HIRUKO ウラ篇 プロローグ
「わかったか、俺の教えたとおりにするんだぜ。
そこに行ったら、いらねぇ事をグダグダ言うんじゃねえぞ・・・かえって怪しまれちまうからな。
そうビクビクすんなって、しゃんとしろコーディ!」
低く通るドスのきいた声。目の前に立たせた少年達に語りかけている同じ制服姿の少年は、少年と呼ぶには似つかわしくない凄みを辺りに漂わせていた。
「ウラさん。ホントにボクらが行って大丈夫なんですか?」コーディと呼ばれたソバカスだらけの少年は、目の前に立つ大柄な少年を気弱そうな瞳で見上げた。
「大丈夫さ。向こうはこっちの話をすっかり信じ切ってんだ。お前達は使いの者だから、詳しいことは聞いてねえからって、金を受け取ってくりゃいいんだよ。それだけで、分け前をもらえるんだ。チョロいもんだろーが。バカかおめーら!そんな不安そうな顔すんじゃねーよ。かえってバレるだろーが」
大柄な少年は、コーディの背中をドンっと押した。やせっぽちの彼は、その一押しで簡単にヨロヨロと前のめりにのめった。そしてそのまま一歩二歩と歩を進める。
羊たちが先頭の羊に無条件について行くように、他の少年達も愚鈍そうな顔を見合わせつつ歩き出す。その後ろ姿が徐々に遠ざかっていった。
大柄な少年は、それを見送りながら唇に薄ら笑いを浮かべ、吐き捨てるように呟いた。
「てめ~らなんぞ、ただの蜥蜴の尻尾でしかねーんだよ。己の頭で考えようともせず、目の前にぶら下げられた金目当てに簡単に飛びついて来やがって。
苦労したこともねえ馬鹿どもが。ドジッたとしても誰が助けるかよ・・・」その言葉に被さるように同じような野太い声がした。
「ウラ・・・相変わらずあこぎな事やってんのか・・・」
背後からかけられたその声に素早く振り返る。
そこにダイキの姿を見てとり、ウラと呼ばれた少年は、握りしめた拳の力を抜き、安堵したようにふっと息を吐いた。
「てめーか・・・・・・脅かすんじゃねーぜ。何だ、ガキの頃みたいにまたオレと悪さする気になったのか?」
その言葉を受け、ダイキは肩をすくめて見せた。
「んな訳ねーだろ。今のお前がやってることは、昔のオレ達がやってた悪ガキのお遊びとはちげーからな。俺は俺にとっての外せない道ってモンがあんだよ」
「相も変わらずの大馬鹿野郎だなお前は。変な所に一本筋通しやがって・・・
どーせ世間の見る目なんて、お前だろーがオレだろーが変わりゃしねー。それなら、取れる所からがっぽり取って、面白おかしく暮らしたほうが賢いってモンだろーが」
「馬鹿で結構・・・」
「お前もお前のお袋も変わらねえな。昔っから、誰にもなびかねぇ一匹狼を気取りやがってよ。
そういやお前のお袋、この前見かけたけどよ、俺達がガキの頃からぜんぜんと歳くってねえな。
噂されてるように、ホントの魔女なんじゃねえのか」そう言いつつタバコを取り出し差し出す。軽く手を上げ、ダイキはそれをやんわりと断った。
「酒はウワバミ、気は強え。それにあの腕っ節にいたるや・・・・・・
昔は悪さする度にオレらもよくぶっ飛ばされたモンだけどよ。そんじょそこらの雑魚なんぞ、店の男衆に頼ることなく自分一人で伸しちまう。
夜の女のくせに可愛げなんて全くねえし、お愛想のひとつも言いやがらない。
そのくせ異性を引き付ける妙なフェロモンありまくりでよ、近づく男達を虜にしやがる。
その魅力にいっぺん捕まっちまおうものなら、蝋燭の明かりに飛び込んじまう哀れな虫ケラみたいなモンだぜ。己の破滅が見えようが何だろうが、気にすることなく飛び込んじまうヤツが後を絶たない。
お前のお袋に手玉に取られてよ、地位も財産も、全てを棒に振っちまった哀れな役人なんて、俺が知ってるだけでも十指に余るからな。マジ怖え~ぜ。
