ダブルヒロイン
一度目の改稿を終えて編集者の宇佐美さんに送った原稿は、真っ赤になるほど赤ペンで修正を入れられて僕の元に戻ってきていた。
今からその件について宇佐美さんと電話で打合せを行う予定だった。やはり出版関係の打ち合わせは、まだどうしても緊張してしまう。
午後六時半。予定通りの時間にスマホが着信を告げる。
「はい。弓岡です」
「こんばんは。鳳凰出版の宇佐美です」
まだペンネームで挨拶するのは気恥ずかしく本名を名乗った。いつか恥ずかしさを覚えない日は来るのだろうか?
宇佐美さんは改稿の謝辞を述べてからその感想を伝えてくる。凄惨な事件現場のように原稿を赤く染めたわりには宇佐美さんの評価は上々だった。
一通り褒めてくれた上で、様々な指摘を入れてくる。その一つひとつは強く頷けるもので、メモを取りながら大きく頷いて感心してしまうほどだった。
いつか瑠奈さんが言っていたとおり、出版社のプロは本気で僕と向き合って売れるための努力をしてくれている。
表現の揺らぎや句読点のリズムなどまったく気付かなかったことに関してまで的確に示してくれた。
「最後に恋愛シーンについてなんですけど……」
「はい」
一番沢山変更を加えたところに話が及び、肩に力が入る。最高の出来だとは言えなくとも、瑠奈さんに疑似恋愛を付き合ってもらってからはだいぶマシになってきた自負はあった。
「格段によくなったと思います。特に主人公の緊張や喜びがよく伝わってきました」
「あ、ありがとうございます」
「ただ」と言って宇佐美さんは一旦言葉を切る。
「ヒロインのウデラちゃんのキャラがぶれたというか……ウデラちゃんはもっと大人しくて清楚なイメージだったんですけど、今回の改稿で少し活発で主人公をからかいながら弄ぶ雰囲気が出て来ました」
「あ、それはっ……」
間違いなく瑠奈さんの影響だった。僕の恋愛経験は1/1で彼女しかないのだから影響されて当然だ。まあ、その唯一のサンプルすらも疑似体験なのだが、さすがにそんなことは言えない。
「すいません。すぐに直しますんで」
「いや、そうじゃないんです」
編集者さんは受話器の向こうで少し笑った気がした。
「これはこれで凄く可愛いキャラクターだと思うんですよね」
「はあ……」
「だから無理を承知で提案させてもらうんですけど、ダブルヒロインっていうのはどうでしょう?」
「ダブルヒロイン?」
「そうです。大変ですけどウデラちゃんともう一人ヒロインを設定するんです。小悪魔的でイジワルで、でも憎めないキュートな女の子」
「はあ……」
瑠奈さんの顔が浮かんで照れ臭くなり、歯切れの悪い返事を返してしまう。
それを執筆上の戸惑いと勘違いしたのか、宇佐美さんは「話の本筋に大きく関わらない程度でいいんです」と見当違いなフォローした。
「元々恋愛要素は冒険の物語に深い絡みはありませんから、書き直しもそんなに大幅にはならないと思うんですよ」
言葉こそは優しいが、宇佐美さんの声には力強さがあった。
「この女の子はとっても主人公が好きなんです。でもそれを素直に言えなくてイジワルをしたりからかったり。不器用な女の子だと思うんですよね」
「そうでしょうか? そうは思わないですけど」
思わず脳裏に浮かんでいた瑠奈さんについて感想を述べてしまう。
「え? 違うんですか?」
「あ、いや。そ、そうかもしれませんね。いい案だと思います」
慌てて訂正すると「ありがとうございます」と宇佐美さんも嬉しそうだった。
「異世界ファンタジーの小説でもそういうキャラは時おり出て来るんですけど、御影さんの描いたこの子は本当に活き活きしてると思うんですよ」
「そうですか?」
「ええ。かたちだけのテンプレ的なツンデレじゃなくて、深みがあるというか」
プロの編集者さんにそう言って貰えるのは嬉しいが、そんなによく書けてるのかと疑問も感じてしまう。そもそも僕の思い描く瑠奈さんと宇佐美さんの感じた瑠奈さんは乖離がある気もした。
結局宇佐美さんの提案に従ってダブルヒロインに改稿してみることで話が纏まり、打合せは終わった。
(ダブルヒロインねぇ……一人ですらいっぱいいっぱいだったのに)
締め切りがだいぶ先だから思い切った変更を求めてきたのだろう。新たな問題発生で悩みが増えてしまった。
しかし確かに新たなヒロインの登場は物語に深みや奥行きを感じさせてくれる気がする。
まあ瑠奈さんに影響されて創り出したキャラがヒロインになるというのは、なんだか微妙な気分だけれども。
(瑠奈さんかぁ……)
不思議な同級生のことを思い浮かべる。
間接キス事件の翌日から瑠奈さんは学校でもたまに話し掛けてくるようになった。
仮初めの恋人契約をしたときの約束事項に「付き合ってることは隠しもせず公表もせず」というのがあったのを思い出す。とはいえまさかキラキラ女子の友達に彼氏だとは言っていないだろう。
そうであることを願う。
瑠奈さんが学校でも僕と関わってくるようになってから、不思議なもので周りも少し僕に対して態度が変わった気がした。
もちろん突然人気者になったり友達が増えるなんてことはなかったものの、男子女子問わず多少話し掛けられるようになった。
他人と関わるのが苦手な僕としてはあまり歓迎すべき展開ではないのだが、話してみると結構みんな気さくでいい人だった。
とはいえ与市との友情はもちろん変わっていない。話し相手が増えたとはいえ、やはり僕はいつでも与市と行動を共にしていた。
キラキラ女子たちは瑠奈さんが僕と喋っているのを見ると最初ばっかり奇異な目で見てきていたが、今は普通に向こうから話し掛けてくるまでになっていた。
きっと彼女は自分の世界が確立してて、揺るがない価値観を持ってるのだろう。誰になんと思われようが、恐らくそれは揺るがない。僕みたいな芯のない人間とは正反対だ。
そんな瑠奈さんを見ていると、何だか少し誇らしい気持ちにさせられた。




