32.キラキラが眩しかった
ファヴの姿は刻一刻と犬、あるいは狼の様相を濃くしていく。
ネネユノはあらためて懐中時計を両手で包み、瞳を閉じた。体内の魔力を感じて、両手に集めて。
「“戻れ”」
詠唱とともに目を開け、ファヴを見据える。
ネネユノにとって、今までに感じたことのない感覚であった。
彼女の目の前に大きな魔法陣が浮かび上がり、そこから放出された魔力が青白い光の奔流となってファヴを包み込む。それどころか、魔法陣を中心に眩い光がフロアいっぱいに放たれたかのようにも見えた。
相対する大きなゴブリンが狼狽して後ずさりする。
「なん……だァ? 今の魔力は」
フロアの遠くのほうからクローの声がした。
光はすぐに収まったが、大ゴブリンは状況を飲み込めていないようだ。シパシパと大きな目を瞬かせながら、目の前の人間を見つめている。目の前の人間、ファヴ・ファレスを。
「よくやった、ユノ」
真っ黒な剛毛ではないサラサラのプラチナブロンドが揺れ、ファヴの剣が閃く。
「ギョオアアア!」
大ゴブリンの胸には斜めに大きな傷が走り、深緑色の血が流れ落ちていく。しかし敵はタイミング良く上半身を後ろに傾け、致命傷を避けたらしい。さらに体勢を戻す反動を利用しながら棍棒を振り下ろした。
「ファヴ!」
「こっちは気にするな。クローのほうを手伝ってやれ」
大ゴブリンの攻撃を半身で避けながらファヴが叫ぶ。
団長がそう言うなら指示に従うまでだ。彼の指示が間違っていたことはないのだから。
ネネユノがその場を離れようとしたとき、小さいけれどもハッキリと、大ゴブリンに語り掛けるファヴの声が聞こえた。
「ガキの頃は一度も勝てなかったが、あなたの動きは覚えてる。今、楽にしてやろう」
まさか知り合いなのか。
ファヴの言葉を聞いて、ネネユノは驚くよりも先に、新興ダンジョンで出会った弓使いのゴブリンを思い出す。
「楽に……?」
アカロンパーティーのアーチャーは、ネネユノに対していつも見下すような物言いをする、高圧的な女性である。だが一方で、彼女だけがネネユノの治癒に対して礼を言ってくれた。
だからあのゴブリンがアーチャーだったと知って以来、ネネユノの心の隅っこは魚の小骨が刺さったみたいにチクチクしていたのだが。
今やっと少し心が軽くなった気がした。
下手くそなスキップでクローのもとへ向かうと、なんと先ほどよりもさらに雑魚が増えている。
ゴブリンだけではない。蠕虫みたいな不快感の強いものから、コウモリ様の羽を生やした小悪魔までいるのだ。
その全ての敵意をシャロンがひとりで集め、戦っていた。
「ねぇ、アタシの怪我治ってるんだけどー! 愛してるユノちゃん!」
「えっ、あっ、そっそれはよかった!」
「でもゴブリンの傷も治ってるッ! それはダメ!」
「嘘ぉ? ごめんんん!」
先ほどのネネユノはファヴをヒトに戻すことしか頭になかった。
さらに集中の賜物か、不思議と魔力を淀みなく放つことができていた。だから必要量を越えて漏れ出た魔力が広範囲に影響を及ぼしたのだろう……とは思う、のだが。
ゴブリンも治ったと言われれば謝るしかない。
「クロー、手伝うことは?」
「エリンちゃんの修復!」
チラっとクローの足元に落ちたピンク色の本を確認する。
ナイフで貫かれたはずの穴はもう見当たらない。
「直ってる!」
「ヨシッ! ……んじゃ、大技ぶっ放すからシャロンを見ててくれ。なるべく避けるようにするけど、怪我したら治してやって」
「それって味方も巻き込む系っ?」
目を丸くしたネネユノには答えず、クローは両足を広げて杖を構える。
「“切り刻め”」
クローには珍しい、掠れるほど低い声だ。