性格は、一本気で一筋縄ではいかない頑固者。だけど情に厚い所があるから同性にも慕われててよ。
煉獄の堕天使。闇の鬼子母神。地獄観音・・・・・・
いろんな通り名で呼ばれてるが、この街の権力者どもの寵愛を浴びるほど受けてよ。誰もが枕を共にしたいと、尻尾を振りつつヨダレを垂らしながらお行儀良く順番待ちよ。
それなのに、当のご本人はそれを賢く利用しようなんて気がねえから、本当に始末に負えないぜ。
金でも権力でもなく、自らの心のまま気の向くまま浮き名を流してやがる。
まあ、マジで惚れてたのは、お前のオヤジだけらしいけどな。
しかし、よくもまあ女の細腕一本で、鬼や蛇が跋扈する夜の街を渡って来たモンだぜ。普通ならとっくの昔にどっかの組織に食い潰されててもおかしくねー状況よ。
でもよ、この街のお偉方の分厚い後ろ盾があるから誰一人、オレのオヤジですら下手な手出しが出来ねーってワケだがよ」
「何言ってやがる。お前のオヤジだって、店に来たときは俺のお袋にデレデレじゃねーかよ」
「まあな、あのクソオヤジ。元々女にはめっぽう弱いが、特にお前のお袋には骨抜きも良いとこだぜ。だけどオレはあんな怖い女は狙い下げだね。もっと可愛らしいのが好みだな」
「確かに、母親ながらアイツは世界一怖ぇー女だぜ」
「でもよ、ちょっと小耳に挟んだが、お前こそ、新しい女に骨抜きらしーな」
ダイキは相好を崩し、小鼻の所をポリポリとかいた。
「もしかしたら今度のコレは、お袋以上に怖ぇ女かもしんねー。やっと、アイツを越える女を見つけたんだぜ」へへへと締まらない表情で小指を立ててみせる。
「お前の基準は子供ン時から変わんねーな。マンマ、母ちゃん、お袋サン。いい加減にしやがれ、このマザコン男が!アホらしくって聞いてらんねーわ。
まあ、いつでも気が変わったら儲け話に加わりに来いよ。
お前とオレが組めば鬼に金棒。俺の組織力にお前の腕っぷし。マジこの世に怖いモンなんてなくなるぜ。明日の我が身なんてわかんねーだからさ、お互いに太く短く楽しもうぜ」
ウラは呆れ顔をして肩をすくめると、くるりと後を向いて大股でドスドスと歩いて行った。
その後ろ姿を見送りつつダイキが呟く。
「お前こそ、どうしようもねえシスコンのくせによ・・・アイツの事、今だに探し続けてんだろうが・・・」
三人で共に遊んだ幼い日々の記憶が脳裏をよぎる。
ダイキの目が悲しみの色を帯びた。
「アンタ、ヒルコの事を、小指立ててコレだなんて呼んでるのがばれたら、はっ倒されるわよ」
ギクリと振り向いたダイキの目に、呆れた表情を浮かべ、セーラー服に鞄を持ったサラスヴァティの姿が映った。
「う、うるせーよ!何立ち聞きしてやがんだよ」
「立ち聞きされたくなけりゃ通学路の途中で話さない事よ。アンタも、あの暗黒街の四天王の一人と称されるラッキー・チャン・キノジョウの馬鹿息子ウラも。
でもアイツ血の繋がった息子ではないっていう巷の噂よね。いなくなった妹を探し出すため、以前からアイツの才能に惚れ込んでた暗黒街のボス、チャンに与したんだって・・・・・・それにしても朝っぱらから話す話題じゃないでしょ。詐欺の片棒担ぎの相談なんて」
「ハイハイ、相変わらずの情報通だよな・・・お見それするぜ。でもよ。つくづく俺の周りは可愛げの無い奴しかいねー」
渋い顔をするダイキの背中を押し、学校に向かって歩を進めながらサラスヴァティは言葉を続けた。
「何言ってンの。まずアンタが選ぶ彼女ってモンが、何奴もコイツもとんでもない女ばっかり・・・」
そう言いかけたサラスヴァティとダイキの間を割るように、後からグイッと誰かが体を入り込ませてきた。
「おはようございます、我が君」
凛と辺りに響きわたる艶のある声。
