七話 地下洞窟で起こっていること
「じゅら、らーらうじゅらう、じゅうらいじゅじゅあらじゅうじゅっじゅ」
「その者、伝説の武器をたずさえて降り立ち、黄金の使いとして我らを導く。それすなわち、伝説の勇者なーり~」
ノーミデスが調子っぱずれの歌を歌うように長の台詞を訳してくれる。
俺はまじまじと手に持った椅子を見おろした。
昨日までどこにでもある安物の椅子だったのに、たった一日で伝説の武器呼ばわりだ。
リザードマンたちが椅子というものを知らなければ、そりゃ奇妙な形状の武器に見えることもあるかもしれないが、
「まさか、この俺が伝説の勇者だったとはな……」
愕然とする俺にすかさず横からツッコミがはいる。
「どちらかというと、伝説の椅子とその持ち主だと思います」
俺はスラ子にうなずいて、
「まあ、そうだな」
「あ。意外と冷静ですね、マスター」
「当たり前だ。ノーミデス、連中に伝えてくれ。悪いが俺はそんなんじゃない。勘違いはやめてくれってな」
落ちこぼれの小物魔法使いが勇者だなんて笑い話だし、勝手に連中の伝説を押しつけられても困る。
「じゃろ!」
リザードマンの長が鋭い声をあげた。
「じゃうじゃろじゃ、じゃじゃっじゃろろっじゃうらじゃっじょあじゃ!」
とりあえず、声の調子で怒ってそうなことだけはわかった。
「なんだって?」
「間違いないって~。胸元に輝く光が勇者の証だぁ、ってー」
「光?」
見おろした胸元には淡い光。
「いや、これはそういうんじゃなくて」
いいながら袋からストロフライの鱗を取り出すと、
「じゅ、じゅおおおおお」
至近距離でそれを見た長があわてて平伏した。
その他のリザードマンも次々に地に伏せていく。それをぽかんと見ていると、
「マスター」
スラ子がこっそりささやいた。
「リザードマンさんたちにとって、竜って特別な存在なんじゃありませんでしたっけ」
「ああ、そういえば」
すっかり忘れていた。
確かに、リザードマンが竜を崇拝しているという話は聞いたことがある。
各地に生息するリザードマンたちが、そうした竜崇拝の文化をもっていることは実際に確認されていることだった。
理由はよくわかっていない。同じ爬虫類の頂点だと思っているのかもしれない。
つまり、竜の鱗をもった俺たちは、リザードマンたちにとって神の使いであり。
すなわち伝説の勇者ということに繋がる。
――あ。なんだかすごく面倒なことになりそうな予感がする。
「よし、帰ろう」
きびすを返しかけた踵をがしりと掴まれた。
振り返ると、平伏したまま手を伸ばしたリザードマンの長が地面から舐めるようにこちらを見上げている。
「じゅらしゃ。うじゅらりじゅらら」
「勇者さま。我らをお助けくださいぃ」
「だから、俺は勇者なんかじゃ――」
いい終えるまえに、周囲のリザードマンたちがずいと近づいてきた。
一見したら無表情にしか見えない蜥蜴人たちがいっせいに距離を近づけるのだから、そんなもの恐怖以外のなにものでもない。
「やめろ。怖いって。夢にでるから!」
「じゅらしゃ、うじゅらりじゅららじゅいらっ」
ずずいと長が一歩近づいた。
「勇者様、我らをおたすけください~っ」
「だから。俺はそんなんじゃ、」
ずずずいと、周囲のリザードマンたちが近寄る。
『じゅらしゃ、うじゅらりじゅららじゅいらっ!』
「ハモるな! 顔を近づけるな、目の前で舌をチラチラさせんな! わかった、わかったから! 話を聞くからとりあえず距離をあけてください、お願いだから!」
そのあまりの不気味な迫力に、俺はほとんど泣きそうになりながらリザードマンたちの話を聞くことを承諾させられたのだった。
◇
近くの岩穴に案内された俺たちは、そこでリザードマンたちから状況の説明を受けた。
ノーミデスの通訳を介して話されたのは、よくある魔物同士の抗争について。
この地下洞窟は、リザードマンたちの祖先が地上から移り住んできた場所らしい。
連中が元々地下の生活のためだけに適応した生物ではないことは、日の届かない地下に生きてまだ退化していない瞳などの肉体構造を見れば一目瞭然だ。
リザードマンという種族は、温湿な水場の近くを好んで生息する。
地上にも住む彼らの群れのひとつが地下に生活の場を移したのは、争いを避けたのか、あるいは敗れたのか。そのどちらかだろう。
身体的能力にすぐれ、知能も決して低くない。
無用な争いを避ける知恵を持っていたからこそ、彼らの祖先はこの洞窟にやってきてそこで一族を生きながらえさせた。
日の届かない地下はほとんどの資源に乏しい。
それでも集落の者全員で力をあわせ、大きな争いも起こさずに過ごしてきたリザードマンたちに問題が生じたのはつい最近のこと。
どこからか現れた新参の魔物たちが、彼らの領域を侵しているのだという。
「魚人族?」
リザードマンから聞かされたその敵対種族の名に、俺は意外な思いをおぼえた。
