八話 森の狩人
身体に刺さる寸前、びたりと不自然な挙動で空中に止まる。
鋭く研がれた鏃と矢棒。そしてシンプルな矢羽の一本一本までつぶさに観察できる距離でそれを見てから、はっとなった。
「スラ子!」
「平気です、マスター。問題ありません」
うっすらと揺れ、目の前にスラ子の姿があらわれる。
飛んできた矢から俺を守って背中に受けたスラ子は特に痛そうな素振りもなく、警戒した表情で森を見る。
そこに、見知らぬ誰かが立っていた。
全身は周囲に溶け込むような地味な色合いの軽装の女。
そのなかで長く伸びた銀髪だけが溶けることを拒否して存在感をあらわし、鋭さのある表情はぱっと見で若く見える。
こちらに向けられた眼差しが発するのも銀色で、その印象的な瞳よりもっと目をひくのは、長髪のなかに埋もれずぴんと立った左右の耳の存在だった。
よく木の葉のようなと表現されるとおりの、人間族のものとは明らかな形状の異なり。
「エルフ?」
珍しいものを見る気分を素直につぶやいた。
森の賢人といわれるその種族はおそらくもっとも有名な魔物のひとつでもある。
人間族と似たような容姿をもち、似たような文化体系と社会を構築してきた存在。
一説では、人間に文化を教えたのは彼らであるという言い伝えもあるほど、人間と関わりの深いのがエルフだ。
思慮深く、節度を守り、謙虚で穏やかな対話を好む知的な種族。
少なくとも俺が知る限り、エルフというのはそういった数々の美徳とともに語り継がれていた存在だが、
「なにが潜んでいるかと思えば、やっぱりいやがった」
女エルフがいった。
口元にはにやりとした好戦的な表情。
……思慮深く?
内心で疑問符を浮かべながら、とにかく声をかける。
「なにかいそうだからって。いきなり弓矢で射かけるか? 随分と乱暴なんだな、エルフってのは」
「見える矢も避けられない程度のボンクラならさっさと死ね。バーカ」
片手に小振りな弓を持った、その相手から返ってきた言葉にびっくりした。
なんだ、この口の悪いエルフ。
「……ほんとにエルフか?」
「それ以外のなんに見えんだよ、ボンクラ。目ェ腐ってんじゃねぇか?」
俺は腕を組んだ。
「思慮深く――節度を守り、対話を好む。知的……?」
節度って。知的ってなんだっけ。
「なかなかファンキーな方ですね」
知識と現実のギャップに考え込む俺の隣で、スラ子がいった。
「ただの矢ですませてくれたのは、挨拶代わりでしょうか」
「はっ。わかってんじゃねえか。そっちのボンクラよりはマシみてぇだな」
その台詞で思い出す。
エルフと人間族の違いは耳だけではない。
物の考え方や価値観、それになにより生まれ持った魔道の素質が違う。
ときに精霊魔法と呼ばれる、彼らの魔法はその名のとおり、精霊と個々の契約を交わすことで成るという話があり、
「あっはー。面白そうな連中だね」
別種の声に、銀髪のエルフの隣で風が巻き起こる。
微風が集まり、そこにあらわれたのは半透明な質感をもったどこか見覚えのある女性体。
逆立った髪とノーミデスとは別の意味で露出の多い肢体の持ち主は、
「シルフィリア、……風精霊かっ」
「そっだよ~ん。よろしくゥ!」
びしりと指をこちらにつきつけてなにかのポーズをとってみせる。
格好といい口調といい、やけにファンキーな精霊だった。
「ねえ、ツェツィ。あの女、なんかヘンだよ。あたしらとおんなじ匂いがする」
しなだれかかるようにした風精霊がスラ子を指して言う。
「へえ」
シルフィリアの言葉に、エルフが獰猛な笑みを浮かべた。
「ってことは、このあたりのはあいつの仕業か?」
「んー。そうとは限らないけどサ、どうでもいんじゃん?」
「ま、そうだな。やってみればわかるしな」
「そーいうことっ」
嫌な予感をおぼえた次の瞬間、
「カーラさんっ!」
「はいっ」
スラ子が吠え、カーラが動いた。
衝撃を受けてよろめく。背中から誰かに受け止められ、それがカーラだと認識しながら、目は俺を突き飛ばしたスラ子の動きを追っていた。
「はっはー!」
高らかな笑い声。
女エルフがかまえた弓に、いつのまにか矢がつがえられている。
その鋭い先端が駆けるスラ子に向けられ、呼吸もおかずに射撃。弓の名手で知られるエルフ族の腕前を示す速射だった。
スラ子はスライムだ。
普通の弓矢なんかいくら撃たれても痛くもかゆくもないはずだ。
だが、
「……っ」
大きく横に跳んだスラ子の足元に矢が刺さり、次の瞬間、周辺の雑草が大きく刈り取られて、宙に舞った。
魔力込みの矢撃。
あれならスラ子にだってダメージが通る。
それどころか、シィのアンチマジックがかかっていない今、スラ子にとって魔法は致命的な弱点だ。
「危ないから下がっててくださいね!」
俺たちと、恐らく妖精たちにだろう。注意を呼びかけながらスラ子はさらに駆ける。
魔法、そして弓。
エルフの持つ攻撃手段はどちらも遠距離のそれだから、相手との距離を詰めるのは有効だ。
