HIRUKO ウラ篇 其の捌 ヴォルフ
扉が吹っ飛ぶのと同時に闘技場内に投げ込まれたのは、無数の音響閃光弾。
それらは次々と破裂し、鼓膜が破れんばかりの轟音が耳に突き刺さった。
同時に、網膜に焼き付くような鋭い光が辺りにはじけ飛び、視界を遮る煙が闘技場内に充満した。
爆風で天井の照明が割れ、あたり一面にガラスや瓦礫が雨霰と降りしきる。
煙に紛れ、密かに忍び寄ったジャンダルムの隊員達が、ジョカとトリニティーの周囲を取り囲んだ。
一瞬の煙の切れ間をつき、一斉に集中砲火が浴びせかけられた。
「今日は本当に騒がしい日ね、ジョカ」
それらを見つめながら、トリニティーは相変わらず気怠げな体を崩さない。
ジョカも動じる気配もなく、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「あたしは、こういうの嫌いじゃないね。いや、むしろ好きなほうだよ!」
そう言い放つと、飛んでくる銃弾を前に、口から暗紫色の玉を吐き出した。
玉は、一瞬のうちに大きく膨らんだ。
柔らかい粘土に石がめり込むように、銃弾は次々とそれに吸収され、全てが飲み込まれると同時にシャボンの泡のように弾けて消えた。
後にはバラバラと霰のような音を立て、弾だけがその場に降ってきた。
「さあ、次はわたくしの番ですわ」
トリニティーの手が滑らかに動く。背後に並ぶ錆びた剣が、隊員達に狙いを定め次々と放たれた。
それを受け、隊員達は背中の刀を抜きはなった。
銀灰色をしたその刀は、微生物がひしめき合うような模様を描くダマスカス鋼でできていた。
くすんだ色をしたそれは、すぐにその中心から眩しいほどの輝きを放ち始めた。
眩耀たる光を放つその刀で、隊員達は飛来してくる剣を薙ぎ払った。
薙ぎ払われたトリニティーの剣は、目の眩むようなスパークを周辺に放ちながら一瞬で消滅していった。
「なかなかやるじゃないか・・・」
それを見ていたジョカの顔が憤怒の形相に変わる。
と、思う間もなくその顔が変化していく。
歓喜、悲哀、驚愕、悟り、憂い、楽しみ、懺悔、慈愛・・・様々な表情が、目まぐるしく現れては消えていった。
そして最終的に、正面に憤怒。左右に歓喜と悲哀の三面の顔が残された。
ジョカの右腕の義手が、ガシャリと大きな音を響かせ床に落ちた。
両肩からうねうねと肉の塊が伸び始める。それは、新たに四本の腕へと変化を遂げた。そして、それぞれの手には剣、髑髏、玉に鉾、そして羂索と弓矢が出現した。
三面六臂の姿へと急速に変化を遂げたジョカは、それらの武器を構え、禍々しい邪眼でもって周囲に睨みをきかせた。
トリニティーも片手に剣を、もう片方に汚濁の網を持ち、マスクをつけたまま影のように静かに立つ。
一瞬の重苦しい沈黙の時が過ぎ、突然の嵐が吹き荒れるように、両者の戦いの幕が切って落とされた。
音響閃光弾の影響で、目や耳を押さえながらわめき散らしているダイキとアマニレナスを、その場に置き捨て、ヒルコとハクはジョカの投げた輪に捉えられた銀狼の元へと走り寄った。
半分人の姿に戻った銀狼は、輪に押しつぶされそうになりつつも牙をむいて唸って見せた。
「おいヴォルフ、そこから救い出してやろう。その代わりに、我らに抗うな」
そう呼びかけるヒルコに、銀狼は舌打ちしながら横を向いた。
「何だ、それは。オレには神からもらった名があるぜ。HWーP9・・・」
その言葉をヒルコは遮った。
「それは、ただの認識番号だろうが。記号の羅列でしかない。
しかし、名とはそんな生易しいものではない。ある意味、呪だ。その事はお前自身が一番良くわかっているはずだ。
お前はその昔、イソラに命を救われた。そして名をつけられた・・・それによって、貴様の中には魂が宿ったのだろう。それで彼奴を守る事にしたのか?」
「うるせえ・・・ごたくはいいから、さっさとこの輪を壊しやがれ」そう言いながら輪を押し返すヴォルフの腕がビリビリと震えた。
「誓約しろヴォルフ。我らに逆らわぬと。名は言霊・・・それによってお前を縛ることもできるのだぞ」
「くそったれが!」銀狼は金色の目を光らせ、歯がみしながら叫んだ。
「了解した!お前も我が主の一人だ!」
その視線が、まっすぐにヒルコを捉えた。
その目を見返し、ヒルコは黄金の短剣を構えた。
「よし!その約束、ゆめゆめ忘れるな!東海の神、名は阿明。西海の神、名は祝良。南海の神、名は巨乗。北海の神、名は禺強。四海の大神、百鬼を退け、凶災を蕩う。急々如律令!」