魚人族はやはり水場の近く、というかそのなかで生きる水棲生物だ。
社会性あり、知能高し。魔力に長けている者もいる。
だが、連中はあくまで水棲の魔物だ。
水気の近くに住むリザードマンたちと生態環境が近くはあるが、完全にバッティングしているわけではない。
そもそも魚人族も決して好戦的な種族などではない。
自分たちの生活領域を侵されて反抗するならともかく、自分たちから他の魔物の領域に攻め入るような印象はなかった。
「どういうことでしょう」
俺が感じた疑問を伝えると、スラ子たちも不思議そうに腕を組んだ。
「襲ってきている魚人族さんが、珍しく好戦的な集団なだけということもあるでしょうけれど」
「もしかして、魚人の人たちにもなにか理由があるんじゃ……。元いた場所を追われたとか、ダメかな」
「ですが、だからといって完全に生活スペースが被ってるわけじゃないリザードマンを追い払うような真似をする必要がありやすかねえ」
「そもそも、一方だけの主張を鵜呑みにすることも危険ですわ」
ルクレティアがいった。
「もしかすると、魚人族のほうでは自分たちがここに先住していたのだと認識しているのかもしれません。彼らにとって侵略者はリザードマンたちであり、それを今になってただ追い払っているだけだと」
認識のずれ。誤解、すれちがい。
「ありえる話だな」
「土地の争いなど、そういったものですわ。人間だろうと魔物だろうとたいした違いはございませんでしょう」
たしかに、リザードマンだけが正しいと思い込むのは危険だ。
中立に物事を判断したいのなら、情報は公正に集めなければならない。
「……仲介役なんて面倒なだけなんだけどな」
地下で起こっているかもしれない異変を調べにきたら、いつのまにか魔物同士の土地争いに巻き込まれる流れになってしまっている。
「でも、リザードマンさんたちは困ってらっしゃるみたいですよ?」
「困ってる相手がいたらボランティアしなきゃならない理由でもあるか? 俺は魔物だぞ」
半眼でいうと、スラ子はにっこりとしたまま、
「恩は売れます」
「ですわね」
ルクレティアが続いた。
「地上に住む私たちとはお隣さんです。困ったときはお互い様といいますし」
「ここでご主人様がうまく恩を着せてしまえば、リザードマン族を味方にひきいれることも可能ですわ。連中にとって竜が崇拝対象であり、我々がその使いだと思ってくれているのなら、相応に有利な関係を結ぶことも可能でしょう」
俺たちのなかでこういう話に長けているのはなんといってもスラ子とルクレティアの二人で、他の三人は俺の判断を待つようにじっと眼差しをこちらに向けている。
ほとんど他人事のノーミデスが眠そうに頭を揺らしているのを見ながら、考える。
スラ子やルクレティアの意見には必ずしも頷けない。
スラ子は時々なにを考えているかわからないし、ルクレティアにいたっては以前、はっきりと俺に洞窟周辺での勢力拡大をそそのかすようなことをいってきたことがある。
分を超えた行いは破滅を招くだけだ。
俺はただエキドナが残した言葉の意味を探りたいだけで――だが、今のままではほとんどわかっていないというのも確かだった。
エキドナはリザードマン族と魚人族の争いがあることを知っていたのだろうか。
そこに俺を仲介させようとした? だが、いったいなんのために。
あの蛇の目的を考えるためには必要な情報がたりなさすぎている。
知りたいなら、進むしかない。
だが、進んでから果たして戻ることができるか。
底なし沼に踏み入れた足のように、一度進んだらもう引き返すことはできないんじゃないか。
スラ子たちが俺を見つめている。
女たちの視線を感じながら、俺はあらためて物事の優先順位を再確認した。
エキドナの企みなんてものよりまず重要なのは、全員が無事なことだ。
スラ子、シィ、カーラ、ルクレティア、スケル。
誰一人だって危ない目にはあわせたくないし、俺はそのことを第一に考えないといけない。
今、リザードマンたちの頼みを断ったらどうなる。
関係が悪化するのは当然として、逆上して襲われないという保証はない。
リザードマンは好戦的ではないはずだが、自分たちが信じる竜の使いであると信じている、その頼れるべき相手が断ってきたとき、失望が敵意に変わるかもしれない。
しれない、かもしれないとばかり考えていてもしょうがないことはわかっている。
それでも優柔不断な俺が決断するのにはしばらくの時間を要して、
「ノーミデス」
うつらうつらとする土の精霊に呼びかけた。
「ね、寝てないよぉっ」
「聞いてないだろ。リザードマンたちに伝えてくれ」
「ん。なんて~?」
間延びした声にうなずいて、
「助力を引き受けよう。だが、まずは魚人族のほうからも話を聞いてみたい。向こうの連中がいる場所まで俺たちを案内してほしい。こう伝えてくれ」
そういった。