だがもちろん、そんなことは相手も重々承知であるはずで、
「ほら次だ!」
スラ子がまだ速度に乗る前にエルフの放った第二射が襲った。
「アイスウォール!」
スラ子が叫ぶ。
スラ子の手前の空間に氷壁がそそり立つ。
防壁は矢の直撃を受け、次いで生じた風の破壊に崩されて、
「遅ぇ!」
穿たれた壁の穴を射抜くように三本目の矢が飛んだ。
「くっ……!」
大きく後ろ飛びにさがるスラ子。
――距離が詰められない。
エルフの連射の早さは異常だった。
卓越した技量。手にした弓の、弦の張りがそこまで強くないということもあるだろう。
当然そうなると矢の威力は弱まる。しかし、込められた魔力がその問題は解決できるわけだ。
致命的な威力を持っているから、避けようとすれば大きく距離をとる必要がでる。
玉砕覚悟の特攻や、レジストの魔法で一撃をこらえることは可能かもしれないが――相手の手の内が見えないのに、そうした行動に出るのは危険がありすぎた。
「おいおい、もう終わりかよ?」
「いえいえ。これからですよ」
挑発してくる相手にスラ子は不敵に応える。
地面に手をついて、
「アースシェイク!」
地面が揺れた。
攪拌された視界が激しく上下する状況で、スラ子がすかさず駆け出している。
「ちっ」
大地の揺れは俺たちだけでなく、距離の離れたエルフの下まで続いている。
足元が安定しない状況では精確な射撃は不可能だ。
舌打ちしたエルフがつがえていた矢を外して――三本を取り出す。
「マジかよ」
相手のやろうとしていることをまさかと思うが、果たして俺の想像したとおり、エルフは右手に持った三本矢をつがえて、放った。
三本の矢を一斉射するだなんて曲芸だ。
そんなので、精確な狙いがつけられるわけがない。
しかしそれは、はじめから数打ちゃ当たるで放たれた三本だった。
あるいはその三本に、なにか仕掛けがないとも限らない。
たとえはったりだとしても。もしかしたらというリスクを考えれば、やはり、スラ子は不意打ちの機会を捨てて距離をとるしかなかったが、
「アースニードル!」
ルクレティアの声。
魔法が発動し、大地から何本もの土の柱が生えた。
まだ揺れの収まりきらない大地に生じた柱が視界をおおい、障害物としてそびえる。
爆発。
やはり、なにかの仕掛けがあったのだろう。
恐らくはエルフの放った矢のどれかと、ルクレティアのつくりだした柱が触れあって起こった小さくない爆発で周囲に土煙が巻き起こり、そのなかを速度を落とさないままスラ子が駆けた。
「アイスランス、ランス!」
連続して生み出された氷の槍が、土煙ごとエルフの立っていた空間を貫いて、
「やったか!?」
「やってません!」
即答かい。
「はは。危ねー危ねー」
楽しげな声は全員の上空から降ってきた。
見上げると、なにもない空間に足を踏みしめるようにして立つエルフと、もう一人の姿。
あまりに自然にそうしている様子に違和感をおぼえてしまう。
飛んでいるとか、浮かんでいるではない。風に乗っているとしか表現のしようがない、その立ち姿を不思議がるのは馬鹿げた話だった。
エルフの隣の風精霊が、ぱちぱちと賞賛の拍手を叩いている。
「やるじゃーん。ちょっと危なかったね、ツェツィ」
「どこがだよ。うっぜえことしやがって」
「あら。そちらもお二人なのですから、まさか卑怯などとはおっしゃらないでしょう」
しらとして告げるルクレティアに、ふんと鼻を鳴らしたエルフが口を歪める。
「当然。その程度でオレをやれるつもりなら、やってみろよ。人間野郎」
肉食獣の笑顔がいった。
うわあ。なんなんだあのエルフ、まじ怖い。
「というわけで、スラ子さん。よろしいですかしら」
「はい。よろしくお願いします」
タッグを組むことになったスラ子とルクレティアに、空にいるエルフがにやりとして新しい矢を取り出そうとして、
「――ちっ」
忌々しそうに舌打ちした。
「邪魔はいっちゃったかー。ま、いんじゃない? どうせこの連中も用があるのは一緒でしょ」
「そうだな。遊ぶ機会はあるだろ」
自分たちだけで会話を完結させて、こちらには目もくれないまま、空を跳ねるようにして去っていく。
「どういうことだ? なにがあった。スラ子、無事か?」
「はい、マスター。私は大丈夫です。一旦、消えますね。人間さんたちが来ます」
スラ子の言葉で気づいた。
遠くから何かの物音が聞こえてきている。近くにいた冒険者連中がこの騒ぎに気づいたんだろう。
「わかった。あとで話そう」
スラ子の姿を見られるわけにはいかなかった。
「はい。それではまた後ほど。妖精さんたち、いきますよー」
『はーい』
スラ子の姿が消え、少ししてあたりから気配が消える。
「おーい、なにがあったー! 大丈夫かー!」
かわって別の気配が近づいてくるのを感じながら、とりあえずの無事を確認して俺は大きく息を吐いた。
口の悪いエルフに風の精霊。
竜の躯に関わるこの遠出も、どうやら平穏無事に終わってくれそうにはなかった。