ダイキに向かって声を掛けてきたのは、白い陶磁器のように艶めいた肌をした大柄な女生徒。大きな目鼻立ちに凹凸のあるくっきりとした顔だち。豊かな金色の長い髪を縦巻きロールに垂らしゴージャスな雰囲気を辺りに振りまく。
「出たぁ・・・・・・自称北のお姫様」
サラスヴァティは顔をしかめた。
「あらぁ、申し訳ございません。サラスヴァティ殿。あまりに小さくて我が眼には映りませんでしたわ」
北の姫は、ホホホと艶やかに笑い、閉じた羽の扇で口元を隠す。
その身を包むのはサラスヴァティのような地味な色の制服ではなく、金糸銀糸を織り込んだ絢爛豪華な布地で仕立てられた制服。
まるで、朝日に向かって蜘蛛が吐き出したような、光沢のある細い糸によって繊細に編まれたレースが、あちらこちらに優雅にあしらわれている。
後には初老の品の良いスーツ姿の老人が鞄を持って控えていた。
老人の横には、やはり陶磁器のような肌をした年の頃は十ほどの少年。半ズボンにベレー帽の初等科の制服姿で並んで立つ。
「我が君。そんなちんけな女なぞと肩を並べるなどと、誰かに見られたら恥ずかしゅうございますわ。我が君はやはりそれに相応しい女子とおりませんと・・・」そう言いつつ妖艶な仕草でダイキの腕を取る。
「はいはい、邪魔者は退散いたします・・・・・・」サラスヴァティは呆れたように肩をすくめ足早にその場を去ろうとした。
「待ちや!最近、我が君の周りをヒルコなるものもチョロチョロとしておるが、目障りだと伝えておきや」北の姫は扇でサラスヴァティの進行方向をさえぎった。
「あのですね~。チョロチョロしてるのは、アナタの大事な我が君さんのほうですからね。文句言う前に、自分自身でしっかりと首の根っこつかんでおきなさいよ」
あまりに高飛車な態度にムッとしながらサラスヴァティは腰に手を当て言い返した。
「まあ失礼な物言いを!我が君ともあろうお方がチョロチョロなどとするわけありませぬでしょう。ねえ、我が君。下々の者のつまらぬ讒言と聞き流しておきましょうぞ」
困り顔のダイキを無視して腕を絡める。
「最近、お渡りもとんとなく寂しゅうございましたわ。我が君が来て下さりませぬと、我々は寂しさのあまり飢え死んでしまいますもの。ねえ爺や」
「そうでございますとも。今宵は、アナスタシア様が山海の珍味をご用意してお待ちしておりますから、是非とも来て頂きませんと、せっかくのご馳走も無駄になってしまいます」
アナスタシア様と呼ばれた女生徒と、後に控えた爺と呼ばれた老人が熱心にダイキをかき口説くのを聞きながら、側に並ぶ少年は退屈そうに欠伸をひとつした。
サラスヴァティは、気の毒そうに少年に向かって声をかけた。
「朝っぱらから、健全なる青少年に聞かせる話じゃなくってごめんなさいね」
「いいんですよ。僕たち彼がいなければ本当に困りますので」
小さな少年は、小柄なサラスヴァティを仰ぎ見た。
「えらく物わかりのいい弟なのね」
「いえ、僕たち血のつながりとかそういったモノではないので・・・」
少年は人形のような美しく整った微笑みを浮かべた。
「でも貴方も、もしかしたら彼と同じモノかもしれませんね・・・そんな匂いが貴方からします」
少年はつま先立ちになって手を伸ばし、サラスヴァティの首筋にそっと触れた。陶磁器で作られたような細い指先がゆっくりと肌を這う。
その、ひやりとした冷たい感触。
サラスヴァティはぞわりとしつつも、抗いがたく引き寄せられるような不思議な感覚に襲われた。
一瞬、立ちくらみをしたかのように目の前がユラリと揺れる。
もっと触れて欲しい・・・・・・
甘美なそれを理性で振り払い、頭を振って冷静さを装いつつ少年に問い返す。
「同じモノ?」
少年は喋りすぎたと言いたげに片手で口元を覆った。