光りの粒をまき散らし、輪は霧散した。
銀狼はゆっくりと立ち上がった。そして、戦闘を繰り広げているジャンダルムの隊員の一人に向かって声を掛けた。
「ベーオウルフ!」
ベーオウルフと呼ばれた隊員は、チラリと視線を此方に走らせると、腰につけていたホルダーを素早く外しヴォルフに向かって投げて寄こした。
そのホルダーを受け取るやいなや、中の銃を抜き、ヒルコに向けて二発ぶっ放す。
「ぐおっ」という叫び。
ヒルコの背後で崩れ落ちるダイキとアマニレナス。
「何をするっ!」
印を結びつつ詰め寄るヒルコに、ヴォルフは両手を挙げ従順の意を示して見せた。
「お~っと。乱暴はよせよ。でもよ、あいつらはお前の首をはねようとしてたんだぜ」
「それでも、あいつらは私の・・・」ヒルコの瞳が揺れる。
「オレはあいつらを殺したわけじゃねえ。打ち込んだのは封魔弾だ。よく見ろよ、二人共ちゃんと生きてるぜ」
急ぎ振り返るヒルコの目に映ったのは、人の姿に戻ったアマニレナス。
「いきなり、何しやがんだてめぇ!」撃たれた胸を押さえながらヴォルフに飛びかかる。
「おいおい、助けてやったんだぜ。礼の一つでも言いやがれ」銀狼は、鼻先で笑いながら素早く跳び退った。
「何が助けるだ!痛ぇじゃねえかよ!この野郎!」ダイキも咳き込みつつ立ち上がった。
「いやいや、危うく同士討ちになるとこだったんだぜ。二人共、コイツに感謝しろよ・・・」そう言いつつも、ハクの顔色が優れない。
その視線が、戦闘を繰り広げているジャンダルムの隊員達に注がれた。
「もしかして、もしかしてだけどよ・・・あの部隊全員・・・人狼なんてこたぁ・・・」
その言葉が、終わるか終わらないうちに隊員達の姿が次々に変化し始めた。
ヴォルフが鋭い牙を見せて笑う。
「おうよ、あいつらはオレの可愛い部下達だ。オレ達はジャンダルム第七部隊。別名ウェアウルフ隊だ・・・哀れな小狐ちゃんよ・・・」
半人半獣、もしくは完全なる狼の姿となり、ジョカやトリニティーに攻撃を仕掛け始めた隊員達の姿を目の当たりにして、ハクの絶叫が地下闘技場に谺した。
「オレは帰るっ!これは、お前の片割れの問題だからな。お前自身が始末をつけろっ!」
そう言って、脱兎のごとく逃げだそうとしたハクの襟首をヒルコは素早く掴んだ。
「何を言う。乗りかかった船だ。最後まで付き合え」ジロリと睨みをきかせ、ハクの首筋に短剣を突きつける。
「このオレが、狼の群れの真っ只中になんていれるわけねーだろうがっ!あいつらと接触でもしてみろ、この身がいくつあっても持たねえっ。じゃあ、あばよっ!」
そう言いつつ、襟首を掴む手を払いのけたハクの手首を、ヒルコはガッチリと掴みなおした。
「良いんだな?今、逃げたら、九天玄女や瑤姫にお前は臆病者だと言いつけるぞ」
「何だよ。脅すつもりか?」
「そうだ。今でも全く相手にされてないのに、とうとう愛想を尽かされるだろうな。お前が、か弱い子供を見捨てて逃げ出す玉無し野郎だと知ったら・・・」
「お前らの、何処がか弱いんだよっ!」
ハクはそう言いつつも、大きくため息をつき諦めたように刀を構えた。
「しょうがねえ。さっさと始末つけて今日も飲みに行くぜっ!待ってろよ!玄女に瑤姫!」そう叫びつつ、半分やけっぱちの呈で走り出す。
その後に、ヒルコとヴォルフが続いた。
「単純だな、アイツ」
「本来は狐は悪知恵が働くはずなのだが、アイツはな・・・」ヒルコは、ハクに聞こえないように小さな笑いを漏らした。
「何だかわからねえけど、益々面白くなってきやがった。オレ達もいっちょ暴れてやろうぜ!」ダイキとアマニレナスも顔を見合わせ走り出す。
ジョカは、その手に持つ武器を駆使し、三面六臂どころか、八面六臂の暴れようで、狼の姿となったジャンダルムの隊員達を苦戦させていた。
トリニティーも、嵐のように剣を振るいつつ、隊員達に汚濁の網を投げかける。
隊員達は高速で攻撃を仕掛けるも、既に何頭かはその剣や網に触れ、体を侵食する汚濁にもがき苦しんでいた。
「サラスヴァティ!清浄の音をもっと響かせてくれ!」ヒルコの声が飛ぶ。
「了解!任せて!」
サラスヴァティは、血の滲む指でより一層激しく琵琶をかき鳴らした。
「一二三四五六七八九十!五色の綾糸。布瑠部 由良由良止 布瑠部!」
ヒルコの言葉と共に、その妙なる調べは空中で五色の糸と変化し、隊員達の上に降りかかった。苦しみもがく者はもちろんの事、そうでない者の体にもしみ込み、その体から得も言われぬ良い香りが漂った。
