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→はい、もう一度がんばります

 

 気づいたら、近世ヨーロッパを彷彿とさせる素敵な街並みの中に座り込んでいた。

 ここ、見覚えがある。最後にお世話になっていた街だ。大広場の銅像前。シリルとコゼットちゃんと再会したときに待ち合わせした場所。

 邪魔そうに通り過ぎていった通行人の視線を感じて、慌てて立ち上がって膝の埃を叩く。

 ――なんで隊長の国?

 まず思ったのがそれだった。

 わたしが会いに来たのは間違ってもジーク隊長じゃない。コゼットちゃんと両想いになった隊長なんかなんの興味もない。

 せいぜい末永くお幸せにとヤジを飛ばして、二人の馴れ初めなんか聞いて囃し立ててからかうくらいしか用はない。


「うっそ〜ここから? えっ? なんで?」


 言っちゃあ悪いけど身一つで世界を渡ったわたしに、路銀も糧食もなにもない。あのときは隊長に無理やり船に乗せられてこの国に来ただけだし。


「マジか〜……まさかこのパターン……」


 頭を抱えて蹲っていると、女の人の優しい声がかけられた。


「あの……どうかしましたか? お困りですか?」


 顔を上げて見上げた先。

 ピンクブロンドの透き通るような真っ直ぐな髪、甘く滴るようなピンクグレープフルーツ色の瞳。鮮やかな色彩がひしめく街のなかでも、目立つ美人っぷり。


「コゼットちゃんっ!?」


 思わずそう呼びかけて、目の前の美人の眉間にシワが寄ったのに慌てる。

 そうだ、コゼットちゃんは“アンナ・クロス”の体の中に入っていたわたししか知らない。今この体で話しかけたところでわたしってわかるわけないんだ……!


「……もしかして……あの、どこかでお会いしたことがありましたか?」


 不審な女に馴れ馴れしく話しかけられて、コゼットちゃんの表情が警戒したように険しくなる。

 しまった、いけない、このまま悪手を打てばまた、隊長のときみたいに誤解されたまま状況が悪化する未来しか見えない。

 どう立ち回ったら疑われずに信じてもらえるだろうか。


「おい、どうした?」


 誤魔化し笑いを浮かべながらワタワタとそんなことを考えていると、後ろから懐かしささえ感じる鋭い声がかけられた。


「あっ……!? 隊長!!」


 そこにいたのは懐かしのジーク隊長だった。……なぜか隊長もコゼットちゃんも、大人になっていた。

 しかし隊長、大人になってもなーんにも変わっていないな。

 いや、細かく言えば研ぎ澄まされた陰険さにさらに磨きがかかっていたりとか、今にも殺されそうな目つきの悪さに磨きがかかっていたりとか、隊長もそれなりに大人にはなってはいたんだけど、それでも隊長は驚くほどに隊長だった。

 その姿のあまりの懐かしさに思わず頬が緩んで、その油断に慌てて口を抑える。

 だからどうしてこんなに学習能力がないんだろうな、わたしは。まーた不審者扱いされて今度はこの国を追い出されでもしたらたまらない。いやこの場合、追い出されてシリルの国に行けたらそれはそれでラッキーなのか?

 やたら馴れ馴れしい態度を見せる不審な女に隊長はしばらくコゼットちゃんと顔を合わせて、なんか目配せで会話していた。

 以前の隊長だったら不審者に対しては即拒絶・全無視くらい当たり前だったのに、随分とおとなしい対応になったものだ。そんなことを考えていると、唐突に隊長に話しかけられた。


「ちょっと質問なんだが、」


 なんとなく躊躇いがちに話す隊長が珍しく、目を見開いて見上げる。なんだか隊長は珍しい表情をしていた。なんとなく期待するような、懐かしいものを見るような、少しだけ不安なような。