その指の隙間から再び笑みが見える。彼の真珠のような歯を割って、赤い舌が唇をぬめりと這った。その官能的な紅。
再び目の前がゆらりゆらりと揺れた。
サラスヴァティは再び頭を振った。
少年は覆っていた手を元に戻した。
そこには元の人形の様な上品な微笑み。
「申し訳ありません。これ以上しゃべると、爺やにキツくお小言を言われますのでご勘弁を」
少年は、優雅に片足を引いてお辞儀をすると、先を行く三人を追って足早に歩を進めた。
「どういう意味、あれ・・・」
サラスヴァティは、先ほどの痺れるような余韻が波のように引くのを感じつつ、しばらくの間呆然と立ち尽くしていた。
「ちっ、姫サンに先越されたか・・・」
ガサガサと道のわきの植え込みが大きく揺れた。そこを割り、細かい三つ編みを頭全体に編み込み、褐色の肌をした少女が一人、にゅっと顔を出した。
「びっくりすんじゃない!変なとこから現れないでよ!アマニレナス」
「うっさいな~!ここのほうが近道なんだよ!オレの歩いた後に道はできんだからさ!グチグチ細かい事言うんじゃないぜ。小姑か!」
アマニレナスと呼ばれた少女は、隻眼の目でサラスヴァティをジロリと睨んだ。
虫にでも刺されたのか、腹を掻きつつ茂みから出てきた少女は、面白くなさげに大きなあくびをひとつした。
パンツが見えるほどの丈の短いスカート。上着はへそが丸見え、堅く締まった形の良い胸が半分見えるラインでバッサリと断ち切られている。
次は背中のほうが痒くなったのか、しょっていた竹刀でゴリゴリと背中を掻きだした。
「しょうがねえな。今日は朝練で、他の奴らをしばき倒すとするか・・・」
アマニレナスは、軽く片手でブンブンと竹刀を振り回しニヤリと笑った。
「もう!何なのよ今朝は!次から次へと!」
サラスヴァティはあきれたように声を出した。
「申し訳ございません。私たち昨夜協定を結びましたの」
新たに後ろから声をかけてきたのは、優等生を絵にかいたような少女。
アマニレナスとは正反対の、長くも短くもない基準通りの制服。ワンポイントで家紋の刺繍が施されている白い靴下。ピカピカに磨き込まれた革の靴。
ブルネットの髪に、ラピスラズリ色の瞳、絞りたての乳のようなしっとりとした乳白色の肌を持ち、理知的な顔だちには眼鏡が良く似合う。少し長めの髪は、きっちりと左右に分けられ三つ編みにして垂らされていた。
「ヒルデガルド、あんたも出てきたの・・・」
その言葉を無視してヒルデガルドは言葉を続けた。
「最近、ダイキ様が新しい女に心移りをしたようで、私たちこのままではいけないとの結論に至りました」
「そうそう。のんびり待つだけじゃダメってこと・・・」頭上からも声が降ってきた。
「チル。あんた、そのまま学校に行く気?毎度毎度、この父親譲りの発明オタク・・・・・・何遍、変な装置を学校に持ち込んでは怒られるを繰り返すつもり?」
チルが空中で寝転んでいる緑のさやのような装置を見上げながら、あきらめ半分の顔つきでサラスヴァティは声をかけた。
「あたしアンタと同じおちびだけど、アンタとは決定的に違うスレンダーボディだからね。力はからきしだし、だいたいアタシ、運動とか労働とかには無駄なエネルギーを使いたくないのよ。脳みそに全エネルギーをつぎ込みたいからね。その他の器官は省エネモードよ省エネ」
正体不明の装置に乗ったままフワフワと空中に浮いている少女は、ゴクラクチョウの羽のような頭をして、チカチカと光の点滅するゴーグル越しにサラスヴァティを見下ろした。
ほっそりとした足には不釣り合いな重厚なブーツを履き、ビニールと革が組み合わされ、様々な機械やケーブルが縦横に這う制服に身を包んでいる。
