HIRUKO ウラ篇 其の漆 穢れし者達
赤い眼に暗い炎が灯る。
ジョカの眼前に現れたのは、半人半獣の姿と化したイソラ。
二本の足で立っているが、その顔や手足はオオカミそのもの。
手足の爪は、大きく湾曲した刃のように冷たく硬質な輝きを放つ。
イソラは低い唸り声を上げ、ジョカの喉笛をその爪で掻き切らんと襲いかかってきた。
ジョカの着ている、古代の女王然とした優雅なドレープの裾が翻った。その影から、鋼色をした長く鋭い爪が人狼の目を狙って突き出される。
攻撃を受けたイソラの姿が掻き消すように消えた。しかし、直ぐさま二百メートルほど離れた場所に降って湧いたように現れた。
それを追い、ジョカの右腕が伸ばされる。
先日、ハクに切り落とされたそこには、銀に輝く義手がつけられていた。その指先から弾丸が次々と飛び出してきた。
それを避け、大きく跳躍を繰り返しながら、イソラは再びジョカに押し迫った。
その牙が、今度はジョカの胴体を真っ二つにせんと閃く。それをひらりひらりとかわし、そのまま旋回しながらの強烈な蹴りの連打がイソラに向かって炸裂した。
その蹴りの一発を腹にきめられ、イソラは回転しながら壁へと激突した。その勢いで、頑強な石造りの壁が砲弾がぶち当たったかのごとく粉々に崩れ落ちた。
辺りにもうもうと砂埃が沸き立つ。
しかし、直ぐさま砕けた壁の破片をはじき飛ばしてイソラの姿が現れた。
今や、その姿は完全なる四つ足のオオカミへと変化していた。
「うおっ!大神様の完成形だぜ」ハクの眉間に皺が寄せられた。
「それに、こっちは鬼とサラマンダーだぜ・・・コイツら、元々人間離れした奴だとは思ってたけどよ。まあ、イソラの奴も、この前の事で狼だってわかったけどさ。思い出すだけで傷が痛ぇ・・・婆ぁにしてもらった封魔の呪印が、まだうずきやがるぜ」
「確かに、この二人は人並み外れた体力馬鹿だが、異形の者とはな・・・でも、イソラの獣化の原因はハッキリしている。アイツが子供の時に噛まれたと言っていた狼だ。アイツは犬だと思っていたらしいが」
「人狼か・・・まあ、この際そんな事はどうだっていいぜ。今重要なのは、コイツらがオレ達の敵になるか、味方になるかって事さ。この状況でコイツらまで敵になるのは避けたいからな」
ぼんやりと、あらぬ方を見て立つダイキとアマニレナスに視線を送りつつ、ハクの眉間の皺が益々深くなった。
一方イソラは、鼻の頭に皺を寄せると、牙をむき出し、ジョカに向かって威嚇の声を上げた。
その漆黒の体が弓のように引き絞られ、まさに跳躍しようとしたその瞬間、ジョカの左手が何かを締め付けるような仕草をした。
「躾のなってない犬コロには、お仕置きが必要さ」ジョカの顔に歪んだ笑いが浮かんだ。
側で、トリニティーが気怠げな物言いで言い放つ。
「愚かな獣でも、どちらが主人かすぐに理解できるでしょうね」
ジョカの手の動きに合わせるように、イソラが苦しげに身をよじりはじめた。
「アンタは薬で眠ってて、これっぽっちも覚えちゃいないだろうけどさ。異能者は、捕まえた時にあらかじめ首輪をつけておくんだよ。中には、とんでもないやんちゃな奴もいるからね。獣は、痛みによって従わせる。それがアタシの流儀だよ!」
ジョカの手が、目には見えない首輪に繋がれた鎖をたぐり寄せるような動きをした。
イソラは口から泡を吹きつつも、四足を突っ張って抵抗した。しかし、首を締め付ける力は益々強くなる。その一方で、抗う力は急速に弱まり、ジョカの方へとジリッジリッと引き寄せられていった。