詠唱と同時に強い風が吹いた。ヒョーと高い音をたててネネユノの髪を乱したその風は、次の瞬間、クローが命じた通りに魔物たちを切り刻んでいく。
インビジブルフロッグとの戦いでも見せた風刃の魔術だ。が、あのときよりも刃の数が各段に多く、さらに広範囲に飛び回っている。
シャロンは目の前で起こる凄惨な状況にも動じることなく、瀕死の魔物の息の根を止めていく。さらに逃げ出そうとする魔物へ分銅鎖を投げ、その足を封じた。
確かにクローの攻撃はシャロンを避けてはいるが、全くの無傷というわけではない。ネネユノはシャロンの白い肌に傷がつくたび、ひとつひとつ治していく。
それから数分後、ネネユノは魔物のすっかりいなくなったフロアの隅で、シャロンに頭から水を浴びせていた。
「ねぇ、あのぐちゃぐちゃにする魔法やめてくれないっ?」
「手っ取り早いんだもーん」
「アタシだけ汚れるし痛いし! ほんっと信じられない!」
「だって雑魚多すぎだったろ。狭いとこで炎系の魔法はあんまり連発できねぇんだもん」
「わかるけど!」
ふたりの会話にネネユノが首を傾げていると、ファヴが「空気が薄くなる」と教えてくれた。なるほど。
それにしたって、シャロンの怒りはごもっともである。
話題を逸らそうとしてか、クローはファヴへ水を向けた。
「ファヴが相手してたデカいの、ゲートキーパーか?」
「わからない。少なくとも鍵は持っていなかった」
ダンジョンにはフロアボスというのが各層に1体ずついる。強いが、一度倒してしまえば復活しないという特徴がある。
中でも最下層のフロアボスがダンジョン全体の最後のボスである。このラスボスを倒せばダンジョンを全層攻略したことになる。のだが、ラスボスの生息域に至るには鍵を持つゲートキーパーを倒す必要がある。
偉い存在には守衛がいる、というのは人間も魔物も同じなのだろう。
「あっ。金貨だすごい! こっちはルビー!」
ネネユノは雑魚が落としたお金や宝石、いい感じのアイテムなどを拾い集めることにした。お金は大事だ。特にゴブリンはヒカリモノを集める習性があるため、実入りが大きい。
ホクホクとお金を拾ってまわるネネユノに、シャロンが呆れたように肩をすくめた。
「ほんっとにお金好きね、あの子」
「それな。……お。ユノちゃん、こっちに指輪が落ちてんぞ」
「指輪! それ私のです。さっき落としちゃったの」
「ほーん? ん、内側に何か書いて――古代語か?」
「見ちゃだめー! ママの形見なんです。人に見せちゃ駄目って言われてるから駄目です」
クローの手から指輪を奪い取って、右手の中指に嵌める。
今後は外れないように気を付けようと心で誓い、再びお金を拾いに戻った。風刃がかなり範囲の広い魔術だったためか、思いもよらないところに雑魚の死体がある。見逃さないようにしなければ。
一方、ファヴはネームタグを拾い集め、袋にまとめて自分のカバンに放り込んだ。
「このフロアは特に罠が多かった。魔物も元人間ばかりだ。複数の呪いにかかって解呪する間もなく……といったところだろう」
「こりゃ次の層が恐ろしいな」
「次の層なんてない、です」
ネネユノは他の3人から少し離れたところで、そう答えた。
彼女はフロアの隅に大きな扉を見つけたのだ。ダンジョンの中にあって鍵穴のついた扉といえば、ラスボスの生息域に違いない。
全員がネネユノのところに集まって、扉を確認する。見上げるほどの大きな扉の向こうからは、冷え冷えとした空気が流れてくるように感じられた。
「確かに……ここは最下層だったようだ」
「ゲートキーパー、いないわね」
「鍵がそこに落ちている。少なくとも、先人たちの中にはこの扉の向こうに到達した者がいたということだ」
一行は、休憩をとってから扉の向こうを目指すこととなった。