「おまえ、俺に対していったいいくつ一生のお願いをしてきたか覚えているか?」

「そんなの覚えてるわけないじゃないですか」


 なんの意図があるのかわからず、戸惑いながら答える。


「なんてったって数え切れないくらいしてきたんですから」

「おまえ、やっぱり“黒須アンナ”だな……!」


 途端に隊長は相好を崩して笑いかけてきた。

 初めて向けられた笑顔に不覚にも見とれる。隊長の笑顔を初めて見たけど、まさかこんな顔で笑うとは思わなかった。なんだその顔……安心したような、ちょっと泣きそうな顔。


「もう何年も音沙汰一つなかったもんだから、おまえはとっくにこっちのことは忘れたもんだと思っていたよ……なんにしろ、ずっと心配させやがって……!」


 隊長はぽかんと呆けているわたしを置いてきぼりにバンバンと痛いくらいにわたしの肩を叩いた。


「えっ……てか、なんでわたしってわかったんですか」

「そうだね……なんでだろうね……。でもなんでかアンジェちゃんだってわかったの。だってアンジェちゃんそのものだったもの!」


 間髪おかずにコゼットちゃんに抱きしめられた。柔らかい腕にふんわりと包み込まれ、ピンクブロンドの長い髪が頬をくすぐる。なんとも言えないいい香りが漂ってきて胸いっぱいに吸い込むと、ちょっと変態くさかったのか隊長に白い目で見られた。


「わたしの名前を呼ぶ声……アンジェちゃんで……」


 コゼットちゃんの声は少し震えていた。その華奢な肩に隊長がそっと手を置く。


「アンジェちゃん、また会えて嬉しい」


 コゼットちゃんが躰を離してにっこりと微笑む。


「わたしも、コゼットちゃん」


 やっぱり乙女ゲームの主人公、その風格を備えた天使の笑顔は、さすが暗い過去に閉ざされた隣国の王子の心を溶かしただけあって、あまりにも眩しくて暖かかった。








 一発でわたしを見つけてくれたコゼットちゃんはこれから職場に戻るという隊長と別れて、わたしをコゼットちゃんちへと連れて行ってくれた。

 隊長と二人で住んでいるというそこは、素敵な庭のついたおしゃれな一軒家だった。


「自分のおうちみたいに寛いでていいからね」


 コゼットちゃんに案内されたソファに座り、お茶を淹れてくれるコゼットちゃんを目で追う。コゼットちゃんはじつに手際よく用意すると、テーブルにお茶菓子と共に置いてくれて、目の前のソファに座り直した。


「ありがとう」


 改めて目の前の大人コゼットちゃんをまじまじと眺める。

 長かったピンクブロンドの髪はさらに伸び、滴るように甘いピンクグレープフルーツのような瞳は清純さだけでなく、どこか大人の成熟さを帯びている。そうやって視線を上げて初めて、わたしはコゼットちゃんのほうが身長が高いことに気づいた。


「……ふふっ」


 突然コゼットちゃんが笑い出したので、おっかなびっくり見上げる。「ごめんね」と笑いながら慌てて謝って、コゼットは甘い瞳を懐かしそうに細めた。


「なんだか……アンジェちゃんって本当はこんな姿だったんだなって。新鮮っていうのかな、うん、ちょっと不思議な感じがする。だって姿形はまったく別の人なのに、仕草や雰囲気なんかはアンジェちゃんそのままなんだもの」


 学院のころが懐かしいね、そう呟いたコゼットちゃんに、わたしは聞こうと思っていたことを思い出した。


「コゼットちゃんは今は隊長の元で働いているの?」

「どうしてそれを?」


 びっくりしたように見開かれたコゼットちゃんの目の奥に、少し警戒するような色があったので、慌てて言い訳する。


「実はね、自分の世界に帰ったあともコゼットちゃんたちのことを知る手段があったんだ」


 スマホのことをなんて説明すればいいのか。ともかく向こうの世界に戻ってからコゼットちゃんたちのその後を知って、もう一度こっちに戻ってこれるかもしれないチャンスに一も二もなく飛びついた、とそこまでをざっくり説明する。


