表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/74

63話 脱出

「おい!オークが来るぞ!早く逃げろ!はやーく!!!!」

 集合住宅の廊下で男が大声で叫んでいる。その声が扉越しにくぐもって聞こえる。さらに、大勢の人間が廊下を走る靴音がどたどたと響く。

 グレンは急いで手荷物をまとめ、フーシェとともに逃げ出す準備をしていた。もとより大した持ち物はない。荷造りはすぐに済んだ。

(…フーシェ、行くよ!準備はいい?…)グレンは念話で話しかけた。

(…準備できたよ…)

 フーシェは頭にスカーフをぐるぐる巻きにし、頭頂部に突き出た耳をすっかり隠していた。オークと獣人族が街を襲い、人々が人外種族に敏感になっている今、フーシェの正体は隠しておいた方がいいとグレンは思った。



 グレンは背嚢一つ分にまとめた着替えと食料、なけなしの財産を背負い、フーシェの手を引きながら部屋を出た。

「早くしろーーーっ!!!!」

 廊下ではまだ中年の男が叫び続けている。この集合住宅の大家だ。大家はグレンたちに目を留めると言った。

「急げ!もうすぐ来るぞ!この廊下をそっちに行った先のバルコニーに浮揚艇が停めてある。あんたらも早くそれに乗るんだ!みんなが逃げたことを確認したら俺もすぐに行く!」

「ありがとう!」


 大家の言う通り、集合住宅のバルコニーに浮揚艇が係留されていた。しかし、それは荷物運搬用の軽浮揚艇にすぎなかった。その荷台に住人達が溢れんばかりにすし詰めになっている。グレンたちもわずかな隙間に身を押し込んだ。これまでほとんど会話したことさえない集合住宅の隣人たち。彼らは皆、着の身着のままといった風情で、恐怖に震えながら浮揚艇の発進を待っていた。

 昨夜、獣人たちの暴動が起きた時も、この集合住宅ではいつもと同じ日常が続いていた。所詮、王都中心部繁華街での騒動、自分たちが住むこの下町には関係のない話だと人々はたかをくくっていた。

 しかし、今日の午後にオークたちの襲撃が始まるに及んで、ついに平穏な日常を維持することは不可能となった。窓から見える空には幾本も黒煙の柱が立ち上り、風に乗って煙の臭いと人々の悲鳴が届いてきた。それはどんどんこの建物に近づいてくるようであった。そしてついに、奴らの喊声までもが聞こえ始めた。


「……おい!何してる!早く出せよ!」荷台に座る初老の男が苛立ち、操縦座に向かって声を荒げた。

「そうよ!何してんのよ!早くしなさいよ!」それに女が同調した。

「みんな、あと少し待ってちょうだい!主人が来たら出ます!」

 操縦座から答えたのは落ち着いた雰囲気の中年の女性だった。大家の妻だ。


「お、おい!あれを見ろ!」運転台で若い男が下を指さして言った。

「……来た」

 バルコニーの十階くらい下でこの集合住宅に繋がる空中歩道の上を、オークの一団が進んでいた。人数は五十人程度。棍棒や鉈など、雑多な武器をがちゃつかせながら歩いてくる。その全身は返り血にまみれて汚れていた。

 そのうちの数人が、この浮揚艇を指さして何か言った。仲間同士で短く相談し合った後、奴らはこの新たな獲物めがけて一斉に駆け出した。

「おい!見つかったぞ!こっちに来るぞ!」

「早く出してよ!お願い!」

「……待って!主人はもうすぐ来るはずなの!もう少しだけ!お願い!」

「頼む!早く出してくれ!このままだと殺される!」


 グレンも内心で焦っていたその時、フーシェが荷台からひらりと飛び降りた。

「フーシェ!何やってんだ!早く戻れ!」グレンは愕然として叫んだ。

 フーシェはまっすぐグレンを見つめると、思念を送った。

(…あの人を探してくる。きっと困ってる。グレンは待ってて…)

 そう言うと、フーシェはバルコニーから集合住宅の中へと消えた。

「……くそっ!」

 このまま座って待っていられる訳がないだろう。グレンも荷台から飛び降りるとフーシェの後を追った。


 大家はすぐに見つかった。

 寝たきりの老人を背負い、さらに足の不自由な老女の手を引きながら、階段を登ってくるところだった。

「急いでください!オークどもがこの建物に入ってきました」グレンは言った。

 グレンとフーシェは大家から老人と老女を受け取ると、それぞれ一人ずつ背負って廊下を急いだ。二人はこれでも森で修業を積んだエルフと、野獣の身体能力を持った娘だ。並の人間の男よりも体力はあった。