「さあ、女王様の前に跪きな犬ッコロ」ジョカの唇の端が上がった。
闘技場の壁を震わせ、咆吼が響いた。
銀色の閃光が、一直線にジョカに向かって飛ぶ。
そこにはライトの光を跳ね返し、光り輝く白銀の狼。
今まで何処にその姿を隠していたのか。巨大な狼はジョカに飛びかかった。生身の左手に鋭い牙を突き立てる。ジョカは悲鳴を上げ振りほどこうともがいた。それでも銀色の狼はその力を緩めない。
「出たなヴォルフ。イソラの獣化の原因め」ヒルコは、ジョカに噛み付いている白銀の狼に視線を走らせた。そして苦しげに痙攣をし始めたイソラの元に走り寄った。
「土、金を生ず。神霊・厳の御霊。神火清明、神水清明、神風清明。現れ出でよ破邪の剣!」
唱えつつ九字の印を結ぶ。
最後に大きく振り下ろしたその手には、黄金に光り輝く短剣が握られていた。
続けざまに呪の言葉を唱えつつ、イソラの首の周りを短剣で四度切り払った。
「東海の神、名は阿明。西海の神、名は祝良。南海の神、名は巨乗。北海の神、名は禺強。四海の大神、百鬼を退け、凶災を蕩う。急々如律令!」
一振りごとに黄金の光が飛び散り、首輪は辺りに霧散し消えていった。
力を使い果たしたのか、半分人の姿へと戻ったイソラは、そのまま力なく床に倒れ込んだ。
琵琶を弾きつづけているサラスヴァティと共に、肩に天使を担ぎハクが近づいてきた。イソラの横に天使を横たえる。
重傷を負い、まるで死んだかのように見える天使の胸に手をあて、ヒルコは呪文を唱えた。
ひくりと小さく息をして、胸が上下する。
「これで、何とかもてば良いがな」ヒルコの手が蒼白の天使の頬を撫でた。
「大神様、二匹ご登場かよ。狐の俺はどーしろと?闘技場の片隅で震えてろってか?」
ハクが眉間に皺を寄せ、愚痴る言葉を聞き流し、ヒルコはダイキとアマニレナスの方に視線を走らせた。
「とりあえず今は、銀狼が向こうを攻撃してくれているのだから良しとしろ。それよりこちらの二人だ」
「コイツら、お前の事覚えてると思うか?」
ハクは、魂が抜けた者の様に立っているダイキとアマニレナスに視線を走らせた。
「わからん。魂まで汚濁に侵食されてないことを祈ろう」ヒルコは、そう言いつつサラスヴァティに視線を走らせた。
「サラスヴァティ、お前達を守る為に結界を張る。しかし、もうしばらく清浄の音を頼むぞ!」
琵琶を弾き続けているサラスヴァティの指先には血が滲んでいた。
「あたしは大丈夫!自分ができることを精一杯やるから!」
「すまない」
ヒルコの手が素早く五芒星の形を描く。
「朱雀、玄武、白虎、勾陣、南斗、北斗、三台、玉女、青龍。悪気を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固真、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る」
呪の言葉が唱えられ、その両手が合わさると同時に、サラスヴァティ達の周囲に、シャボンの泡のような虹色の結界が現れた。
「これで攻撃を受けたとしても一時はもつだろう。ハク、行くぞ!」二人の目が再びダイキとアマニレナス注がれた。
ジョカに攻撃を加え続ける銀狼に、トリニティーが緩慢な動きで向き直った。
「まあ、獣たちのオンパレードですか。でも私は汚濁に取り込まれ、この身が生き物かどうかもわからなくなってしまいましたから、少し羨ましく思えますわ」
それから、おもむろに後を振り向くと、空中にズラリと並ぶ錆びた剣の一振りを手に取った。