「オレ達の、せっかくの獣臭が無くなっちまうじゃねーか。清らかな神様はこれだから困るぜ」ヴォルフが口を曲げて言いつつ、封魔の弾丸をジョカとトリニティーに向かってぶっ放す。
同時に、光の矢のような隊員達の攻撃が交差する。そこへハク達の加勢も加わり、二人の動きが完全に封じ込められた。
「一二三四五六七八九十!五色の綾糸。封魔縛絡!」
闘技場内に、凛と響き渡るヒルコの声。
見えない手によって空中で織り込まれた薄絹の布が、フワリと二人に覆い被さった。
それは、あたかも虹色の蛇が獲物を捕らえるかのごとく、二人の体にグルグルと巻きつき始めた。
叫び声を上げつつ抵抗するも空しく、二人は目の部分だけを残して、その布で全身を拘束された。
「ミイラ様、二体の出っ来上がり~!」
「博物館行きか?」
「いやいや、悪い奴は治安維持警察行きっしょ?」
勝手な事を言い合うダイキ達に、ジョカの声にならない罵倒の叫びが布越しに響く。
トリニティーは、グルグル巻きにされたまま沈黙を守っていた。元々、マスクで顔が隠されている上に、今は目の部分以外を布で幾重にも覆われ、その表情をうかがい知る事はできない。
銃声が響きわたった。
続いて、げふりっ・・・と、液体が込み上げる音がした。
がんじがらめに拘束され、直立不動の姿勢で立っていたトリニティーの体が、何かに弾かれたように後に飛ばされる。
その眉間に打ち込まれた一発の銃弾の跡。
その弾痕から、マスクの縫い目から・・・グルグル巻きにされた布の合間を縫って・・・
真っ黒なドロリとした液体が、溢れるように滲みだしてきた。
急ぎ振り返ったヒルコ達の目に、クラシカルな装飾を施した銀色の拳銃を、ゆっくりと降ろすハンフォードの姿。
「何をしたのだ!」叫ぶヒルコに、ハンフォードは暗い表情で呟く。
「我が一族は、一族の掟に支配され続けてきた・・・
愛する妹が残酷な運命の女神に弄ばれ、苦しむ姿を見なければならないのなら、私の手で終わりにするのが愛情とは言えないか?」
「それが、貴様にとっての愛だと言うのか!」
ヒルコの瞳に、怒りの炎が灯る。
「そうだ。妹は幼い頃、動物と触れあうのが大好きな心優しい子供だった。例えどんなに猛々しい猛獣でも、彼女の前では子犬のような可愛らしさでじゃれついたものだ。
しかし、彼女の運命は、その母親の腹に宿った時から決まっていた。父は、汚濁の継承者となる者を、この世に誕生させるために、正妻とは別の、卑しい身分の女を何処からか連れてきたのだ。
我が誇り高きハンフォード家の中で、彼女たちは奴婢以下の扱いを受けていた。
私も、むろんそのように接していた。
それに、私にとって、我が本家以外の者は人ではなかった。ただの道具のようなもの。壊れたとしても代わりはいくらでもいる。
それに、我々に近づこうとする者は、その瞳に追随、裏切り、策謀、打算・・・子供の私にもすぐわかるそんな色を滲ませているのが常だった。
私は、幼少時からそのような人間しか見た事がなかったのだ・・・
しかしトリニティーの、何事にも囚われない真っ直ぐな瞳は、私の氷のような心を融かした。
彼女が自然に見せる、優しい心、素直な心は私にとって衝撃だった。
そんなものになぞ、今まで一度たりとも触れた事などなかったからな。それは、生まれて初めて知った人としての愛情だった。
彼女は、私のような高慢で、歪んだ心と脆弱な体を持つ者にも温かく接してくれた、ただ一人の人間だ。
屈託の無い、太陽のような笑顔を見せて、兄様兄様と慕ってくれた。
しかし、汚濁に取り込まれたトリニティーはもう以前の彼女ではない。汚濁は彼女の心を凍り付かせてしまった。
そして、動物はもちろんの事、もう誰とも触れあうことはできない。永遠の孤独の中で生き続けるのだ・・・
誰かが、その汚濁を引き受ける時が来るまで・・・
汚濁から、救いの手を伸ばされたジョカだけが彼女の友だ。
しかし、たった一人の友も、人と呼べるものではないだろう。
トリニティーもそうなったのだ・・・
私の愛した妹は、生きながら死んだ・・・
だから、もう・・・これで終わりにしよう・・・」
ハンフォードの叫びが、闘技場内に谺した。
「我が身に降りかかれ!汚濁の澱み!私が一族の最後を飾ろうではないか!」
トリニティーの体から滲みだした汚濁が一つに集まり、蛇のようにその鎌首をもたげた。




