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幸せな日々の空白  作者: 一天草莽


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09 何もない村

 私は異様な建物の前で立ち止まっていた。周囲を色のない高い塀で囲まれていて、それは一言で表すのなら、まるで監獄であった。

 いや、きっとそうに違いない。

 張り詰めた独特の雰囲気や近寄りがたい威圧感が、私にそれを確信させていた。


「中に入れるだろうか?」


 外観からすれば簡単には入れそうになかったが、とりあえず入り口を探すだけ探してみようと思い、塀に沿って歩く。

 しばらく歩いていると大きな扉のようなものが目に入り、ここがきっと入り口に違いないと見当を付けた。


「すみません! 誰かいませんか!」


 こんなことを叫んだって無意味なんじゃないかとも思う。中にも外にも、いわゆる人の気配というものが感じられなかったからだ。

 しばらく待ってみても何の反応もなく、このまま立っていても仕方がないと、私はあきらめて帰ろうと振り返った。

 だがその時、意外にも扉は開いて、見慣れない中年の男性が顔を出した。


「……何か?」


 その声は濁っていて、得体の知れない訪問者である私を不審がっているようであった。

 それも当然だ。なにしろ、こんなところへは人も滅多に来ないだろうから。


「あの、すみません。ここはなんですか?」


 大体の見当はついているが、だからといって確定された情報ではない。

 ならばはっきりさせるのが良策だろう。


「ここは監獄だよ」


 返ってきた答えは私が思った通りだった。


「あの、この中に入れませんか?」


 変わり果てた町に誕生した監獄の中に誰が閉じ込められているのか確認してみたかったが、ここの管理人らしい彼はめんどくさそうに言う。


「入りたい? 何か犯罪でもしたのかね」


「いえ、できれば中にいる人と話がしたくて」


 もちろん、これは今ここで思いついた即席の言い訳だ。

 この中に誰がいるのかなんて、そもそも知らないのだから。


「ああ、そうかい。おかしなことをしないと約束するなら、入ってもいいぞ」


「ありがとうございます」


 私は頭を下げながら、管理人の彼に導かれるように中へ入った。これはきっと正式な手続きのない例外的な対応なのだろうから、幸運だと言わざるを得ないだろう。

 高い壁の内側には、広い中庭と、それを取り巻く無骨な大きい建物があった。おそらくその建物の中に誰かいるのだろうけれど、ここに来て私は思い出したことがある。

 それは、ここにいるのが囚人であるということだ。

 監獄なのだから囚人がいるのは当たり前なのだが、別に私は犯罪者たちと雑談がしたいわけではない。それでもここから出て行こうと思い直さなかったのは、とある考えがあったからでもある。

