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十一話 闇夜の闘い

「シィ、空から敵の数を数えろ! 森から出てきてる分だけでいい、カーラはいそいでルクレティアを起こしてきてくれ!」


 ぞっとする気分をおさえながら、指示をだす。


「すみません、マスター! ルクレティアさんのところにはマスターにいってきていただいてもいいでしょうかっ」  


 スラ子がいった。


「なんで俺だ!?」

「マスターが一番、戦力になりません!」

「なるほど!」


 的確すぎて反論のしようがない。


「わかった。戻ってくるまで牽制しておけっ。前にはでるなよ!」

「了解ですっ」

「はい!」

「わかりました――」


 空に駆けるシィの羽ばたきを見ながら、俺はいそいで宿屋に向かう。


 まさか本当にゴブリンが大挙して襲ってくるとは。

 しかも連中、見えた範囲だけでもちょっと農作物を荒らそうなんて数ではなかった。

 もっと本格的な、それこそ集落を潰そうっていうような襲撃だ。あれは。


「ルクレティア、起き――」

「ファイア」


 部屋の扉を蹴り破った瞬間、目の前に炎が舞った。


「熱っつう!?」

「……こんな場所で夜這いとはさすがの下種さですわ、ご主人様。別に貴方のようなお方に女を抱くときのエレガントさまでは求めておりませんけれど」

「あほか!」


 炎にあぶられかけた鼻の頭をおさえながら、


「ゴブリンたちだ! 大勢いる! 早く来いっ」

「――かしこまりました。少々お待ちください」


 落ち着いた口調で起き上がる。

 全員、すぐに行動できるように服は着たまま眠るようになっていたはずだが、


「なんで肌着なんだよ!」

「私、寝るときはいつもこうですの」


 やたら値のはりそうな薄い下着姿で平然と、ルクレティアは側にかけられたフードをまとう。


「さあ、参りましょう」

「フードの下に肌着とか、ただの露出狂じゃねえか」

「……なにかおっしゃいましたか、ご主人様」


 ルクレティアの声に、はっきりとした怒りがにじんだ。


「なんでもありません」

「けっこう。上に立つ者なら、吐かれる言葉にはお気をつけくださいませ」


 なんでそんな怒ってんだ。

 と文句をいう根性もないので、黙ったまま外に出る。


「起きなさい」


 ルクレティアの声に、建物の横に待機していたゴーレムがむくりと起き上がる。

 一応いっておくと、ゴーレムを外に置いたままにしておいたのは別に差別とかではなくて、建物の床を抜きそうだったからだ。


「敵の数はどれほどですか」

「わからん。今、シィに空から見てもらってる。が、多い。ただ荒らしに来たとかじゃないぞ、あれは」

「そうですか。私が先ほどさんざん追い回してあげたので、仕返しにやってきたのかもしれませんわね」

「……なにやったんだよ?」

「二、三体ほど、こんがりと全身を丸焦げにしただけです。森のなかにお仲間がいたようなので、焼きあがったものを近くに投げ込んであげましたわ」


 思わず、その場に足をとめかけた。


「完全にお前のせいじゃねえか!」