「でも、ジョカは、私の数少ない私のお友達ですの。汚濁をまき散らさずにはいられない私と共に、食事をしてくれる者など滅多にいないのですからね・・・」
ゆっくりと振り返ったその姿が、いきなり早回しの映像のようにスピードアップした。
錆びた剣が目にもとまらぬ速さで、ジョカの腕に食らいつく白銀のオオカミに向かって振り下ろされる。
オオカミは鼻面に皺を寄せ、素早く跳び退った。
大量の血を流し、髪を振り乱し、まさに悪鬼と化した呈のジョカは、大きく息をつきながら立ち上がった。
「本当に、何奴も此奴も躾がなってないよ・・・」
ゼイゼイと息を切らしつつ、血まみれの左手を義手で支え上を向け、その拳を開いた。
その上に深淵なる闇が現れる。ジョカは、その中から赤銅色の輪を引き出した。
「お前にも、首輪が必要だねっ!」その輪を銀狼に向かって投げつけた。
銀狼は、クルリと回転してその輪を避けた。そして口を曲げて牙を見せると、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
ジョカの背後に暗い紫の炎が立ちのぼる。ギリギリと歯がみしながら次々と空間に輪を出現させると、銀狼に向かって滅茶苦茶に投げつけてきた。
銀狼の体が、残像を残してふいっと消えた。
目標を失ったその輪は、まっすぐにダイキとアマニレナスの方に飛んでくる。
「うおっ!生体反応付きセンサー兵器かよ。とばっちりを受けてこっちに飛んでくるぜ」
ハクが身構えた。
「これは、これは・・・赤い月のようだ。なかなかに美しいではないか」
しかしヒルコは、これまた一興といった感で呟いた。
「何、優雅な事言ってんだよ。早く打ち払わないとあいつらが捕まっちまうぜっ!出でよ葛の葉!」
そう言いながら、中空から妖剣を取り出したハクの手を、ヒルコはニヤリと笑いつつ制止した。
「相手の手を利用させてもらうのだ」
一瞬の沈黙の後に、ハクが吐き捨てるように言った。
「お前は、ホンッとに嫌な奴だよな・・・」
「嫌な奴上等だ。ただ私は、つまらん労力を使いたくないだけだ。省エネと呼べ。ダイキとアマニレナスの二大体力馬鹿と真っ向から勝負してみろ、私の血がもたん」
「だから、いつもジジイに鯉の苦玉飲めって言われてるのに、飲まねえからだよ。早く貧血直せよ。命取りになるぞ」
「苦いのは好かん」ヒルコは憮然とした表情で、自分達の所に飛んで来た輪を短剣で跳ね返した。
「お子様かよっ!」
「ああ、まだ子供だ。やっと、虚空蔵菩薩に知恵を授けられる歳になったばかりだ」
「普段は、神だ何だとぬかしてるくせに、都合の良い時だけ子供、子供言うんじゃねえっ!」叫ぶハクの声を掻き消すように、ダイキとアマニレナスのわめき声が重なった。
飛んで来た首輪がガッチリと二人の首を締め付ける。
ヒルコの姿が優雅に宙を舞った。
「東海の神、名は阿明。西海の神、名は祝良。南海の神、名は巨乗。北海の神、名は禺強。四海の大神、百鬼を退け、凶災を蕩う。急々如律令!」
長い黒髪をなびかせ、クルリと回転して二人の元に着地すると、そう唱えつつ首輪を一気に切り払った。
「異界の鬼よ!炎を操る火蜥蜴よ!呪縛は解けた。我が命に従え!」
ヒルコは、首輪を切り払った黄金の剣で己が指に傷をつけた。ぷつりと玉となる赤い血。その指で二人の額から鼻筋に向かって一直線に撫でた。
「やだやだ、助けてやる代わりに従えってか・・・」ハクがぶつくさ言いながら、出現させた妖刀葛の葉を肩に担ぎ近づく。