「あんたら、本当に助かったよ。ありがとう」大家は走りながらしきりに二人に感謝した。


 バルコニーに着いたら、もう浮揚艇の姿は影も形もないだろう。グレンはそんな光景を予感していたが、予感に反して浮揚艇はまだそこに待っていた。荷台では怒気をはらんだ眼つきで住人達が彼らを見ていた。

「待たせたな!これで全員だ!急いで発進してくれ!」大家が操縦座につく妻に言った。

 大家の妻は「浮揚の呪法」を発動し、艇を空中に浮かばせた。

 次の瞬間、バルコニーにオークたちが飛び出してきた。

 悔しがって地団駄を踏むオークたちを眼下に見下ろしながら、浮揚艇は高層建築の間を加速していった。



 飛び立って数分後、荷台に密集する集合住宅の隣人たちは、ようやく安堵の息をついた。周囲の空中には、この艇と同じように王都から避難しようとする浮揚艇や飛行車の群れが並んで飛んでいた。背後の王都中心部の空は煙で暗く陰り、火災が広がっているようだった。

「この街もこれで終わりなのかね……」

「いや、そんな訳ねぇだろ。脱出した国王が地方軍を結集して、デリオンを奪還してくれるはずさ。そうなりゃ奴らは終わりさ」

「だといいんだが……」


 グレンは眼下を流れゆく景色を眺めながら、荷台で二人の男が会話するのを聞くともなしに聞いていた。その時だった。彼らの上に影が差した。

 見上げると、まるで鯨のような巨体が浮かんでいた。輸送船だ。遠い異国から鉱石を運搬してきた船だった。いつしか周囲は王都郊外に広がる重工業地帯となっていたが、その上に全長数百メートルの巨船は黒々とした巨大な影を投げかけていた。

 グレンは輸送船の様子に違和感を覚えた。着陸するでもなく、飛び去るでもなく、ただ空中を漂い、風に流されているように見える。それに心なしか、機体の姿勢が傾いているような気もする……。

「あっ……」

 よく見ると、船体上部の乗組員用のスペースに小型の浮揚艇が横付けされていた。いや、むしろ衝突してめり込んでいると言った方が適切か。目を凝らすと、その周囲にいくつも血痕らしき赤い染みが見える。そしてキャットウォーク上を小さな人影が走り回っている。それはどう見ても乗組員には見えなかった。

「まさかあの船、オークに乗っ取られたのか?」

 後先考えず船を乗っ取ったものの、オークどもは船を操縦できないようだった。


 輸送船の船体の傾きはますます激しくなり、ついには空中で逆立ちするような体勢となった。輸送船は高度を下げ続け、ついにはその鼻面が地面を擦り始めた。ここまで離れていても、地上の工場が破壊される轟音、輸送船の船体がひしゃげる金属の悲鳴が耳に届いた。船体の裂け目から、液状または粉末状の物質が漏れ出している。

 その時、雲間から射しこんだ日射しが、スポットライトのように巨船の横腹に書かれた積載内容物を示す巨大な文字を照らし出した。

「テトラヒドロミスリル酸カリウム、フッ化ミスリル、五硫化ミスリル……」

 いずれも高い爆発性、腐蝕性、有害性を持ったミスリル化合物ばかりだった。

「やばいぞ……」

 輸送船と地上との衝突の摩擦で火花が飛んだ瞬間、強烈な紫色の閃光が走った。


「きゃあああああ!!!!!」

「うわああああ」

 軽浮揚艇の荷台の住人達が悲鳴をあげた。

 鼓膜を吹き飛ばすような凄まじい爆発音とともに輸送船は粉々に吹き飛び、巨大な火の玉が膨れ上がった。しかしそれで終わりではなかった。積載されていた劇物が立て続けに誘爆し、さらに巨大な爆発が何度も何度も繰り返し起きた。衝撃波が発生し、グレンたちの乗った浮揚艇は木の葉のように吹き飛ばされ、地面に叩き落とされた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