「まんまと挑発にのってくれたのなら、むしろ好都合というものですわ」


 ――ああ、駄目だ。こいつ。

 とことん自分勝手すぎる。他人の迷惑とか度外視だ。


「ですから、お礼はもうしあげませんといったでしょう」


 そうかいそうかい。

 ちょっと手伝ってやろうとした俺が馬鹿だったよ。


「……俺たちで手に負えなくなったらどうするつもりだったんだ」 

「ご安心ください。ご主人様は、私の命にかえても必ず守ってさしあげますので」


 冷ややかな笑みにもうなにをいう気にもなれず、俺は黙ってスラ子たちのもとへ急いだ。


 スラ子とカーラの二人は見張り場所から下がり、建物の陰に隠れるようにしていた。


「マスター、弓を持っている相手がいます!」

「わかった、顔を出すなよ。――ルクレティア」

「かしこまりました」


 みなまでいわずとも承知したルクレティアの意思に呼応して、ゴーレムがのっしのっしと歩き出す。


「ライト」


 その頭部が、魔法の灯りを受けて明るく輝きだした。

 暗闇のなかではっきりと目立つゴーレムに向かって、周囲から奇声と、なにか鋭く空を切る音がする。弓矢の音。


「……矢の数は、そう多くはないか?」

「そのようですわね」

「――マスター」


 声とともに、シィが目の前に降り立つ。


「どうだった」

「灯りの数だけで、十。森にはもっといるかも、です」

「多いな。どうする?」


 全員が松明を持っているわけでもないだろうし、そうだとしたって二倍差近い数になる。

 ちらりとスラ子を見ると、スラ子はあっさりと、


「こういった集団戦に、私たちの誰も慣れていません。ルクレティアさんにはなにかお考えはありますか?」

「……よろしいのですか?」


 指名されたことを少し意外そうにルクレティアがいう。


「意見を聞くだけだ。いってみろ」

「かしこまりました」


 一瞬だけ考え込んで、


「では、相手の数は多いですが、烏合の衆です。野良ゴブリンの集団に軍隊のような統制があるはずもありません。数を減らせばすぐに撤退するでしょう。問題は」

「弓、ですね。闇から射られたらこちらには相手の場所もわかりません」

「そのとおりですわ」


 スラ子の言葉にうなずいた。


「こちらの基本行動はゴーレムを盾にして遠距離から魔法で数を減らす。気をつけるべきは弓の射手のみです。シィさん、空から弓矢の敵を見つけて無力化、あるいは合図を送ってくださいますか。私とスラ子さんでその敵から優先的に撃破。その後、他のゴブリンへ。敵が引き始めたらあまり深追いせぬほどに掃討。という形ではいかがでしょう」


 誰も文句をいう者はいない。


「俺はどうしてたらいい」

「呼吸だけしてじっとしていてくださいませ」

「……」


 いや、いいんだけどな。


「ボクは?」

「カーラさんには、ご主人様の護衛をお願いできますかしら」 


 二人の視線が絡みあう。


「――わかった」


 カーラがうなずくのに、ほっと俺のほうが肩をなでおろしていた。


「敵の攻撃はあくまでゴーレムに受けさせるように。シィさんは上空から、私とスラ子さんで主攻、カーラさんが護衛と予備戦力。以上が私の作戦になりますが、いかがでしょうか」