その影が二人に差し掛かると同時に、固まったように立っていたアマニレナスの手が動いた。瞬時に赤い刀が宙を舞う。
「うおっ!」
瞬間的に避けて無傷だったが、そのラインは確実にハクの首を飛ばす軌跡を描いていた。
それにつられるように、ダイキの咆吼が響く。前に立っているヒルコを締め殺さんと、その太い腕が動いた。
「全然、従ってねぇじゃねーかよっ」
「いや、そんなはずはないのだがな・・・馬鹿には理解できなかったか?」
「馬鹿はオメーだよ!くそっ、こうなりゃ力でモノを言わすしかねーな!」
「不本意ながら、そうするとするか。本来私は、love&peaceを信条としているが致し方ない」
「嘘をつくんじゃねえっ!閻魔大王に、舌を引っこ抜かれても知らねぇぞ!」
そう戯れ言をとばしつつも、ヒルコは短剣、ハクは妖刀を構えた。
その気配に、真っ先に反応したのはアマニレナスだった。体を縮め跳躍する。
振りかぶった剣が真っ赤に燃え上がる。それをヒルコの頭上目がけて振り下ろした。
その動きにつられたように、ダイキが砂を敷き詰めた床に片膝をついた。そして、そのまま手をめり込ませ始めた。まるで水の中に手を入れるようにずぶずぶと入っていく。
何かを引き当てたように、その動きが止まった。勢いよく引き上げたそれを頭上に掲げる。そこには波打つ刃を持つ巨大な剣。その剣を構え、ハクに向かって突進してきた。
「しょうがねえ!一丁揉んでやるぜっ!」
互いの刃が合わさり、火花が散った。
一方トリニティーは、不意に現れては消える銀狼と対戦を繰り広げていた。
離れた場所に飛び退った銀狼に向かって剣を投げつける。その剣が到達する前に、その姿が再び掻き消えた。
「まあ、まあ。本当に躾のなってない獣ですこと。でもわたくし、こういうの嫌いじゃありませんわ。幼い時にハンフォード兄様と鬼ごっこをした事を思いだしいますわね。楽しかったですわね兄様」
トリニティーはチラリと兄に視線を走らせ、嬉しげに手を合わせた。
離れた場所からボディーガードに囲まれ、静観しているハンフォードの顔に苦悩の色が浮かぶ。
「でも獣の貴方も、闇から生まれし者でしょう。わたくし達と同じ匂いがしますわ。穢れから生まれた者同士、一緒に遊びましょうよ」
トリニティーの視線が再び銀狼に注がれ、合わせた手が開いた。
顔につけたマスクの、鳥の嘴のような部分がパカッと開いた。
その中から粘つく黒い物質が飛び出してきた。それは、網のように拡がり銀狼の上に被さり絡みつく。その黒い網が触れた部分が、ジュウジュウと悪臭を放ちつつ溶け始めた。銀狼の苦悶の叫びが闘技場に響いた。
もうもうと水蒸気を上げつつ溶け落ちた毛皮の下から、人の姿が現れた。
銀の髪。緑と金の混じる瞳。白い肌にクッキリと残る、頬から胸に至る古い傷跡。半身はまだ狼のまま。
その人物は、火傷のような痛みに体を引きつらせながら起き上がろうとした。
すかさずジョカの首輪が飛ぶ。
半分人に戻った銀狼は、赤銅色の輪に体を包まれた。その輪が準々と縮まる。もがきつつもその腕で、押し返そうとするが輪の縮まる速度は緩まない。
銀狼は天を仰ぐと、長く長く吠えた。その咆吼で辺りの空気がビリビリと震えた。
遠くから、それに答える無数の遠吠え。
凄まじい爆音が、地下闘技場に響きわたった。
ダイキとアマニレナスと闘っていたヒルコとハクも、耳を押さえ一瞬動きが止まった。
金属製の重い扉を破り、パワードスーツを着たジャンダルムの一群がなだれ込んできた。




