十七話 三つ巴の争いは混迷のまま佳境へ至った末に
「ウォーター、」
押し寄せるリザードマンに人差し指を向け、今まさに魔法を放とうとしているマーメイドの射線上に横合いから腕を伸ばす。
「ガン!」
放たれた水弾は椅子に直撃。ぱしゃんと音をたてて弾けた。
驚きの表情をつくるマーメイドが次の詠唱に入らないうちに思い切り椅子を振り回す。
鈍い衝撃が腕に伝わり、人魚の身体が倒れこむ。
「じゅらあああ!」
相手の様子を確かめる間もなく咆哮がとどろき、残されたリザードマンがそのまま俺に向かって飛びかかってくる。
「はああっ」
そこにあいだに割って入ったカーラが拳を繰り出して相手のみぞおちを打ち抜いた。
膝をついてうずくまる、その後ろにはすでに新手。
「ウォータースプラッシュ!」
エリアルの水魔法が相手を押し流して距離を稼ぎ、
「サンダーボルト!」
即座にルクレティアが畳み掛け、威力を弱めた雷撃が範囲内に固まった数人を打ち倒す。
「あいたたたた!」
少し離れていたところで他の相手と揉みあっていたスケルが悲鳴をあげた。
「こっちまでビリッてきちゃってますが!」
「我慢してくださいまし! ただでさえ、範囲魔法が扱いにくいのですから――」
微妙に巻き込まれたスケルの非難の声に、余裕のない口調で返したルクレティアの背後にリザードマンがいるのに気づいて、声をはりあげた。
「伏せろ!」
あわててしゃがみこんだ金髪をかすり、大振りな石剣が横薙ぎに通り過ぎる。
絹糸のような金髪が千切れて宙に舞った。
間一髪のところで回避したルクレティアの隙を見逃すまいと、さらに新手が迫る。
振るのではなく突くように構えて突進する相手に、
「トルネイド!」
座り込んだまま腕をかかげ、正面から撃退したルクレティアの魔法が相手を打ち倒す。
しかし、その背後にさきほどの空振りから剣を戻したリザードマンが大上段に構えていた。
殺気を感じて振り返り、大きく目を見開いて硬直した令嬢の眼前で爬虫類の冷たい眼差しのまま断刀を下し、
「ルクレティア!」
駆けつけたカーラの拳がその剣の腹を叩いて軌道をそらした。
剣先が鈍く地面を叩き、それで呪縛がとけたように身体の自由を取り戻したルクレティアが、
「っ――ライトニングボウッ」
放った雷の矢がリザードマンの身体を貫き、全身を痙攣させる。
倒れこむ相手の下敷きにならないようにあわてて四つんばいで這いながら、ルクレティアが怒声をあげた。
「きりがありませんわ!」
「わかってる!」
怒鳴り返しながら、俺は必死になって周囲の状況をつかもうと頭を巡らせた。
混戦中は全体どころか、自分以外の味方の状態さえ簡単に見失いがちで、ただでさえ数がすくないのだから、孤立してしまえばすぐに押しつぶされてしまう。
そうならないために互いの安否を確認しながら、荒れ狂う狂騒のなかで俺たちは抗い続けた。
リザードマン、魚人族ともに敵も味方もあったもんじゃない。
目に入るものは全て敵とばかりに襲いかかる様子はほとんどバーサーク状態のそれで、この場を収めるための有効な打開策どころか、自分たちがやられまいとするのだけで精一杯だった。
「やめろ、やめるんだ!」
エリアルが声をはりあげているが、懸命な言葉はほとんどの相手の耳に届いていなかった。
なかにはその声を聞き、戸惑うような様子をみせたマーメイドもいたが、その相手も横合いから切りつけられて悲鳴をあげて倒れこむ。
「くそっ……!」
とどめをさそうとするリザードマンを放った水流で押し流し、エリアルが倒れた同胞に駆け寄った。
「深いか?」
「……大丈夫だ。だが、」
治療魔法をかけながら、エリアルが途方にくれた顔を浮かべかける。
戦場のいたるところで大勢が傷つけあっている、そのたった一人を救ってどうなるといいたげな表情だった。
俺はそれに答えず、
「ノーミデス!」
近くでうんうん頭をうなっている土の精霊に呼びかけた。
「なぁにぃ」
「魚人族をけしかけてる精霊はどこだ! 近くにいるんだろ!」
「探してる~。けど、やっぱりあっちに隠れちゃってるみたいー」
あっちがどっちなのかさっぱりだが。
この馬鹿げた争いを止めるために、魚人族を争うように仕向けている張本人を引っ張り出すのが一番だと思ったが、やはりそうはいかないか。
なら――
「カーラ、一緒にこい! ルクレティア、スケル、エリアル、お前達はリザードマンたちにいけ! こっちは魚人族を止める!」
「危険です!」
「だが、このままじゃいつかやられる!」
今の状態で戦力を分けるのなんて愚策でしかないかもしれないが、ずっとこうしてたってどうせジリ貧だ。
最悪、俺たちはなんと自分たちを守りきったとしても。
それでリザードマンと魚人族たちがもう元に戻れないほどに傷つけあってしまっては意味がない。
「長をぶっとばすでもなんでもしていいから、止めさせろ! ノーミデス、お前はこっちだ!」
のんびりとした土精霊の腕をつかんで、カーラと合流する。
