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光の画家

「おはようございます」


 翌朝、教室に着くと香寺さんは秋の風に負けない爽やかさで僕に挨拶をしてくれた。いつも綺麗な言葉遣いで、背筋をピンと伸ばした彼女はなんだか『Eテレ的』な爽やかさがある。

 一緒に絵本を創るパートナーとなったからか、図々しくも少し距離が縮まった気がした。


「おはよう」


 挨拶をしながら僕は少し離れたところで朝から輪になって盛り上がっている瑠奈さんを横目で確認した。背中を丸めて朝からテンション高く笑っている姿は野良猫的な奔放さといったところだろうか?


 僕の方から瑠奈さんに挨拶をしないのは、不用意に近付くと向こうに迷惑がかかるだろうと危惧しているからだ。

 間接キスやらゾンビメイクの件でそれなりに面識があることは知られているのだろうが、幸い噂されたり勘繰られることはなかった。

 気の弱いオタク男子をからかってる程度にしか思われていないのだろう。それはもちろん、ありがたい勘違いだった。



 放課後、今日も図書館に行くために僕は一人で教室を出た。

 瑠奈さんもコンテストがあるとかで最近は部活に忙しいらしい。朝からなにも会話をしていなかったので帰りの挨拶くらいしようかと美術室に行ったが、集まっている部員の中に瑠奈さんの姿はなかった。


(サボって遊びに行ったのかな? 不真面目だな)


 創作に対する姿勢だけは彼女に敬意を払っていたから、なんとなく裏切られたような気分になる。 

 図書館に行くのであれば正門からでるより裏門から出た方が近いので、第二校舎の脇を通り、グラウンドを右手に見ながら木陰の道を進んでいた。

 運動部の掛け声や、ボールを打つ金属音などが、吹奏楽部の練習音と混じって聞こえてくる。

 木々に茂る葉は少し色付いたものも混じり、傾いた陽射しは枝葉の隙間から眩しく射し込んでいた。


「あ……」


 その先にイーゼルを立てて折りたたみ式の椅子に座る瑠奈さんがいた。サボっていたのではなく、屋外でスケッチをしていたらしい。

 不真面目だなんて思ってしまったことを心の中で謝る。


 真剣な表情で校舎を背にしたグラウンドを見詰めながら筆を滑らせていた。

 向こうは僕の存在に気付いておらず、集中を尖らせた顔をして写生している。


(そういえば以前も僕に気付いていない瑠奈さんの横顔を見たことがあったっけな)


 美術室に呼び出されて『仮初めの恋人』とやらになった時のことだ。あの時はどこか気の抜けた顔をしていたが、今の彼女はオーラを纏っているように力が漲っていた。

 数ヶ月前のことなのにずいぶんと昔のことのように思えた。


 創作に集中しているから声を掛けるのも迷惑だろう。挨拶は諦め、少し離れたところを通り過ぎようとして、段差に躓いて蹌踉けてしまった。


「うわっ!?」


 僕の間抜けな声を聞き、身構える肉食獣のように素早く瑠奈さんはこちらに振り返った。


「高矢か……なに? 彼女が恋しくなって会いに来たの?」

「違うよ。裏門に向かってただけ」


 本当は会おうとして美術室まで行ったが、それは内緒にした。

 集中力を途切れさせてしまったことを申し訳なく謝ると、「別にまだ始めたばかりだから」と笑って流してくれる。


「ここで描いてるんだ?」

「そう。グラウンドと校舎。高校生らしい題材でしょ?」


 瑠奈さんは隠す様子もなく鉛筆で絵画を差して笑った。遠くからはトランペットの吹き間違えた調子外れな音が聞こえてくる。


「見ていいの?」

「いいけど? 興味あるの?」

「そりゃあるよ」


 以前僕の部屋で描きかけのスケッチを見せようとしなかったから、完成するまでは見せたくないものだと思っていたから意外だった。


 まだ下絵の段階で、この段階ではどんな絵に完成するのかまだ分からない。


「へぇ……」


 けど構造は大胆で、彼女らしさが伝わってくる。

 地面すれすれから見上げたような視点描かれており、手前に生える背の低い木や一番奥に広がる空が目立つデッサンとなっている。

 グラウンドも校舎はまるで添え物程度に描かれていて目立っていない。それなのにこれは学校を描いた絵だというのが伝わってくる。

 その構図は小さい頃に見た景色のようで、郷愁的な切なさを感じさせてくれた。


「いい絵だね」

「ありがとう」


 素直に褒めると素直に感謝された。創作に関することだけは、僕たちは素直に意見を言い合える。


「でも瑠奈さんってイラストレーターになりたいんだよね? 油彩画とかよりアニメ画の練習した方が実践的なんじゃないの?」


 皮肉でも嫌味でもなく純粋な疑問だった。

 確かにアニメ同好会に入るようなキャラでもないが、イラストの練習なら一人でも出来るだろうし、美術部に入る理由がよく分からなかった。


「私のモネとかルノワールが好きでさー」

「ルノワールって……印象派の画家でフランス人の?」

「そう。小さい頃に美術館で見て衝撃が走ったの。で、『これだーっ!』って思って」


 ちょっと意外な話に驚き、「へぇ」と頷いた。


「あんなタッチの背景に可愛いキャラとか描いてみたら面白いんじゃないかなって思ってね。だから油絵も描いて練習してるの」

「なるほど……今は『透明感のある絵』っていうのが流行ってるけど、それの更に先を行く感じがするね」


 思っていたより深い考えがあり、根幹がしっかりあるんだと知った。

 なんとなく絵が上手いから描いてるだけなのかとか思っていたが、目指すところをしっかり持っていて尊敬できた。

 むしろ僕なんかよりもずっと目指すところがしっかりしているように思える。


「高矢は今から改稿?」

「そう。図書館でね」


 肩からかけたノートパソコンの入ったカバンを軽く持ち上げて答える。


「頑張ってね」

「ありがとう」

「また恋愛部分で分からないところがあったらレッスンしてあげるし」


 瑠奈さんはふざけた顔をしてスカートを少し捲り、健康的で張りのある太ももを見せてくる。そういうことさえしなければいい人なんだけど、それが瑠奈さんらしさでもあるから仕方ない。

 そしてからかわれてると分かっていても顔が真っ赤になるのが僕の仕様だ。


「い、いいよ……18禁じゃないんだからっ」

「はあ? どこまで期待してるわけ? スケベ」


 瑠奈さんはからかっていることを隠す素振りもなく笑っていた。でも僕は何故か心が弾んでいる。

 今ならいい文章が書ける。そんな気がした。


 僕は少し瑠奈さんを好きになり始めてるのかもしれない。女性に免疫がないんだから仕方ないことだと思う。

 こんな可愛い女の子と仲良くなったことなど、僕の人生に於いてはじめてのことだった。


 でも僕の心の中の一位は香寺さんだ。

 僕は半分意地になって、心の中でそう呟いていた。

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