不機嫌なカノジョ
香寺さんが目の前で僕の書いた絵本のストーリー原作を読んでいる。
自分の作品を目の前で読まれるだけで照れ臭いものなのに、ましてやその相手が憧れの香寺さんとあって、緊張がピークに達していた。
図書館は今日も学校帰りの子供たちが騒がしくしては係りの人に注意されている。そんな喧騒も遙か遠くに感じるほど、神経は目の前の香寺さんに集中していた。
僕の文章を追う眼球の動き、時おり可笑しそうに上がる口角、ページを捲る指。
それら一つひとつを凝視してしまう。
目の前でラブレターを読まれるような擽ったさで身悶えそうだった。
それほど長いものでもないので十分程度で読み終えた彼女は、顔を上げて僕の目を見た。
「どう……かな?」
「うんっ! すごくいいと思いますっ」
「ほんと? よかった」
「みんなで力を合わせて困難に立ち向かうとことか、助け合うところ、そして勝利するところ。みんな素敵でした」
自分としては少し安直すぎるかとも思っていたが、子供に読ませるなら単純な方がいいのかもしれない。
「じゃあ私はこの物語に合わせて絵を描きますね」
「うん。よろしくね」
「きっと喜ぶだろうなぁ」といって香寺さんは目を細める。
「それにしても弓岡君はすごい発想力なんですね。こんなお話を短時間で書くなんてすごいです」
「いや。そんなに褒めてもらうほどじゃ」
「さすが普段から小説を書いてるって感じです!」
「まあ、ファンタジーばっかりだけどね」
「ファンタジーかぁ……すごいですね」
香寺さんは大きく頷くが、その言い方は『よく分からないけど』が付いたような「すごいですね」だった。
読ませて欲しいと言ってこないのは気を遣ってなのか、興味がないからなのか?
とはいえ読ませて欲しいと言われてもヒロインの名前が『ウデラ』で、見た目もそっくりという内容の小説は見せるわけにもいかないんだけれど。
「香寺さんはどんな小説が好きなの?」
「私は恋愛小説とかヒューマンドラマかな……あとエッセイとか」
「なるほど。香寺さんのイメージにあうね」
「イメージですか? そうかなぁ?」
なんかギャルゲーで間違った選択肢ばかり選んでいるように会話が続かなくて嫌な汗が滲んでくる。
同じ本好きとはいえジャンルが違うと話も合わないものだ。
それでもほとんど会話を交わしてなかった頃にくらべれば大きな進歩と言える。
「そういえば孤児院でボランティアはじめたのってなにがきっかけだったの?」
「ボランティアって言っても私は数回子供たちと遊ぶというのに参加しただけなんです。だから本格的にしている人たちの足を引っ張ってるだけです」
「そんなことないでしょ」
「私も誰かの役に立ちたくてはじめたんですけど……全然駄目で……」
香寺さんは自分を責めるように悲しい顔をする。
「そんなことないよ。子供たちのために絵本を創ってあげようとしてるんだから。すごく偉いと思うよ。簡単に出来ることじゃないし」
「ありがとうございます。そう言って貰えたらちょっと励まされます」
それから僕たちはストーリーを元にどんな絵にするかを話し合った。
ファンタジーの世界観はあまり理解していない様子だったが、ヨーロッパの中世のお城や森の中などの情景を説明するとすぐに理解してくれた。
すごく上手いというわけじゃないけれど温かみのある香寺さんの絵は絵本にとっても似合ってる。
文章も絵も音楽も無意識下でその人らしさというものが現れるものなんだろう。
僕の書いたストーリーにはじめてイラストをつけてくれたのが香寺さんというのは、なんだかとても嬉しく光栄な気分にさせてくれた。もちろん香寺さんにとっては特別なことでもなんでもないんだろうけど。
結局僕たちは盛り上がってしまい、図書館の閉館時間まで二人で絵本作りに励んでしまった。
「ごめんね、遅くまで」
「ううん。私の方こそごめんなさい。とても捗りました。ありがとうございます」
駅までの帰り道、僕らは並んで歩いている。
十一月ともなると気温も低く、風が吹いてくると思わず首を竦めてしまうほどだ。けれど寒いのは身体の表面だけで内側は異様に熱を持っていて、汗をかくほどだった。
駅に着いて壁の電光掲示板を見上げた時──
「あれ、高矢?」
聞き慣れた声にびくんっと反応してしまう。
視線を向けると瑠奈さんが「今帰り-?」と手を振りながら近付いてくる。
今日も絵を描いていたのか、その指には洗い落とせなかった絵の具が滲んでいた。
「あ、三郷さん。こんばんは。今お帰りですか?」
香寺さんは微笑みながら僕の隣で会釈していた。
瑠奈さんは香寺さんを見ると口をキュッと結んで顎に皺を寄せ、眉を少し歪めて僕たちを交互に見る。
「図書館行ってて……」
仮初めの彼女に気を遣う必要なんてないのに、僕は気まずいものでも見られたかのように狼狽えた声を出してしまう。
「絵本を創るのを弓岡君に手伝ってもらってたんです」
「へー? 絵本? 面白そうだね!」
瑠奈さんはにっこりと笑って首を傾ける。それは怖ろしいほどピュアな笑顔だった。
「いけない。もう電車が来ますので。それではまた明日」
香寺さんは俺と瑠奈さんにお辞儀をしてから小走りに改札へと消えていく。
その後ろ姿を見送る僕と瑠奈さんの間には変な空気の沈黙が流れていた。
「お絵本をお作りになるなんてお素敵なご趣味ですわね」
「香寺さんの真似のつもりかもしれないけど、そんな馬鹿みたいな喋り方も言葉使いもしないよ」
「あっそう」と言うと爪先で脛を蹴飛ばされた。
「痛っ……なにすんだよっ……」
「ほら、帰るよ、彼氏さん」
ツンとした顔をして改札へ向かうので慌てて僕も後を追う。無視してもよかったけど怒らせたままというのは気持ち悪かった。
サラリーマンの帰宅時間ということもあって駅は混んでおり、人を交わしながら足早に歩く瑠奈さんになかなか追いつけない。
「ちょっと。瑠奈さん」
呼び掛けると僕との距離を確認するように振り返り、また歩き出してしまう。
ようやくホームに辿り着くと瑠奈さんは端の方まで歩いて不機嫌そうにそっぽを向いて立ち止まっていた。
『怒ってるから無視する。けど高矢は謝って』
そう言いたげなポーズだった。正直面倒くさい。
「なに怒ってるんだよ」
「怒ってないけど?」
「いやどう見ても怒ってるけど」
「はあ? 元々私はこんなもんだけど? だいたいなんで私が高矢に怒らなきゃいけないの? 自意識過剰なんじゃない?」
拗ね方が素直じゃなくてちょっとイラッとしてしまった。
別に僕は瑠奈さんになにも悪いことなどしていない。それにさっきの香寺さんを小馬鹿にしたようなモノマネは不快だった。