時折、そのケーブルが生き物のようにぐねぐねと動いた。
「朝、ダイキに一番最初に声をかけた者が、その日一日ダイキを独占できる・・・」
また一人、揺らめく蜃気楼のような少女が現れた。
長い銀髪を無造作に垂らし、色白を通り越し、ふんわりと降り積もった淡雪のような肌。山から湧き出した清水のごとく、清らかに澄みきった薄いブルーの瞳。
純白の制服に身を包み、無表情な顔つきのままとつとつと言葉を綴る。
「ムロジが来たってことは残りはあと一人・・・」サラスヴァティのため息がもれる。
「ピンポーン!〆はダーキニーで決・ま・り!」
「はいはい・・・」
ピンクとブルーに染められたツインテールの先をクルクルとカールさせ、ロリポップキャンディの包み紙ような色合いの制服に身を包んだ少女が、サラスヴァティに向かって片目をつぶり投げキスをしてみせた。
「臭い・・・ダーキニ化粧濃すぎ!目の上は真っ青だし、唇は人でも食べてきたみたいに真っ赤!それに何!そのつけまつげ!瞬きするたびにバサバサ音してるし」
「うっるさーい!サラスヴァティ風紀委員な訳?ホント小姑みたーい!早く老けるわよ。 あーあ!せっかくおしゃれしてきたのに空振りなんて最低!」
ワイワイと騒がしい一団は、サラスヴァティのあきれ顔など完全に無視をし、少しづつ学校へと進んでいった。
「この一団と付き合ってんだからダイキもホントタフよね・・・」
「何か言ったか?」ムロジが無機質に問い返す。
「いやいや、こんな綺麗どころに引く手もあまたなんて、ダイキは果報者だって」
「ウソばっか!あたしのこの装置は地獄どころか極楽耳だかんね」チルが耳のヘッドホンを指差しフフンと鼻で笑う。
「もう、いや!この一団!」
サラスヴァティは、今日もう何度目かになる大きなため息をついた。
朝、校門を閉める鐘が鳴るギリギリに、猛烈な勢いで自転車のペダルを漕ぎイソラが滑り込んできた。
「あっ!お兄さん!ご苦労様!」
校門を閉める操作をして、くわえタバコで出てきた警備員に向かってイソラは大きく手をふった。
「うるせーよ!さっさと行きやがれ!遅刻するぞバカヤロー」
警備員はうるさそうにシッシと手を払った。
「この前は、キチンとお礼も言えない間にいなくなっちゃったから、今度ちゃんとお礼をしたいんだけど」
効かないブレーキを大きな音を立てつつ握り閉め、足でザリザリと地面をこすりながらイソラは再び声を掛けた。
「てめえに礼なんてされる筋合いはねーよ。学生は勉強に勤しんでろバカヤローが」
警備員を通り越し、やっとの事で自転車を止めたイソラはクツクツと笑った。
「本当に口が悪いんだから。そんなのでよく学校になんて勤めれたよねお兄さん」
「さっさと行きやがれ!この学校はいろんな所に監視カメラがあんだからよ。お前と話してたらまた始末書モンだろーが」
「えっ、そうなの?ごめんなさい!でも今度ホントにお礼させてよね!」
イソラは首をすくめて恐ろしげに周りを見回した。
慌てて手を振って走り去るイソラを見送りながら、警備員は呟いた。
「相変わらずのお人好しが・・・・・・小っさいときから全然変わんねーな」
そして横を向いてペッと唾をはいた。
「ちっ!また映像操作しなきゃなんねーだろーが。めんどくせえっ!わかってんのに関わっちまう。どうかしてるぜオレ」
吐き捨てるように呟きつつ、空を仰ぎ見た。
そして、ヘルメットのシールドを上げるとふうっとタバコの煙を吐いた。
「でもよ、お前の未来は変わる・・・・・・変えてみせる」
緑の眼が光を増した。
次の瞬間、その姿はかき消すようにふいっと消えた。
一限目の授業の始まりの鐘が鳴った。
「あのですね~アナスタシアさん。貴方のクラスは此処ではないでしょう。特進クラスのほうでしょうが」困り顔の先生の注意が飛ぶ。