 もしかしたら、あのときの「悪い人」が捕まっているのかもしれない。

 もしそうであるなら、あの冬の日、彼がイルに何を言って何をしたのか、はっきりと問いただしたかった。

 そういう考えが頭の中で繰り返されると、ためらう気持ちはきれいさっぱりなくなって、一刻も早く建物の中へと入りたいと思うようになる。

 そして足早に入ると、人の気配を探して歩き回った。

 探し始めて五分と経たないうちに、ある牢の前で私は足を止めた。

 そこに入っていたのは悪い人ではない。

 ひどい人らと呼ばれていた、あの部外者追放隊だった。


「誰だ……」


 すぐに面影を見出した私とは違い、すっかり覇気がなくなっている彼らは私の正体に気が付かないようだった。


「いや、別に……」


 牢の中に閉じ込められている五人全員の目が私に集中すると、なんだか耐えられなくなって、早くこの場を立ち去りたいと思った。


「おい、待て! お、お前は!」


 けれど、逃げるために振り返ろうとした瞬間にはもう、私のことを思い出す人間がいた。

 だから私は足を止めることを余儀なくされた。


「五年前の少年か」


「……はい」


 ごまかそうと思えば適当な嘘をついてでも逃げ出すことは出来たはずなのに、私には何故かそれが出来なかった。


「やっぱりお前か!」


 五人の中の一人が突然、声を荒げて鉄格子に手をかけた。

 カッと目を見開いて、見るからに怒りをあらわにしている。

 殴りかからんばかりの彼の言動がきっかけとなったのか、今までけだるそうに座り込んでいた残りの四人も勢いよく立ち上がると、私に威圧的な視線を向けてきた。


「なぜ、あなたたちがここに?」


 そんな彼らの気持ちの高ぶりを収めるために、丁寧な口調で私はやんわりと尋ねた。

 けれど、この質問は禁句だったようだ。


「お前だ! お前がすべて悪いんだ!」


「そうだ、そうだ! お前だ!」


 私と彼らの間には頑丈な鉄格子があるはずなのに、それでも身の危険を感じた。

 それほどまでに彼らの私に対する憎しみは深かった。


「な、なぜです?」


 八つ当たりじみた言いがかりならば、やめて欲しかった。

 彼らが知っているであろう、この五年の真相が知りたかった。


「お前が、お前たち部外者の存在が、この町を変えちまったんだろうが……」


 言いながら、涙とともにあふれ出る悔しさで彼は泣き崩れる。

 それを見る私は身動きが取れなくなってしまった。


「そうだ。だから部外者は追放しなければなかったんだ」


 嗚咽を吐いて泣き崩れた男の代わりに、すっかりやせ細った男がそう言った。

 それはまるで、五年前までの自分たちの行動を正当化しようとしているかのようだった。


「たとえそうだとしても、あなたたちのやり方はひどかった」


 それは町の人々にも周知の事実で、だからこそ、ひどい人らと呼ばれていたのだ。

 それをわかっていながら、自分たちだけが絶対に正しかったと言い切るのはどういうわけだろう。


「今の町の状況のほうが、よっぽどひどいだろう!」


 顔を真っ赤にして大声で叫ばれると、反射的に身構えてしまう。

 すぐには何も言い返すことが出来ず、委縮して無言のままうつむいた。


「何もかも変わっちまって、もう後戻りできねえんだよ!」


 彼らは口々に叫ぶ。私はなお黙る。

 それはきっと、私自身のほうでも、愛すべき町が変わってしまっていたことに悲しさを覚えていたからだ。


「それもこれも、お前が町に来たからなんだ!」


 繰り返される暴言に対して、いつの間にか私は言い返す術を忘れていた。

 最初のころはそんなはずないとあしらっていたのだが、いつの間にやら、その可能性を否定できなくなっていたのかもしれない。


「一つ、聞いてもいいですか?」


 不安になったからだろうか、私は荒れ狂う彼らに恐る恐る声をかけた。


「なんだよ」


 にらみつけられてしまったが、それでも聞いてみるしかないのだ。


「私以外には、この町を変えてしまった原因となる人物はいなかったのですか?」


 質問している私には、一人だけ想像がついていた。

 あの悪い人と呼ばれていた男こそが、私以上に町を変えてしまった原因と言われてもいいのではないだろうか。


「確かに、いた」


 彼らもそれを認めてはくれるようだった。

 認めざるを得ない、ということかもしれないけれど。


「それはおそらく、あの悪い人でしょう?」


 ほとんど確信を持った問いかけを受けて、彼らは言葉なくうつむいた。

 いまいちしっくりこない彼らの反応に反感を覚えた私は首をかしげる。


「だが、お前も同罪だ」


 どうやら彼らは私を許す気などないようだ。

 私を糾弾する声に微塵の迷いも感じられない。


「私は……」


 あくまでも無実だと、彼らの前でそう証明したかったけれど、今の私には、そんなことできるわけがなかった。

 無慈悲に牢に入れられた彼らにしてみれば、以前あれほど敵視していた私が自由の身でいることが耐えられなかっただろう。

 そう考えれば、どうしたって許されることはないのかもしれない。


「どうせ我々のことを高笑いするために戻ってきたんだろう!」


「そんなことありませんよ」


 苛立ちを隠さない彼らを前にして、私は何とか誤解を解こうと努力する。


「じゃあ、お前は何をするためにこんな牢獄にまできたんだ!」


 彼らにそう聞かれて初めて、私は本来の目的を思い出した。


「あなたたちに、謝りに来ました」


 こうやって頭を下げたところで、もはや何もかも遅すぎるのかもしれない。

 けれど、彼らがそこまで必死になって守ろうとしたものが、今の私には痛いほど理解できていたつもりだったから、かつての私が彼らを頭ごなしに否定し続けたことを謝りたいと思えた。