 いかがでしょうといわれても、それが正しいかどうか判断がつかない。

 俺はスラ子を見た。


「問題ないと思います」


 なら決定だ。

 一瞬、ルクレティアが冷ややかな眼差しを浮かべたのがわかったが、俺は自分の能力なんかよりスラ子の優秀さのほうをよほど信じている。恥ずかしくなんかなかった。


「みんな、怪我するなよ。シィ、弓矢が狙ってくるかもしれないから気をつけろ」


 家の陰に隠れればいい俺たちと違って、空には隠れるところがない。

 シィがこくりとうなずく。


 周囲では、ゴブリンたちのあげる奇声がいよいよ激しくなってきていた。

 頭を光らせるゴーレムに近寄ってきて、がつんがつんと一撃を加えているのも何匹かいる。


「よし。――いってこい、お前たち」


『いってまいります、マスター』


 それぞれの返事を残して、三人が散った。



「ファイアサークル!」


 ルクレティアの魔法が地面に円形の軌跡を描き、ついで円柱の炎となってゴーレムとすぐそばのゴブリン数匹を燃え上がらせた。

 ゴーレムは火傷しないとはいえ、自分の使役している相手ごとひどいことをするもんだ。


「――っ! っ!?」


 ゴブリンたちの殺気が魔法の使い手を探すが、もちろん魔法を唱えてそのままに留まっているはずがない。

 ルクレティアの姿を探しているゴブリンたちに、別の方向から声が響く。


「アイスランス!」


 飛来した氷の槍がゴブリンを串刺しにする。

 断末魔の声。そして、味方の死を悲しみ嘆く、あるいは怒りの声。


 しかし、ゴブリンの声ってのはいつ聞いても耳に響くな。

 アカデミーではゴブリン語の講義もあったが、俺は履修してないのでなにをいってるかは理解できない。まあ、怨嗟の言葉なんて理解できないほうが幸せだ。


 仲間が立て続けにやられたせいか、それともルクレティアのやったことがよほど頭に据えかねたのか、ゴブリンたちは単純な力攻めでやってこようとしている。


 スラ子とルクレティアは物陰に隠れていて姿が見えないから、どうしたって敵の注意はゴーレムに向かう。

 手にした得物を振り上げてゴーレムの耐久を削りにこようとする、そこを狙うようにスラ子とルクレティアの魔法が容赦なく打ち倒していく。


 ゴブリンたちの怖さはまずその数の暴力だが、今回のようにそれがただの各個撃破になっている状況なら恐ろしくはない。

 危険なのはスラ子やルクレティアの攻撃だけでは追いつかないほど大量のゴブリンが迫ってくる飽和攻撃だが、それもどうやらなさそうだ。


 さっきから、弓矢が飛び交う様子もない。シィがうまくやってくれたのだろう。


 ――なんとかなりそうだ。


 建物の陰からこっそり戦況を確かめながら、俺は安堵の息を吐いた。

 横をうかがうと、身を寄せたカーラの肩が震えている。


「大丈夫か」

「……ちょっと、緊張して」


 少し離れた場所の焚火の灯りを受けた表情が強張っている。

 まただ。ついさっきも見たようなカーラの様子に、俺は今度こそ違和感を見過ごせずに、じっとボーイッシュな魔物の少女を凝視した。


「マスター、なにか?」

「いや。いざというときは、頼む。俺は一対一じゃゴブリンにだって負けるかもしらん。カーラが頼みだ」


 俺がいうと、


「はい。任せてください」


 カーラは嬉しそうに微笑んだ。

 これでよかったのだろうか。とりあえず、声色だけでも少しはよくなったように思えた。


「集落の人たち、でてこないですね」


 寝静まった周囲を見ながらカーラがいう。


「ああ。なかには起きてる人間もいるかもしれんが、出てこられてもな。家のなかでじっとしてくれてたほうがこっちも助かる」


 スラ子やシィの姿を見られたら面倒なことになる。

 そう思いながら、俺もなんとはなしに集落の様子をうかがってみて、


「!」


 ぎょっと身をすくめた。

 スラ子たちが戦っているのとはまったくの反対側、森手ではない方にある小屋の前の闇に、濃くなにかの人影が見える。


 人影。たしかに人型だ。

 ――ただし、ほとんど小屋と同じくらいの大きさの。


「マスター、あれ……」


 カーラの声がわずかに震えている。


「トロルだと? なんでこんなときに」


 信じたくない気分で俺は吐き捨てた。

 闇のなかではっきりとした姿は見えないが、間違いない。


 毛むくじゃらの巨人。

 怪力で、肉食。ほとんど単体で生活して、人や獣、他の魔物を襲って流浪する中級魔物。それがトロルだ。


 知性はゴブリンよりも低いくらいだが、それでも中級のカテゴリーに位置されるのはその驚異的な戦闘能力が要因だった。

 大の大人の二倍近い高さから振り下ろされる一撃をまともに受けて、無事ですむやつはいない。


 そして、それと同じくらいやっかいなのが再生能力だ。

 多少の傷くらい瞬く間に癒えてしまうその細胞の活性力と、その再生に力を使うために常に腹を減らしているような凶暴性。


 当然、話し合いなんてできるわけがない。

 まず間違いなく、人間が平野で出会いたくない魔物トップファイブにはいる魔物だ。


 そのトロルがなんでこんなところにいる?

 ただの偶然か、それともゴブリンたちと連携をとっているとでも?

 そんなことより、今はとにかくあの魔物をどうする――


 トロルが目の前の家屋に手を伸ばした。

 ぐらりと家全体がかしぐ。めきめきと支柱からきしみ、なかから住人の悲鳴があがる。


「マスター!」


 カーラの声を聞きながら、俺は背後の戦況を確認する。


 スラ子やルクレティアが戦っている声が聞こえている。

 まだゴブリンたちは退いてはいない。今の状況で三人からの援護は期待できない。


「あいつの相手は、俺たちしかいないらしい。……いけるか?」

「はいっ」


 そうか。いけちゃうかー。

 まっすぐに俺を見つめる視線に、怖いから放っておこうともいいだせず、俺は顔をしかめて湧き上がる自分の弱気と戦う。


 ――少なくとも、後ろでの優勢が決定的になるまで、俺たちでトロルの気をひきつけておかないといけない。


 そんなことできるか?