「申し訳ございません先生。わたくしの名はアナスタシア・ヴェラ・コンスタンチン・パヴロヴェナ・ロマノフですの。正確にお願いいたしますわ。
それにわたくし、以前習いました授業の復習をしたいと思い至りましたの。ですから、先生には申し訳ございませんが今日は一日、わたくしここにおりますわ」
先生の言葉など何処吹く風と、ダイキの横に陣取るアナスタシアは全く動こうという気配がない。
呆れ顔の先生は、しょうがないなと言いたげに首を振りつつ授業へと入った。
休憩時間になり、アナスタシアの指示でお茶の用意がされた。
爺やの用意したサモワールに乗せられたポットが教室の真ん中にデンとしつらえられ、ブランデー入りのジャムに蜜菓子、様々なドライフルーツが周りを囲んだ。
紋章の入れられた銀のお盆の上には、カカオの香り高いトリュフチョコレートがぐるりと渦を巻くように並べられ、その横には、様々なベリーがこぼれ落ちるほど載せられた、生クリームたっぷりの真っ白なケーキがその存在を主張しながら鎮座する。
そのまた横には、シナモンの香りが鼻腔をくすぐるつやつやとしたアップルパイ。そのお隣には、まるでその身を優雅なシルクと繊細なレースで飾った貴婦人のごときミルフィーユ。銀のフォークが軽く触れようものなら、ほろほろと崩れ落ちてしまいそうな繊細な層を幾重にも重ねている。
ずっしりと重いベイクドチーズケーキに、シックな秋色に染められたモンブラン。金箔が振りまかれ、こっくりと照りのあるチョコレートケーキが艶やかに笑う。
しっとりフワフワのチーズパンケーキが、薄く剥いだ木で編まれた籠に山のように積み重ねられ、たっぷりとカラメルのかけられた大きなプティングが、しっとりとした白磁の高足皿の上で、甘い匂いを振りまきつつフルフルとゆれた。
そして、虹色の光を纏うカットガラスの器に、優雅な装飾の施された銀のスコップを使い、砂糖をまぶした様々な色と形のフルーツゼリーが山と盛られていった。
爺やの手によって次々とスイーツが運ばれ、レースのテーブルクロスの掛けられたテーブルの上は甘い香りを放つお菓子によって占拠された。
「どうぞ我が君」
アナスタシアが、かいがいしく銀のスプーンでジャムをダイキの口元に運んだ。爺やは熱い紅茶をカップに注いだ。
「ダイキ様は濃いめがよろしいのですよね」
「いや~俺。紅茶の味なんて正直わかんねーし。腹に入りゃいっしょだし。でも爺サンの作るデザートめっちゃ美味くってさ、俺コイツに目がねーんだよな!」
ダイキは、がぶりっと紅茶を飲み干した。その後はもの凄い勢いでテーブルに並ぶお菓子を食べ始めた。
「相変わらずダイキ様の食べっぷりは見ていて気持ちが良いものですね」
爺やがお茶のお代わりを注ぎながら目を細める。
「本当ですわ。やはり殿方はこのぐらい野趣に溢れておりませんとね」
アナスタシアも嬉しげにダイキの太ももに手を置いた。
「アナスタシア。お前ホントに冷え性だよな。手ぇ冷てえ」
ダイキは片手でお菓子をぱくつきながら、片手でアナスタシアの手を取った。
「まあ、嬉しゅうございますわ。わたくしのこの手、ずっと離さないで下さいまし」
アナスタシアは益々嬉しげに手を絡め、ダイキの首筋に顔を寄せた。
「ちょっとぉ。教室を何だと思ってんのよぉ」
他の者など全くいないかのごとく振る舞うアナスタシアの態度に、マナが苛立たしさを隠せず近寄ってきた。
「あら、申しわけございません。普段貴方がなさっている事とそう変わりございませんでしょう。お菓子をつまむのも、殿方にしなだれかかるのも」
ダイキに寄り添い、にこやかにアナスタシアが微笑む。
「アンタ、一体何様のおつもりよ!アタシだって教室でお菓子食べたりするけど、此処まで大っぴらにしたりした事ないしぃ~」