「そうなんだ……」


 今度こそシリルを幸せにするためにこの世界に戻ってきたと聞いて、コゼットちゃんはしばらく考え込んだあと、スッと目を閉じてふーっと細く長い息を吐いた。


「アンジェちゃん、今だから言えることなんだけどね」


 学院にいたときには見たこともないような表情で、気持ち視線を逸らしながらコゼットちゃんは呟くようにいった。


「ジークはね、もしもアンジェちゃんがシリルと会えずに自分の世界に帰れなかったら、責任を取ってアンジェちゃんの生涯の面倒をみるつもりだったの。たぶんアンジェちゃんさえ許せば、生涯のパートナーにだってなるつもりだったと思うわ」


 そんなまさか、と笑い飛ばそうとしたわたしを、コゼットちゃんの静かな視線が止めた。


「本当に今だから言えることだけれど、それくらいアンジェちゃんはジークの心の中に入り込んでたんだよ」


 あまりにも真剣なコゼットちゃんの顔に、まるで射竦められたかのように茶化すこともできない。


「アンジェちゃんはね、ジークの心に触れた初めての人なの。あのころのジークにとって、アンジェちゃんだけが唯一裏表なく接してくれた人で、唯一なにを取り繕わなくても接することのできる人だった」


 わたしを見ているコゼットちゃんの目が笑ってないことに気づいて、固まる。そんなわたしをコゼットちゃんはしばらく見つめていたけど、やがてまたふふっと笑った。


「だけどそうやってアンジェちゃんがジークの心の扉を開いてくれたおかげで、今のわたしはこうしてジークの隣にいられるの。だからアンジェちゃんには本当に感謝してる。あのときアンジェちゃんがジークの心を緩めてくれていなかったら、わたしは今でもずっとその背中を追いかけていただろうから」


 ……どうやら本気で敵視されてるわけではなさそうで、ようやく肩の力を抜く。まさかのまさか、誰もが羨む乙女ゲーム主人公スペックを待つ最強美少女コゼットちゃんからそんなふうにちょっとやきもち焼かれてた的な話をされるとは思わなかった。


「でもアンジェちゃんにまた会えて安心した。だってアンジェちゃんはあのころと変わらずに今でもシリル一筋なんだもの」

「……へ?」


 コゼットちゃんの口から思いも寄らない言葉が出て、驚きのあまりに時が止まったかと思った。


「あ……あの……今、なんて……?」

「ん?」


 コゼットちゃんの笑顔がいやに輝いてみえる。


「シ、シリル一筋って……」

「だってアンジェちゃん、学院のころからずっとシリルしか見てなかったじゃない。ある日突然シリルの前に現れて唐突に構いだして、最初はびっくりしたけど、でもよぅく見てたらアンジェちゃんはシリルのことが好きなんだなって伝わってきてたから。それにあとからアンジェちゃんの事情を聞いて納得したの。世界を飛び越えてまでもシリルを幸せにしたいって思うくらいに、アンジェちゃんはシリルのことが好きだったんだね」


 まさかのシリルの恋が叶わなかった原因が、わ た し だった、とは。そりゃお友だちの好きな人をわざわざ好きになろうとは思わないよな。シリルに攻略対象者並の魅力があれば話は別だけど、所詮当て馬のモブキャラだし。わたしの作戦はわたしの存在があった時点ですでに破綻していたわけだ。

 あまりのショックに魂が抜けて放心状態のわたしに気づいて、コゼットちゃんが心配そうに呼びかけてくる。


「大丈夫? アンジェちゃん?」

「あ……う、うん……なんとか……」

「……今度こそ、幸せになろうね」


 ……でも今の幸せに溢れたコゼットちゃんを見て、その言葉に励まされて、――そして最後の別れ際のシリルの顔を思い出したら。


「――うん!」


 やっぱりシリルを幸せにするのはわたしでいたい。

 コゼットちゃんの言葉に勢いよく頷き返した。










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