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番外編 →はい、買い物をします



 

 ――数年後。

 わたしはシリルと一緒に、どこか緊張した面持ちである店の前に立っていた。


「アンジェ、大丈夫?」


 新しい命を授かって少しずつ膨らんできたお腹に手を添えていると、上からシリルもそっと優しく撫でてくれる。


「無理して行かなくてもいいんじゃない?」

「ううん、約束だから」


 振り仰いだ先のシリルは優しい目をしていた。笑いかけると、シリルも安心させるように笑い返してくれる。


「アンジェがそういうなら、俺もついていくよ」


 安心させるように肩に移された温もりに後押しされて、重厚な扉に手をかける。

 カランカランと、耳に心地よいベルの音が響いた。


「いらっしゃいませ」


 落ち着いた女の人の声に出迎えられる。思わず視線を揺らして仰いだ先のシリルは、すぐに笑顔でわたしの代わりに用件を話してくれる。


「あの、すみません」


 振り返った店員さん。ダークブロンドの髪は学院のときと違って、今は低い位置に結わえられている。


「こちらでは妊娠したときのゆったりめの服なんかを取り扱っているって聞いたんですが、おいてますか?」


 店員さんはわたしを見て、顔を綻ばせた。


「まぁ、もしかして奥様は……!」

「そうなんです、先日わかりまして」

「それはおめでとうございます!」


 そう言ってにこやかに笑った女性には、多分に見覚えがあった。

 ロクサーヌ・レニエ。……いや、今はイヴァン・ヴィクトルと結婚してヴィクトル姓を名乗っている彼女は、相変わらずまん丸なお目々に美しいというよりもかわいらしい雰囲気、それに大人になってより一層の気丈さを漂わせている。

 ロクサーヌはイヴァンと結婚したあとも自分の店を持つという夢に向かって努力して、そしてとうとうこのお店を持つまでになった。ヴィクトル商会からの提携を受けながらも、彼女は今夢に向かって一人でこのお店を切り盛りしている。


「あの……失礼ですが、シリル・アルトワさんですよね」


 名前を覚えられていたことにシリルが目を丸くすると、ロクサーヌはくすくすと笑う。


「あ、いえ、突然すみません。あたしもラルジュクレール学院に通っていたことがあって、そのときに仲良くしてくれていた友人からあなたのことを聞いていたから……」


 ロクサーヌは視線を伏せた。


「その子……一回だけ手紙の返事をくれたっきり、それきり消息断っちゃって……随分と白状な奴ですよ。今はどこでなにしてるんでしょうね」


 まるで独り言のように小さな声でぼやいたロクサーヌは、とりなすように首を振ってわたしに向き合った。


「それで、奥様はどのようなお洋服がお好みで……」


 ロクサーヌは途中で言いよどんだきり、呆気にとられたようにわたしの顔を眺め始めた。いつまで経ってもなにも言わないもんだから、しれっとした顔で促してみる。


「あの……?」

「あっ……いえ、失礼いたしました」


 ロクサーヌは慌てて「少々お待ちくださいね」とバックヤードに戻っていく。

 ロクサーヌのいない店内で、シリルが囁いてきた。


「本当に君がアンジェだって彼女に伝えなくていいの?」

「いいよ、言わなくて」


 本当はアンジェとしてこの店に来たかった。ロクサーヌ、待たせてごめんと、あなたの第一号の客として、今度こそロクサーヌに見繕ってもらったものを買いに来たよと言えたらどんなによかっただろう。

 でもわたしは結局ロクサーヌに事情を話すのを躊躇った。シリルたちには運良く信じてもらうことができたし、実際にアンナ・クロスの家族の反応を見たから隊長だって信じざるを得なかった。

 でも今のロクサーヌにわたしがアンジェですと名乗ってみたところでどうだろうか。どう考えても信じてもらえそうにない。冷やかしか、過去の中傷か、そんなふうに悪意だと捉えられてもおかしくない。

 それに今のお店で働いているロクサーヌを遠目から見て思ったのだ。せっかく立ち直ったロクサーヌを変に刺激したくない。あのときの絶望に自嘲するロクサーヌの記憶を、わたしというトリガーで引き起こしたくはなかった。

 だからわたしはロクサーヌには届かなくても、それでもいつかの約束は果たしたいと、こうして正体を隠してロクサーヌのお店を訪れたのだ。


「でも彼女は君に会いたそうに見えたけど」

「だからといって、今のわたしがアンジェですなんて言ったってそうそう信じてもらえるわけないよ」


 なにせ、隊長だって欠片も信じずにあの国まで強制退国させたくらいだからな。


「お待たせしました」


 そうこうしていると、やっとロクサーヌが戻ってきた。その手に抱えられた大量の品物に、シリルがギョッと目を剝く。


「こっ……この量はっ!?」


 青白くなって慌てているシリルを尻目に、ロクサーヌは一旦店の外に出てドアにクローズの看板をかけた。それから数えきれないほどの大量の品物を黙々と店中に広げ出している。


「あ……あの、ロクサーヌさん……さすがに俺の給料じゃこんなに沢山おすすめされても買えないんですけど……」

「優待割引ですよ」


 ロクサーヌは振り返りもせず、淡々と言った。


「学院にまだいたとき、あの子だけがあたしの家に遊びに来てくれました。そのとき約束したんです。いつかあたしが店を持てたらまた買いに来てくれるって。そのときのあいつ、図々しくも優待割引しろなんて言ってさ……これは、そのときのためにずっと見繕っていた品物なんですけど、」


