→はい、話します
「……よし!」
突然見守っていたジーク隊長が手を叩いて、大きな声を出した。
それにビクリと驚いて体を離す。
「無事にシリルとも再会できてめでたしめでたしとなったところで、改めてみんなでアンジェの歓迎会でもするか!」
ジーク隊長の口から出たと思えない提案にあんくりと口を開けると、コゼットちゃんが綻ぶような笑顔を浮かべて喜んだ。
「いいね! せっかくみんなで集まったんだから、久しぶりにわいわいしよっか!」
「そうですね、どうせこのあとシリルに独占されるのですから、今のうちにアンジェと話しておきたいです」
にっこりと笑ったエドガーに、シリルが一人肩を落とす。
「みんなさぁ……せっかくアンジェと再会できたんだから、少しは空気を読んでよ……」
「よりにもよって、今日この日に女と出歩いていたおまえが悪い」
ジーク隊長はズバッとシリルを斬った。
「あんな不安そうなアンジェは久しぶりに見たぞ。さすがに可哀想になった」
「ジーク……そうだね」
コゼットちゃんの憐れむような目に、シリルは余計にショックを受けた顔になった。
「ということでアンジェ、他の女性にうつつを抜かしているシリルなんか放っておいて、私たちはさっさと行きましょうか」
「エドガー! 言い方にトゲがありすぎ! 何一つ事実じゃないから!」
エドガーはうっとりと微笑んで、わたしの手をとった。
「エドガー? 聞いてる!?」
仕返しとばかりにエドガーの手をとって、隊長とコゼットちゃんのうしろについて歩き出したわたしに、焦ったようなシリルの声が追いかけてきた。
いつもの市場で買い出しして、それから隊長とコゼットちゃんのおうちにみんなでお邪魔して、ワインやらチーズやらピザやら広げに広げてみんなと今までの経緯やらわたしがここに来た経緯やら聞いたり話したりしていると、いつの間にかもう夜になっていた。
大分酔いの回った頭でぼんやりと今日のことを考える。
「ねえ、シリル」
こっちも同じくぽーっとした目つきでわたしを見つめていたシリルに話しかけると、彼はぴくりと体を動かした。
「そういえば今日ってさ、わたしを偲ぶためにみんなで集まる予定の日だったと思うんだけど、なんでそんな日に女の人と連れ立って歩いていたのかなぁー?」
途端に、場がシィンと静まった。今までぺちゃくちゃお喋りしていたコゼットちゃんも、静かに相槌を打っていた隊長も、それに横槍を入れていたエドガーも、みんな話を止めてシリルを見ている。
「えっ……」
シリルは戸惑ったような声を出した。
「そうだよ」
据わった目の隊長が同意するように鋭い声を出した。
「おまえなんで俺たちとの約束の日にあんな女と連れ立って歩いてたんだ?」
「それは……」
「そうですよ、アンジェがそれをどんな気持ちで見ていたか……」
エドガーは悲しげに視線を伏せると、ワイングラス片手に大人っぽく微笑みかけてきた。
「アンジェ、心配ならやっぱり私にしときませんか。私だったら他の女性に触れられませんので、シリルみたいにフラフラすることもないですよ」
「だから俺はフラフラしてないって!」
必死に弁明するシリルなんてどこ吹く風で、エドガーはアルコールが入ってスイッチが入ったのか、みんなの前でわたしを口説き始めた。
「考えたら私のこれってすごい愛じゃないですか? 私がこうして気軽に話せるのも、触れられるのも、すべてアンジェだけなんですよ? その点シリルは誰にだってヘラヘラできるでしょう。それってよく考えたら不公平ですよね。誰でもいいシリルはどなたにでもいってもらって、アンジェしか触れられない私にアンジェを譲るべきだと思いませんか?」
「誰でもよくないしヘラヘラしてないから!」
酔っ払ったエドガーはたちが悪いらしい。大人の微笑みでチクチク攻撃されて、シリルはすでに虫の息だ。
涙目で集中攻撃を受けるシリルはかわいそうだが、だからといってさっきの質問をうやむやにされては困る。
「で? なんでよりにもよってわたしのための日に女の人といたのかなぁー……シリルくんは?」
にっこりと笑顔を向けて聞くと、気のせいかシリルの顔が青褪めた。
「そっ……それは……」
「浮気でしょう?」
「ちょっとエドガーは黙ってて!」
ふてくされたエドガーは放置したまま、シリルは必死に言い募った。
「それは俺だって最初は用事があるから今日は無理だって断ったんだよ!? でもフラヴィさんがどうしても今日、カップル限定の幻の食べ放題があるって聞かなくて……それにもしも抜け駆けでエドガーがアンジェを連れて来ていたらどうするって言い出して、そう言われたらその可能性が頭から離れなくなって……」
今度はみんなの視線がエドガーに向けられた。
「……もしかして、私が抜け駆けでアンジェとこっそり会っているんじゃないかって疑っていたんですか」
シリルがためらいもなく頷くと、エドガーははぁ〜っと深いため息をついた。