「重ね重ね、申しわけございませんわ。
でもわたくし、これが日常ですのよ。別に特別なことをしているわけではありませんわ。
でもそうですわね、私達だけというのもいけませんわね。
爺や、少しこの方にもお裾分けして差し上げて・・・」アナスタシアが扇を払い爺やに指示をした。
「でも、貴方もダイキ様とは別格ですが、口寂しい折のデザート代わりにはなりそうですわね。ほら、この柔らかな肌・・・」
アナスタシアがついと立ち上がった。その白い手がマナに伸びる。
首筋にその手が触れた次の瞬間、マナは顔面蒼白となりその場にバッタリと倒れた。
「あらまぁ、今どきの若い娘はすぐに貧血を起こすものですからいけませんわね。爺や、この者を保健室まで連れて行ってさしあげて・・・」
爺やは無言でマナを抱き上げた。か細い老人の腕で、かなりふくよかなマナを難なく教室の外へと運んでいく。
「アナスタシアと言ったな」
一部始終を見ていたヒルコが、アナスタシアの脇に立った。
「あら、ヒルコと聞き及んでおりますのは貴方の事ですわね・・・
最近、我が君がお世話になっておりますようで・・・」
アナスタシアの目が険を含んだ。
羽の扇で口元を隠す。
ダイキが口いっぱいに頬張ったお菓子を、咽せつつもゴクリと飲み込んだ。ビリビリと流れる険悪な雰囲気をさすがに感じ取り、居心地悪げに二人を見比べる。
「お前の我が君など、私にとってはどうでも良いことだ」
「ヒ、ヒルコちゃん・・・そんな取り付く島もない寂しい言い方・・・」
「ダイキ、お前本当に体力馬鹿だな」
「えっ?それって褒めてんの?けなしてんの?」
ヒルコが何を言わんとしているのかさっぱりわからず、ダイキはケーキのかけらをフォークに突き刺したまま、ぽかんとした表情を浮かべた。
「おやまあ貴方、普通の人ではありませんわね。どういたしましょう。悩む所でございますわ」
アナスタシアは少し思案する顔つきになった。
「でも、わたくし一族の長といたしまして皆を守る責任がございますの。悪いですが皆の餌となって頂きましょうか」
アナスタシアの足元から、黑っぽい霧のようなものが吹き出してきた。
それは、次々に天鵞絨のような花弁を持つ黒薔薇へと形を変えていった。漆黒の闇を思わせる花びらが辺り一面に舞い踊る。
死を連想させるような、甘くむせかえる香りが辺り一帯に立ち込めた。
そして、床からは鋭い棘を持つ茨が、生き物のようにうねうねと蠢きながら伸び始めた。
アナスタシアの髪がザワザワと生き物のようにうねった。デコルテされ美しく飾られていた長い爪は、猛禽類のかぎ爪のように鋭い弧を描き始め、ゆっくりと扇を降ろした口元にはキラリと光る牙が覗いた。
「げ~!アナスタシア!何だそれ!」ダイキが様変わりしたその様に絶叫した。フォークに突き刺したままのケーキが、ボトリと皿の上に落ちた。
「ダイキ!アンタやっぱとんでもない女と付き合ってたんだ!」
少し離れた所で状況を伺っていたサラスヴァティとイソラが飛んで来た。
黒っぽい霧は益々その色を濃くし、何物も逃れることのできない茨の垣根を形成し五人の周りを覆い尽くした。
「結界を張ったか・・・」
「ええ、邪魔が入るといけませんから」アナスタシアは、真っ白な牙を覗かせながら妖艶に微笑んだ。
「ダイキは本当にタフな男だ。吸血鬼と枕を共にしながら平気だとはな」
「え~吸血鬼?」イソラが目を白黒させた。
「コイツは、奴らに血を吸われてきたのに吸血鬼になった訳でも、命を縮められた訳でもない。つくづく信じられん奴だ」
「ええ、私達にとってダイキ様は最後の生命線ですのよ。人類が絶滅の危機からかろうじて逃れ、この世界に拾い上げられましたのに、私たちは反対に滅びの瀬戸際まで行きましたの。