 ロクサーヌが振り向いた。鋭い視線がわたしを直視する。


「ずっと待ってたよ」


 なにも言えずに息の止まったわたしを、じっとロクサーヌが見つめている。


「ロ……ロクサーヌさん……?」


 シリルが戸惑ったように声を出すと、ロクサーヌの鋭い視線はふいと離れていった。


「……いつまでも仕舞い込んでいたってどうにもならないから、今日は在庫処分品として特別優遇割引します。品質はどれも特上ですよ、保証します。好きなだけ持っていってください」


「ゆっくり選んでくださいね」とロクサーヌは笑って、またバックヤードへと引っ込んでいった。

 ホッと一息ついたわたしに、シリルがぎこちない顔で振り返ってくる。


「アンジェ、これどれも値札ついてないよ」


 見渡せば日常で使いやすそうなワンピースから、どこに着ていくんだと突っ込みたくなるような豪奢なドレスまでピンからキリまで色々な品が飾られている。そのどれもが思わずほしくなるような、絶妙にわたしのツボをついた品物で、久しぶりのショッピングに否応なくテンションが上がった。


「え〜!? どれにしよう〜! 迷うぅ〜!」

「どれにしようって、ちょっと待ってよ、これ値札ついてないって!」

「えーと、これとこれと、これとこれも……」

「アンジェー!」


 引き留めようとするシリルを尻目に、次々と品物を選んでいく。さすがロクサーヌが見繕っただけあって、どれもこれも捨てがたい。山盛りいっぱい手に抱えたわたしに、シリルは青い顔で肩を落とした。


「いや……まぁ、アンジェがこんなにも物を欲しがるなんてこともないから、今回ぐらい頑張るか……」


 財布の中身を見ながら戦々恐々としているシリルの様子に、さすがに選ぶ手を止める。


「……わかってるよ。ごめんって、シリル。さすがに金額がとんでもなさそうだったら諦めるから」

「くっ……!」


 シリルは悩ましい顔になった。


「でもせっかくアンジェが欲しいって言ったのに、その希望すら叶えられないなんて俺、なんて甲斐性のない夫なんだ……」


 大方次にあったときにエドガーからチクチク攻撃されるのを想像したのだろう。エドガーのことだから自分なら全て買ってあげられたのになんて、高給取り特有のマウントまでしてきかねない。

 二人であれこれとこのくらいだったら買えるかなと、ついてない値札のせいで頭の中で必死に算段をつけていると、奥から再びロクサーヌが出てきた。


「あら? それだけでいいんですか?」


 ロクサーヌはにっこり笑って、わたしの手にあれもこれもと押し付けてきた。


「こちらもおすすめですよ。こちらのワンピースは綿素材だけどよく伸びるように布の織り方を工夫してますから、少々おてんばにかけ回られても丈夫です。これはローヒールのパンプスで伸びのいい革を使ってますから、妊娠中でも履きやすいですよ。それからこのバッグは……」


 ロクサーヌは淀みなく商品の特徴を説明しながら、ほぼ全品をわたしの手に押し付けていく。シリルが真っ青な顔のままガタガタと震え始めたので、さすがに申し訳なくなってわたしはロクサーヌの手を止めた。


「あの、さすがにこれ以上はもう主人の気力も財布の中身も限界ですので……」

「本当にもういいんですか?」


 ロクサーヌはさらさらっと領収書に金額を書くと、シリルに突き付けた。


「……え?」


 その金額にシリルと二人、目を疑う。


「今日は在庫処分の特別優遇割引と言ったでしょう。ここにあるものをどれだけ買ってもぽっきりこれだけ! にしておきますよ。ただし次回からの買い物は通常割引にはさせてもらいますけどね!」


 そこまでロクサーヌは言い切ると、ふぅとため息を吐いた。


「……あたしからの出産祝いということで、どうか受け取ってください、シリルさん」

「そ……それはどうもありがとう。嬉しいけど……けど本当にこんなにいいの? これじゃあまるで……」


 ほぼ利益もない。プレゼントのようなものだ。

 シリルの言いたいことを察してか、ロクサーヌは首を振った。


「いいんです。……これは元々、あの子にしか売る気がないものでしたから。いつまで経っても取りに来ないあの子が悪いんですよ。こっちは随分前から店を構えてずっと待ってるっていうのに、連絡もなしにどこをほっつき歩いてんだか!」


 最後のほうはまるでわたしに言ってきているみたいで、わたしは苦笑いするしかなかった。


「ベビー用品も取り揃えておきますから、またお腹が大きくなったらぜひ見に来てください」

「ええ、それはもう」


 ロクサーヌはすべての品物を家に送ってくれると言って、私の手から選んだ商品を受け取った。


「今後ともぜひご贔屓に」


 こんなに大盤振る舞いされたのなら、行かないわけにはいかないだろう。

 シリルと二人、おっかなびっくり店を出ると、後ろからそっと声をかけられた。


「……次はちゃんとさ、話しかけてよ」


 聞こえてきた声に振り向くと、ロクサーヌはにっこりと商売用の笑顔を貼り付けて手を振っていた。

 それに手を振り返して、再び前を向く。

 ……いつかは、勇気を出して話しかけられるだろうか。

 ずっと友だちだと思ってるって言ったあの言葉、ウソじゃないって。ロクサーヌの第一号の客として、やっと開店祝いに駆けつけることができたよと、いつかはシリルとお腹のこの子と一緒に打ち明けることができたらいいなと、高い空を見上げて願った。









これで完結とさせていただきたいと思います。

ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!

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