「そんな、私たちももう長い付き合いになるというのに、まさか疑われていただなんて……」
ひどい話ですよね、とエドガーは周りに同意を求めようとしたが、誰も頷かなかった。
「あー…たしかに言われたら、エドガーならそれくらい平気な顔してやってそうだな」
やけに神妙に頷く隊長に。
「そうだね、エドガーならシリルに黙ってるかも」
うんうんと頷くコゼットちゃん。
「現にさっきも黙って連れて行こうとしてたよね?」
おまけに白い目のシリルに集中砲火を浴びて、エドガーの体裁は脆くも崩れ去った。
「……ええ、そうですよ。どうせみんなわかっていたと思いますけど、そうでもしなければ私はシリルには勝てませんから。最初からアンジェを先に見つけたらこっそりと匿うつもりでしたよ!」
何気にさらっと恐ろしいことを口走って、やけになったのかエドガーはグラスのワインをぐいっと一気飲みした。
「もう少しで上手くいくところでしたのに。変なところでシリルは目聡いんですから」
「おかげで無事にアンジェと会えて心底ホッとしたよ!」
呆れたようにシリルが叫ぶ。仲がいいのか悪いのかわからないような言い合いはそれからもとめどなく続いて、わたしはどこか学院のころのわちゃわちゃな毎日を思い出していた。
大分お酒も進んで夜も更けたころ。
エドガーはソファでうたた寝し、コゼットちゃんは隊長と後片付けをしている。わたしも手伝おうとしたら、「今日はアンジェちゃんとの再会を祝う日なんだから座ってて」と優しく言われてしまった。たぶんシリルと二人で話す機会を作ってくれたんだろう。
だからわたしはシリルを誘って、コゼットちゃんちのお庭に出た。
こじんまりとした庭は、室内からの灯りにぼんやりと照らされている。そばに備えつけられている木のベンチに座ると、隣にシリルも腰かけてくる。
なんか、やっと二人きりになって、でもなにを話したらいいのかわからなくて、なかなか言葉がでなかった。
シリルはさっきからずっと見つめてくる。その視線がどこか気恥ずかしくて、ごまかすように夜空を見上げていた。
「やっと二人きりでゆっくり話せるね」
シリルは視線を取り戻すように手を握ってきて、そう微笑んだ。ギョッとして振り向くと、シリルの曖昧な柔らかいヘーゼルの目が一心に注がれている。
「う……うん」
どことなくぎこちないわたしに、シリルが少し訝しそうに表情を顰めた。
「アンジェ?」
「……っていうか、よくわたしのことアンジェだって信じられたね?」
シリルだけでなく、コゼットちゃんも隊長もエドガーも、よくぞここまで信じてくれたものだ。
「ああ、そりゃあね。ずっと探してたから」
納得したようにシリルは笑って、ぎゅっと手を握り締めてきた。
「それに自分でも不思議なんだけど、アンジェの顔を見たらすぐにわかったんだ。顔も姿も違うけど、なんというか雰囲気というか話し方というか、存在そのものがアンジェのままで、まるでアンジェがそこに戻ってきたかのようだった」
ふんわりと笑うシリルは、あのころのシリルのままだった。あまりにもシリルがシリルのままだったので、まるで学院にいたときあの時間に戻ったかのように感じる。
「顔が違って違和感とか感じないの?」
「あの人はアンナ・クロスだって、もう散々思い知ったから」
シリルは眉を下げて悲しそうに笑った。
「それにどうしてかな、アンジェに会ったらこっちがアンジェだって言われなくてもしっくり来たんだ。まるで昔からこの姿がアンジェだったみたいに、すんなり信じられた」
初めて会ったアンナ・クロスの姿を思い出して、シリルの言っていることもなんとなくわかる気がした。
存在が希薄で、声が小さくて多くを語らないアンナ・クロスはわたしとは正反対の人物だ。中身が違うとこうも別人に見えるものかと我ながら感心したもんな。学院のときにレオナール殿下やエドガーがしきりに不思議がっていたのも今ならわかる。まるで別人のようにっていうか、事実別人だったから。
「眩しい太陽みたいな笑顔も、はちゃめちゃに元気なところも、それでも時々壊れそうに脆く見えるところも、アンジェは昔と変わってないね」
シリルの柔らかな笑顔を見つめる。
「シリルも変わってないね、って言おうと思ったけど、やっぱり大人になったね」
大きな手。大人になって少し落ち着いた声音。学院のときよりも頑丈になった背丈。見上げた顔にはあのころの一途なまっすぐさだけでない。長年わたしを探し続けてきた忍耐や疲れがにじみ出ている。
「シリル」
そっと彼のほうに体を寄せる。
「ずっと待っててくれてありがとう」
シリルもそっと体を寄せてくる。くっついた肩と肩は温かい。握られた手をぎゅっと握り返すと、シリルは今日初めて安心したように笑った。
「今度こそわたしが幸せにしてあげるからね」
「アンジェに会えただけでもう充分幸せだよ」
今度は幸せにしたからっていなくならないでよ。
その言葉に頷きを返すと、寄せられる顔に目を閉じて、身を委ねた。