 無理だ。すくなくとも、一人じゃ。


 そして、目の前にはまるで信頼しきった眼差しでこちらを見る相手がいる。


「いくぞ。……悪い、前衛は頼む」

「了解です」


 カーラが大きくうなずいた。 



「ライト!」


 大きく声をはりあげ、魔法の灯りを打ち出す。

 声の目的はもちろん気をひくため、そして生み出された魔法の灯りはそのままトロルに向かっていって、


「――」


 うるさそうにこちらを見た、トロルの容貌があらわになった。


 ほとんど裸の巨体。

 日中なら緑色のはずのその身体は、今は闇がにじんだように暗い。

 手にはなにも持っていない。だが、その両腕を振り回されるだけでこちらには容易に致命傷になりえる。


「カーラ。目的は時間稼ぎだ。スラ子たちがやってきてくれるのを待つ。いいな」


 拳が武器のカーラは近距離戦しかできない。

 そしてトロルを相手にするなんていうのは、少し前まで駆け出しの冒険者をやっていたような人間にはあまりにも荷が重すぎる。


「絶対に無茶はするな。いいな」

「……はい、マスター」


 返事をして、カーラがゆっくりとトロルに向かっていく。


 俺は黙ったまま、もう一つの灯りを今度は空へと高く打ちだした。

 今度のはスラ子たちへの合図になる。

 これで向こうが片づき次第、こちらになにか起こったことに気づいてくれるはずだった。


 続いて腰の袋から小さな包みをとりだす。

 そのなかにあるのは前に洞窟で使った、シィの羽から採取した鱗粉。

 それ自体が高い魔力をもつ結晶粉が、使いようによっては戦闘でも役に立つことはすでに実証済みだ。


 俺の魔法力は弱い。泣きたくなるくらい弱い。

 こんな小細工でもなければ、トロル相手に注意をひくことだってできないだろう。


 俺の目の前では、じりじりとカーラがトロルとの距離をつめている。

 感情のうかがえない眼差しでそれを見ていたトロルが、のそりと手をかけていた家屋から離れ、


「――!」


 咆哮とともに、振りかぶった。


 まだ遠い。

 普通の相手なら拳が届くはずがない。が――


「よけろ!」


 俺がいうまでもなく、カーラは動き出していた。

 十分すぎる距離をはかって後方に飛ぶ。


「くっ!」


 その寸前を、トロルの太い腕が振りぬけていった。


 やっぱり、あの腕はやばい。

 スピードはさすがに鈍重だが、間合いをはかるのだって楽じゃない。


 近づけない。

 ――なら、隙をつくるまでだ。


「カーラ、いけ――」


 いいながら、俺は手にもった小包をトロルに投げつける。

 ひょろひょろ、ぺしん、とまったくのダメージゼロで剛毛につつまれた巨体にぶつかった瞬間、


「ファイア!」


 爆発が起きた。

 カーラのときのように払われて中身が散らばっていたわけではない、包みのなかに密集していた状態での着火に、強い燃焼反応がトロルを襲う。


 炎と、爆風。それから轟音に体勢が崩れる。

 そこを突くようにカーラが迫る。


「はああああ!」


 気合の声。

 踏み出された足が体重を乗せ、打ち出された拳が正確にトロルの脇腹を突き、


「――――」


 トロルの巨体はびくりともしなかった。


「!」


 振り払われた豪腕がカーラの小柄な身体を吹き飛ばす。


「カーラ!」


 馬車にはねられたように飛ばされて、カーラはそのまま動かない。

 あわてて駆け寄ろうとして、


「こないで!」


 声に、その場に縫いとめられた。

 ゆっくりとカーラが起き上がる。


「カーラ、さがれ! 牽制だけでいいんだ!」


 カーラとトロルでは相性が悪すぎる。

 俺たちはスラ子たちがやってくるまでの時間稼ぎができればそれでよかった。


「こないで、ください……」


 振り返らず、カーラはまるで俺の声が聞こえないようにつぶやく。

 その足元はふらふらとおぼつかない。

 意識だってもうろうとしているのかもしれない。声だって、


「マスター。こな、いで――」


 ざわりと肌が総毛だった。


 いったいなんだといぶかしんで、すぐに思い知る。

 俺の場所からは背中しか見えない、小さな後ろ姿から放たれる気配に既視感のようなものをおぼえて、息をのんだ。


 さっきまでふらついていたカーラは、今はもうしっかりと立っている。

 ぴくりともせず、力をたくわえるように身体を縮めている。


 いや、よくみればカーラは自分の身体を抱いて、小刻みに震えていた。

 その前兆を俺は前に経験したことがある――


 目の前の状況に戸惑うように、トロルが腕を振り上げ、そのままの体勢でしばし停止して、


「――!」


 迷いをふっきるように振り下ろす。

 その腕を、


「!」


 カーラが片腕だけであっさりと払いのけた。


 痛みに顔をしかめたトロルが後退する。

 その表情に、恐れにも似たものが浮かんでいるのが見えた。


 トロルの視線が向いている先にいるのはもちろん、俺の前に立つ小柄な魔物の少女であり、


「あああああああああああああ!」


 凶戦士の雄たけびが、その場に大きく轟いた。




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