マーメイドの魔法攻撃をかわし、当身をくらわせていた格闘少女が振り返った。
「マスターっ」
「ちんたらやってたら囲まれて攻撃を集中されて終わる。一気にあの魚野郎のとこにいくぞ。ノーミデス、精霊っぽいやつが出てきたらすぐ教えてくれ!」
「はいっ」
「わかった~」
「魚人族の長はどこにいるかわかるかっ?」
「んん。だいたいあっちの方ー」
ノーミデスの指すほうは広場の中央、まさに乱戦の只中だった。
「行くぞっ」
「はい!」
カーラが駆けた。
地を這うように走るその姿に気づいたマーメイドが腕を向けるが、
「ウォ――」
口の動きを変えるより先にが懐に入り込んだカーラが掌底を叩き込む。
声もなく崩れ落ちる相手の横を通り過ぎて、今度はリザードマンがカーラに立ちふさがる。
「じゅるらああ!」
武器をもたない相手がカーラの動きを止めようと両手を広げるのに、カーラは足を止めるどころかさらに速度をはやめ、
「こっちだ、蜥蜴!」
少し遅れて走る俺があげた陽動の声に、相手の意識が一瞬カーラから離れ。すぐにまた戻ったときには、その腹部にカーラの肘打ちがめり込んでいた。
たまらず身体を前屈みに折ってさがった頭を抱え込み、
「やああああ!」
そのまま自分よりはるかに背丈のある相手を投げ飛ばした。
「すごーい」
俺の後ろに続くノーミデスがのんきな喝采の拍手を叩くのに、気がそがれる気分でちらりと後ろを振り返り、肩越しにノーミデスへ手のひらを向ける数人のマーメイドが見えた。
「ノーミデス、後ろだ!」
いってノーミデスが振り返ったときにはすでに遅く、マーメイドたちの声が唱和する。
『ウォーターガン!』
高速で射出された複数の水弾がノーミデスを襲い、
「んー」
ノーミデスの身体にあたってぱしゃんと跳ねた。
地面を穿つほどの水撃を受けて平然としている様子に、思わず足を止めかけて目を疑う。
「効かないのかよ!」
「まあ、このくらいなら~」
ノーミデスは土を司る精霊だ。
純粋な魔力の象徴でもあるといわれる存在なのだから、このくらいは当たり前なのかもしれなかったが。外見がとても強そうにみえないから驚いてしまう。
「攻撃魔法はできないのか!」
「あんまりこのあたりの地相は崩したくないんだけどなぁ」
困ったようにいったノーミデスが人差し指を唇におしつけて。
「このくらいなら、いっかー」
変化は一見するとまったくわからない、まったく地味なものだった。
周囲にいたリザードマンやマーメイドたちが地震でもあったかのように身体のバランスを崩している。
その足元が、奇妙に埋もれてしまっていた。
泥のようにゆるくなった土壌が、彼らの足をとっている。
あわてて自分の足元をみると、そこだけは元のしっかりと固い地面のままだった。
より正確には、ズブズブになってしまっているはずの地面なのに、それを意に介せずに走れてしまっているのだった。
「底なしってわけじゃないから、大丈夫~」
強大な精霊の力をほんのすこしだけ振るったノーミデスがのんびりという。
俺とカーラは周囲が混乱した隙をついて、一気に広場の中央に乗り込んだ。
乱戦のさなか、そこだけは指示がいきわたっているようにマーメイドたちが陣形を固めている視界の先に、見慣れた魚の姿。
「カーラ!」
「崩します!」
迎撃態勢に入るマーメイドたちに向かっていっそう足をはやめ、カーラが駆ける。
『ウォーターガン!』
矢のように撃たれる攻撃魔法の雨のなかをかいくぐり、接近して一人をすかさず無力化し、そのまま足を止めずに引っ掻き回す。
陣形のなかにはいったカーラを追いかけようと算を乱したところに後続の俺が到着して、一人を椅子で殴りつけた。
連中の数人が俺に意識を向け、即座に水弾を撃ち込んでくる。
あわてて椅子の座面でそれらを防ぎながら、俺は悲鳴じみた声をあげた。
「ノーミデス、なんかこう、もっと凄いやつ! 地味でもいいから!」
「わがままなんだからぁ、も~」
ノーミデスが腕をかかげる。
ふわりと一帯からつぶてが浮き上がり、意思を持ったように襲いかかる。
マーメイドたちが悲鳴をあげて打たれ、あるいは地に伏せてそれから逃れようとする。
一時的に無力化した連中の横を駆け抜けて、俺は先行するカーラを追いかけた。
内部に切り込んだカーラはそのまま縦横無尽に暴れまわっていた。
距離をつめてしまえば接近戦に弱く、魔法も誤射を恐れて控えるしかないマーメイドたちは、カーラ一人にいいように陣形を乱されてしまっている。
ちらりと俺とノーミデスのほうを見たカーラにうなずきかけ、合流を果たして一気に長のもとまで詰めようとしかけたところに、
「――ウォーターパニッシュ」
虚空にあらわれた大水量が津波と化し、すべてを巻き込んで呑みこんでいく。
水流は、その場にいるマーメイドもろとも俺たちに向かって放たれていた。
逃げる場所などあるわけがない。
俺とカーラは圧倒的な水量の前になすすべもなく、暴虐の水にさらわれた。