「お前に謝られたって何も変わらないんだよ!」


 しかし私のその思いは、彼らの悲痛な叫びに打ち消された。


「お前も町を変えてしまった部外者の一員であることは違いない! お前の顔を見ることすら、もう我慢ならない! 出て行け! 今すぐこの町から出て行け!」


「そ、そんな……」


「やっぱりお前は、お前こそ牢屋に入れられるべきだったんだ! ちくしょう! この野郎がすべてを台無しにしちまった!」


 彼らは口々に叫び始め、私はたまらず後ずさりする。


「帰れ! そのまま出て行って、もう二度と戻ってくるな!」


 いつまでも止まらないその声に、とうとう私はここから立ち去る決心を固めた。

 悔しいけれど、私にはもう、逃げ出すことしかできなかった。





 牢獄の外に飛び出すと、私はついに当てもなく走り出した。

 この世界のどこかに、きっとまだ私の居場所があるはずだと信じて。

 だからだろうか、私はいつからか、変わってしまった町の中心部とは反対の方向を目指して進んでいた。

 何時間が経過したのかは知らない。日は大きく傾き、辺りはだんだんと薄暗くなっていた。この辺りはもう町の面影もなく、ただひっそりと世界が休んでいた。

 時代の喧騒を離れて、日中から草木も眠るような寂しげな道を、どこという明確な目的地もなく、ただひたすらに歩き続ける。疲労などもはや感じなくなっていて、ほとんど思考を放棄した上の空の精神状態だったのかもしれない。


「どうしたんだい?」


 右も左もわからず茫然自失にさまよいつつあった私は不意に声をかけられた。

 どうやら気づかないうちに小さな村にたどり着いたようだ。


「いえ、あの、ここは?」


 ぼんやりとしたまま、私は声をかけてきた男性に問い返した。

 この辺りがどういう場所なのか何も知らなかったし、もはや旅人ではなく放浪者でしかない私を受け入れてくれるかどうかも心配だった。


「ここかい?」


 問われた男性は考え込む。私は変わってしまった町を思い出して、ここが金持ちの占有する閑静な別荘地ではないかと思った。

 ならば、問答無用で追い出されてしまうかもしれない。

 その覚悟だけはしておこう。


「ここは村だ。何もない、小さな村だ」


「何もない、村……」


 何もない!

 この村に何もないと聞いて、私はどれほど嬉しかったことだろう。

 今やもう誰もわかってはくれないだろうが、何もない幸せ、私はきっとそれを求め続けていたのかもしれなかった。


「そうだ。だから、こんな村は早く出て行ったほうがいい」


「いえ、そんな! ……あの、できれば僕は、この村に泊まりたいのですが」


「そうか、この村にね。まあ、かまわないよ」


 彼はそう言うと、無警戒に私を手招きして歩き出す。判断能力が低下している私はそのまま彼の後についていく。すると、案内された先は宿でもなく彼の暮らす家だったようで、私はそこで寝食を恵まれることになった。

 名もない小さな村。

 世話になる代わりに、村人たちの手伝いをしながら数日を過ごしているうちに、かつての町のような穏やかなる雰囲気に包まれている村だと知ることが出来た。

 ここは名もない小さな村。

 大きく変貌した町と、それに伴って変わってしまった人々から取り残されて、変わることなく細々と暮らしている人々の村。

 だから、ああ、心が弱っていた私には、どこよりも居心地がよく感じられた。





 それから数年が経過して、私はすっかりこの村に落ち着いた。

 あれから町の人々とも何度か会いはしたが、昔のように親しくはなれなかった。悲しいけれど、本質がどうあれ、一度変わったものは容易には元に戻らないようだった。

 本音を言えば、私はみんなに昔のことを思い出して欲しいと願った。

 けれど、みんなは昔よりも今のほうが幸せだと言うのだ。根っこのところでは一人ひとりが孤独で、大きな不安を抱え込んでいるにしても。

 私にはもう、すべてが後戻りの出来ない方向へと進んでいるのだと感じた。

 そんなこともあって、私はこの何もない村で、何をするでもなく、ただ一人静かに余生までを暮らすことに決めている。だから、私の特別な経験はここまでだ。

 これからの人生において何も変わったことなど一つも起こらないだろうし、ちっぽけな私が世界を変えていくこともできない。

 けれども、たとえ人々が楽しかった日々を忘れても、多くの人を踏み台にして一部の人間だけが富み栄えて権力を振るうことになっても、誰も彼もがお金や立身出世だけが人生における成功だと信じるようになっても、いつまでも私はこの村でずっと変化のない日々を送っていくだろう。

 しかし、そんな平凡なる暮らしこそ、これまでの人生で私が手に入れたかったものだと思うのだ。

 それこそが私にとっての幸せだと思えるのだ。

 そうイルに教えられたのだと思うのだ。

 この、名前もなき平穏なる幸せに。

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