたくない。
「なに怒ってるのよ」
「当たり前だろっ。もしかしたら瑠奈さんを傷付けちゃったのかと焦ったんだからっ」
さすがにこんな悪ふざけをすぐに許せるほど僕は寛容じゃない。とはいえ緊張から解放され、心が安堵でへなへなっとしていた。
「悪ふざけじゃないよ。これも小説のための恋愛の疑似体験だから」
「疑似体験……?」
「そう。だって小説はダブルヒロインになったんでしょ? だったらヒロイン同士の鉢合わせとか、二人の女の子の間で揺れる気持ちとか、そういうのが必要だし」
「あっ……それも……そうか……」
なんかいいように言いくるめられ悔しい気もするが、間違ってはいないような気もする。
なにかひと言文句を言ってやりたくなる。
「でもちょっとやり過ぎでしょ」
「だってあれくらいしないと真実味が出ないでしょ? 『あー、これ演技だなぁ』って思われたら感情がリアルじゃなくなっちゃうでしょ?」
「それはまあ……確かに……」
「演技上手な瑠奈ちゃんに感謝してよね」
「はぁ……ありがとう……」
なんで騙されたのにお礼まで言わなきゃいけないのか釈然としないまま頭を下げる。
瑠奈さんは飄々と「どういたしまして」と言いながらベンチに座り、僕を隣の席へと手招く。
相変わらずいいように彼女のペースに持って行かれてると分かりつつもその隣に座った。
「それにしてもひどいよね、高矢って」
「僕がっ!?」
「そう。私を『傷付けちゃったんじゃないかって焦った』とか言ってたけど、実際に傷付けられたんだから」
唇を尖らせて怒った振りをしたけど、先ほどまでの迫真の演技をしていた人とは思えないくらい、分かりやすい嘘の怒り方だった。
「な、なんのこと?」
「絵本だよっ」
「絵本?」
「高矢のストーリーにはじめに絵を付けるのは私って決めてたのに、なんで香寺さんの絵本の原作とか書き下ろしちゃってるわけ?」
僕の小説に最初に絵を付けるのは瑠奈さんだなんて約束をした覚えはない。彼女が勝手に決めたことなのだろうけど、それについて僕が非難されるのは理不尽だ。
でもそんなことで拗ねてしまうなんていかにも瑠奈さんらしくて面白い。
思わず鼻から抜けるような笑いを漏らしてしまった。
「なに笑ってるの? ムカつく」
「ごめん。瑠奈さんらしいなって、つい」
僕が更に笑うと瑠奈さんはまた「ムカつく」と言いながら笑った。
「でも残念でした」と言いながら瑠奈さんはスケッチブックを取り出す。
「じゃーん! 見て」
そこには古地図とウエディングドレスを着た女の子とタキシードを着た青年、そして子供の竜の絵が描かれていた。
「これって……『新婚旅行が異世界六泊七日ってあり得ない』のイラストっ!?」
「さすが作者。すぐに分かったね」
それは書籍化作品である『異世界を救うなんて僕には荷が重すぎました』の習作として、以前に僕が書いた中編の異世界ファンタジー小説だった。瑠奈さんに読ませたことはなかったが、ネットで『御影白夜』で検索して見つけたのだろう。
「すごい……綺麗だし世界観を表してるね……」
「でしょ? 自信作なんだ。これで高矢のストーリーにはじめに絵を付けたのは私だね」
そもそも誰が早いかと競っていたわけでもないのに勝ち誇った顔で見られて困る。
でもなんて返事をすればいいのかは、すぐに分かった。
「素敵なイラスト、ありがとう」
「どういたしまして」
スケッチブックを受け取り、もう一度じっくりとイラストを見る。
この作品のヒロインもモデルは香寺さんだったけど、描かれてる女の子はどことなく瑠奈さんに似ていた。
けれどもちろんそんな余計な発言は慎む。
ちなみに主人公の方は僕に似ても似つかない精悍な顔立ちの好青年だった。
でもそれ以外は見事なまでに世界観を表現してくれている。
きっと僕の小説をしっかりと読み込んでくれたのだろう。
それがなにより一番嬉しかった。
気付けばホームには再び退勤途中の人たちで溢れている。
「さあ、帰るよ!」
瑠奈さんはスクールバックで僕のお尻を叩いて白線に向かう。
夜の始まりの風が吹き、瑠奈さんの短めの髪が揺れる。軽やかなメロディーが流れ、間もなく電車がやって来ることを伝えていた。
「その絵、くれるわけじゃないの?」と言いながら瑠奈さんの後を追う。
「はあ? これは私の大切な作品だから高矢になんてあげるわけないじゃん」と瑠奈さんは憎まれ口を叩いて笑っていた。