この新世界の人間は以前とは違い、精気が薄くってデザートぐらいにしかなりませんの。それにそれを補おうと大量に食べれば、おかしな病に倒れる者が沢山現れて・・・
それにこの新世界の神は、我々を滅ぼそうと手ぐすね引いて待ち構えておりますから、目立つことは絶対に避けなければなりませんわ。
今までにも、何人もの仲間が神に捕まり、二度と帰って来る事はありませんでした」
「お前達は、そうやってビクビクと隠れながらこれからも生きていくつもりか?」
「最初の頃、別の種族でも今の神に挑んだ者が沢山おりましたのよ。
でも、人々の信仰もなくなり、人の精気も薄くなり、我々のような魔物、怪物、精霊、神、物の怪、魔女、悪魔、幽霊などと呼ばれた者達は滅ぼされるまでもなくどんどんと消えて行きましたの。
数少ない残った者も、今日を生きる事だけで精一杯ですわ」
アナスタシアの頬が蝋のように白くなった。
「数え切れない年月を経てきた一族の長であるわたくしでも、少し術を使うだけでも消耗しきってしまう有り様ですの。ですから申し訳ございません。運が悪かったと諦めて下さいな」
アナスタシアは少し寂しげに微笑み、腕を大きく動かした。
それに合わせるように茨の蔓が蛇のように立ち上がり、三人に向かってゆらゆらと鎌首をもたげた。そして次の瞬間、矢のごとく襲いかかってきた。
「待て!私は、ダイキの精気を吸い取るな。などと言うつもりはないぞ!」
ヒルコは不敵な微笑みを浮かべて片手を上げ叫んだ。
三人の眼前で、茨はピタリと動きを止めた。しかし、迷うようかのようにゆらゆらと揺れる。
「えっ?ヒルコちゃん。俺が死んじゃっても良いわけ?」
「馬鹿者が。そのぐらいで命が尽きるならもうとっくの昔に死んでおるわ。貴様も今まで楽しんで来たのだろうが。男としての責任を果たせ」
ヒルコは冷たい眼差しで座ったままのダイキを見下ろした。
「そうねえ、今まで散々楽しんでおきながら、状況が変わった途端、逃げようなんて男らしくないわよね」
サラスヴァティもニッコリと笑いつつ、冷たい眼差しをダイキに投げかける。
「えっ?俺、精気吸い取られんだよ。ちょいイソラ同じ男としてお前何とか言ってくれよ!」
ダイキは最後の望みとイソラを見つめた。
「そんな・・・僕、男だけどダイキと一緒にされたら困るし、常々ちゃんと責任は取る大人になりたいと思ってるし」イソラは困ったような笑いを浮かべて答えた。
「お前!何良い子ちゃん気取ってやがんだよ!俺が悪いのか?全部俺の責任か?」
「そうだろう」
「そうでしょ」
「そうだと思うよ」
「○△×・・・・・・」声をそろえた三人の合唱に、ダイキは机に突っ伏した。
思ってもいなかった展開に、アナスタシアの頬に再び赤みがさした。
「ダイキ様の精気を吸ってかまわないのですか?」
「ああかまわん」
「ヒルコちゃん・・・・・・」突っ伏したままの、ダイキの声にならない声がくぐもって小さく聞こえた。
それにかまう事なくヒルコは言葉を続けた。
「まだ会ってないが、他のダイキの彼女も物の怪の類いか?」
「確かめた事はありませんが、何人かは確実に物の怪ですわね」
「ぐえ・・・・・・」声にならない声がダイキの口から漏れ出る。
「そうか・・・すまなかったな。お茶の続きを楽しんでくれ。あと、我が家にもお前達遊びに来い。きっと損はさせん」
「えっ?俺も行っていい?」ガバッとダイキが跳ね起きた。
「あたしも行きた~い」「僕も・・・」サラスヴァティとイソラも声をそろえた。
「構わんぞ。今度の休みにでもお前達来たらいい・・・あと、ダイキ他の彼女たちも連れてこいよ」
再び、ダイキの顔が机に沈んだ。




